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Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

もう一人の自分

2006-03-03 18:00:59 | 報道写真考・たわ言
今日は休日。

食材の買い出しや、部屋の片付け、そして雑誌のための原稿を書いて過ごす。

午後、ソファーに腰を下ろししばしの間ぼうっとしていると、ふとある思いが頭に浮かんできて、しばらく想像にふけってしまった。

もしこの仕事をしていなかったらどんな生活をしていただろう。。。世界でおこっている紛争や貧困のことなど知ることもなく、自分の日常の生活の事だけを考えて生きていられたら、どうだったろう?

僕は子供の頃から物を組み立てたり絵を描いたりするのが好きだった。運動も好きで、毎日のように友達と暗くなるまで野球をしたり暴れ回っていたが、その一方で一人でこつこつ何かをつくることも好きだった。青春期には職人というものに憧れていたし、漠然と大工になりたいと思っていた時期がある。それも普通の大工ではなく、日本建築の技を極めた宮大工だ。結局いろんな因果で、いまでは報道写真を職業とすることになったが、時々思う事があるのだ。例えばもし宮大工になっていたとして(大工でないにしても、何かの職人として)自分の技を高める事だけに心血注いで生きていられたら。。。外国でおこっている事など気にせず、自分の家族と、そのまわりの日常にのみ気をかけて生活できるとしたら。。。

いまより楽だったかなあ。。。?

(もちろん、「精神的に」楽だったか、ということだ)

人生のなかで「もし」を考えだしたらきりがないし、こんなことに答えなんかないのはわかっている。考えるだけ時間が無駄だとも思う。

自分の生活にしたって、まだまだ十分とはいえないにしろ、いろんな土地を訪れてきたし、紛争地で喘ぐ多くの人々も眼の当たりにしてきた。そういう世界を知ってしまった以上、いまからそれに眼をつぶって、自分の事だけ気にして生きていく訳にはいかないのは分かっている。

けれども、全く違った別の生き方を求めているもう一人の自分が、心のどこかに潜んでいる事も知っている。

仕事のこと、私生活の事。。。最近いろいろ考える事が多い。そんなときに、このもう一人の自分がひょっこりと顔を出してくるのだ。




ブログ更新と書き込み数の関係

2006-02-26 22:39:42 | 報道写真考・たわ言
くだらないことを書こうと思う。くだらないけれど、このブログに関係のあることで、実は僕としても結構気になっていることだ。

忙しかったり、単に怠惰になってブログの更新がままならないことが増えてきたが、アップデートの回数が減っているときは、書き込まれるコメントの数は逆に増えるということに最近気づいてきた。

ほぼ毎日ブログを更新していたときは数件しかコメントが書き込まれないのに、数日間更新せずに放っておくと結構な数の書き込みがされる。これは要するに、更新の合間が空くことによって、読んでくれている人達に内容を吟味して書き込む余裕ができる、ということなのだろうか。毎日ブログを更新したとすると、テーマがすぐに変わってしまうので、ひとつのことでいろいろな人がじっくりと意見を交錯させる時間的余裕がなくなってしまうのかも知れない。死刑のことを書いた前日も、チャベスの集会について書いた2月6日にしても、その翌日に別なテーマでブログを更新していたとしたら、あれほどいろいろな書き込みがされたとは思えない。

そうだとすれば、毎日ブログを更新するのは必ずしもいいことなのではないのかも、などと思ったりするのだ。

それとも、単に毎日のブログ更新を面倒に思う僕の都合のいい解釈に過ぎないのだろうか?

まあ、もともと日記のつもりで始めたブログだから、本来ならば人が読んでいようが読むまいが自分が書きたいときに書くべきで、コメントの数を気にする事自体が不純なのかも知れないけれど。。。

それでもやはり、気になってしまうのだ。

死刑延期

2006-02-23 08:52:15 | 報道写真考・たわ言
2日前になるが、通勤途中の車のラジオでこんなニュースを耳にした。

カリフォルニア州で、殺人犯の死刑執行の直前に、担当となっていた麻酔医2人が職務を拒否したために死刑が延期になった。麻酔医たちの言い分は、死刑執行に主要な役割を果たすことが「医者としての倫理に反するため」であるからだという。

さらに、その日の夜に急遽変更された2度目の執行計画も、鎮静剤をうつ有資格の医者を州内からみつけることができずに再度延期になった。州の法律で、殺される死刑囚が肉体的な苦しみを伴わないように、このような医者の立ち会いが義務づけられているためだ。これによって今回のケースはおろか、現在カリフォルニア州で予定されていた死刑執行は事実上すべて延期となってしまった、ということだ。

「死刑」。。。人間が他人の命を「合法的」に奪う制度。

死刑を巡る議論は、単純ではない。

以前ジャーナルにも書いたことがあるが、( http://www.kuniphoto.com/kj_story01.htm ) 僕は基本的には死刑制度に反対である。やはり合法的な殺人は認めがたいし、なによりも冤罪が多すぎる。しかし、それも単に頭で考えた論理に過ぎないことも分かっている。もし、僕の両親や弟妹。。。愛する人を無惨な仕打ちで殺されてしまったとしたら。。。そうなったときに悠長にもまだ死刑反対、などといっていられる自信は、ない。恐らく、犯人を殺してやりたいと思うだろう。それもできるならこの手で。

このカリフォルニア州の死刑囚は、25年前に17歳の女子を虐待し、レイプし、そして殺害した。

犠牲者となった女の子の母親は、死刑執行延期の知らせを聞いて、こう語ったという。

「こんな司法制度は馬鹿げています。。。犠牲者のほうが殺人犯よりももっと苦しんでいるというのに。。。」

死刑制度に対する議論には、妊娠中絶問題と同様、これだという正しい答えなどありはしない。

人の命のことだから。


現実逃避

2006-02-17 20:21:04 | 報道写真考・たわ言
シカゴに戻ってきてから一気に忙しくなった。

まあ取材から戻ってくるといつもこんな感じではあるのだが、留守中に溜まっていた雑用のためにしばらく忙しい日々が続いている。

取材にでているときは幸せだ。写真のことだけを考えていられるから。。。

家賃や電話代、クレジットカードの支払いや毎日届く郵便のこと、それから食料品の買い出しにいたるまで、そんな日常の雑用を考えずにすむ。取材中はホテルで寝起きするから、掃除も洗濯も人任せ。外食ばかりだから、食事を作る必要もない。いい写真を撮ることだけに気を回していればいい。

今回は、帰ってきたのがちょうど自動車保険の契約が切れた後だったことと、確定申告の時期が迫ってきていることでよけい面倒な思いをしている。

シカゴはボストンよりも自動車保険が高くて閉口しているので、(昨年度は2000ドル以上払った!!)なんとか今年はすこしでも安い保険会社を探そうといろいろ電話をして見積もってもらっているが、それに随分時間がかかってしまった。5、6件あたったあげくに今日ようやく少しばかり安い金額で契約できた。

確定申告の準備も面倒で、昨年使った諸々の経費を分類し整理したものを会計士に提出しなくてはならない。これは少なくとも半日は根を詰めて机に向かわないとできないので、次の休日にでもやるしかない。3月の後半には日本に戻る予定だし、その前に出張取材などはいるとこれをやる暇がなくなってしまうので、早く済ませておかないとトラブルになる。

まあどこに住んでいようがこういう日常の雑用はついてまわるものだろうが、やっぱりそんなことを気にしなくていい取材にまた早くでたいものだ。。。。

だけどこれは単なる現実逃避というんだろうなあ。


カメラの暴力

2006-01-23 21:26:28 | 報道写真考・たわ言
午前11時、地方裁判所の入り口で、僕はテレビを含めた他のカメラマン達とともに一人の男が来るのを待っていた。気温は摂氏マイナス3度くらい、例年に比べれば暖かいようだが、それでも15分もすると身体が冷えて指先がしびれてきた。

僕らが待っていた男とは、シカゴにある一教会の神父だ。彼は少年2人に性的虐待を与えたとして先週末に逮捕されたが、保釈金を払って釈放されていた。今日は罪状認否手続きのため、彼の最初の裁判所出頭の日だったので、出頭するこの神父の姿を撮るために報道陣が集まっていたのだ。

1時間程たって、開廷直前に彼があらわれた。カメラマン達がわっと彼を取り囲む。勿論僕もその中の一人だ。彼はカメラを避けようと右に左にと足早に歩くが、なんせ報道陣の数が多いのですぐに囲まれてしまう。神父はじっとうつむいたまま、一言も言葉を発せずに裁判室のなかに入っていった。

嫌な仕事だ。。。どんな場合でも、撮られたくない人間を撮るのというのは、こちらもあまり気分のいいものではない。これが本当に悪い奴だったなら、まだ幾分気持ちも楽なのだが、きょうの神父の場合はちょっと違っていた。

この神父は地域の貧困問題、教育問題などに積極的に取り組み、教会にくる市民の信望を集めていた。彼を知る人の多くは、「彼は素晴らしい人だ」と讃え、あの神父がそんなことをするなど信じられない、と言い切っている。被害者とされる少年達も13歳と11歳で供述が100パーセント正しいとはいいきれない。

勿論、表向きが素晴らしいからといって、その人間が罪を犯さないということはないし、まさかと思うような人が犯人だったというケースなどいくらでもある。ただ現段階でこの神父が本当に少年達に性的虐待を加えたという確実な証拠は存在しないし、少なくとも僕としては彼が白か黒かなどわかりようがない。

僕が気にかかるのは、もし彼の犯罪がぬれぎぬで、本当は彼は無罪だったとしたら。。。ということだ。 

僕らカメラマンは彼を取り囲み、容赦なくレンズを向けバシバシと写真を撮っていく。そして僕が今日撮った写真はおそらく明日のトリビューンに掲載されることになるだろう。これはこの神父にとって、苦痛以外の何ものでもないはずだ。彼が犯人ならば、それも当然のことといえるだろうが、もし彼が無実の一市民だったとしたら。。。

これは僕らカメラマン達からのれっきとした「集団暴力」になるのではないか。

そして僕はその暴力の加害者の一人、ということになる。そんな気持ちが僕の中に存在しているから、こんな日は、いくら仕事とはいえ何となく割り切れず後味の悪さを残したまま一日を終えることになるのだ。

明日から出張。少なくともこの先数週間はこんな撮影はしなくてすむと思うと、少しは気が軽くなる。

せっかちなイノシシ

2006-01-22 19:24:45 | 報道写真考・たわ言
せっかちなイノシシ。。。

高校時代の友人が、僕をこんな風に例えてメールをよこした。思い立つとすぐ行動したくなる、すぐに答えをだしたがる、というような僕の性格から連想したようだが、ここ数日のムスの写真に対するブログでの僕の言い分を読んで、あらためてそういう感じを受けたらしい。

なるほどなあ。。。うまく例えたもんだ、と自分のことを言われているにも関わらず感心した。

一度思い込んだら、後先じっくり考えずにすぐに結論を求めて走ってしまうので、これまでの人生、何度やけどをしたり、棒にぶつかってきたことか。。。学習能力に欠けているのか、はたまたこればかりは性格だから治りようがないのか、このイノシシの頭はコブだらけだ。

まあそんな自分のことはいいとして、ベネズエラ行きが今週に決定した。これが石油プロジェクトの最終取材地になる。

火曜日にシカゴを発ち、まずは再びルイジアナへ。ここで先月できなかった取材をすませ、土曜日にベネズエラの首都、カラカスに入る。この国にはもう17年も前に数日間だけ訪れたことがあるが、あまり記憶には残っていない。ただ、その頃の自分は片言の英語でなんとかしのいでいたというのに、スペイン語圏のベネズエラではその英語さえ全然通じずに四苦八苦したのをよく憶えている。マイアミの空港に戻ってきた時、皆が英語を喋っているのを聞いてほっとしたのものだ。

2004年半ばくらいまで、ベネズエラでは失業、治安対策に失敗したチャベス大統領に対しての反発が強かったが、ここ1年程は内政も比較的落ち着いており、反政府デモなどもあまりおこっていないようだ。しかし、現在でもチャベス大統領はネガティブな報道を恐れてジャーナリストの入国に対してかなり敏感になっているという。取材規制のようなものを受けなければいいが、まあ滞在期間も短いのでなんとかなるだろう。

9月から続けてきた石油プロジェクトの取材もいよいよ終盤にはいってきた。今年最初の国外取材ということもあるので、きっちり撮ってこようと思う。あまりせっかちになってまた頭のコブを増やさないように。。。


命を大切に

2006-01-21 11:07:36 | 報道写真考・たわ言
「命を大切に。。。」「死なないでください。。。」

いただくメールのなか、こんな言葉で僕を気遣ってくれる人が結構多い。その気遣いは大変うれしく思うのだが、正直いってこういう言葉を聞くと少しむず痒いいというか、なんとなく居心地が良くない。

戦地に出向く兵士ではあるまいし、こういう仰々しい言葉は、僕にはもったいない、と思うのだ。

リベリアやイラクの写真を見て、人々は僕が年中そういう危険なとこばかりに出向いているのだと勘違いするのだろう、それでこういう気遣いをしてくれると思うのだが、実際はそんなことは全然ない。

物騒な土地に出かけるのはせいぜい1年に1回くらい。あとはアフリカや中東に行くとしても、戦争とはそれほど関係のない取材の方が多い。手がけているプロジェクトもなくシカゴにいるときなど、市長の記者会見や学校行事など、あくびのでそうな物ばかり撮っている。撮らないのはスタジオとファッション、それにスポーツくらいか。。。ボストンにいるときは随分スポーツも撮っていたけれど、もういい加減に嫌になって、シカゴに来てからここ1年半以上スポーツは全く撮っていない。トリビューンには僕よりもずっと腕のいいスポーツカメラマン達が多いので、僕はうまい具合にお役目ごめんができるというわけだ。

だから、普段こんな生活をしている僕にとっては、「死なないで」といわれても、全然ピンとこない。

「風邪ひかないよーに」とか、「下痢しないよーに」。。。そんな言葉のほうが僕には心地いいし、ちょうどいい。




「強烈すぎる」写真(2)

2006-01-19 22:11:44 | 報道写真考・たわ言
昨日書いたムスの写真のことで、公私ともにいろいろな意見をいただいた。

それらを読みながら考えさせられた。
基本的には僕のこの写真に対する考え方や気持ちは既に書いたことと変わりはないが、「撮った者」と「観る者」にはやはり気持ちの上での隔たりがあるのだな、と気づかされたように思う。

2年半前、ムスのこの姿を初めて見たとき、この可愛らしい女の子の(このときは男の子だか女の子だかも分からなかった)身に降りかかったあまりにも惨たらしい現実にショックを受けた僕は、写真を撮るよりもさきに車にのせて彼女を病院へ運んだ。あの写真は、彼等が僕の車から降りる時に、かろうじて四枚シャッターをきったうちの一枚だ。写真を後回しにして被写体の手助けをしたことなど、僕にとってはそれが初めての経験だった。

こんないきさつもあるから、僕のこのムスの写真、そして彼女自身への思い入れには強いものがある。この強い思い入れが先走ってしまうがために、写真の展示に反対する保守的な大人たちに苛立ちを感じてしまうのだろうか。

「『見せ方』が大切だと思います。。。」そんな言葉をいただいた。

なにも知らずに写真展に足を運んでくれる人や子供達が、いきなりこの写真を目にしたら、どう思うだろう。。。

先日逗子で写真展を開いてくれたじょじょさんのブログを拝見して初めて知ったのだが、写真展に先駆けて数点を中学校で展示したとき、このムスの写真を見た途端、「きゃー」といったきり、その後の写真を見ることができなくなった女子生徒がいたそうだ。

これでは写真展の意味をこの女子学生に伝えることができない。。。

写真をただ眼の前につきつけるだけでは、「撮った者」としての僕の本意を「観る者」に伝えることはできないのだろうか。その写真を効果的に見せるためにはその演出の方法も考えなくてはならない、ということか。

「現実」をありのままに見て、感じてもらうこともなかなか簡単なことではない。。。そう思い知らされた。




「強烈すぎる」写真

2006-01-18 18:06:29 | 報道写真考・たわ言
「強烈すぎるので外してほしい。。。」

あるグループ写真展への出展が決まり、選考の対象として僕の選んだ十数点を主催者に送ったのだが、その中の一点に対して、こんな意見が出ているそうだ。写真は、砲弾をうけ、手を引きちぎられたリベリアの少女ムスが病院に運ばれていくところを撮ったものだ。

「またか。。。」この話を聞いた時、正直いって少々うんざりした。

この写真の展示に対して、このような意見がでたのは、もう何度目になるだろうか。。。もう2年近くも前に、僕の個展を最初に企画してくれた仙台のグループのときから始まって、「戦争が終わっても」の出版のときも同じ議論になったし、そしてまた今回もだ。(ちなみに、「戦争が終わっても」の時は、児童書出版物という特殊事情もあり、この写真のトリミングについて不本意ながら妥協せざるをえなかった)

「写真展に来てくれた人から苦情がくる」とか、「これを見た子供の気分が悪くなるかも知れない」という理由から、一部の保守的で心配性の大人たちがこのムスの写真を展示することに難色を示す。しかし、これまで全国8都市以上でこの写真を展示してきたが、そんな苦情は一件もよせられたことはないし、子供達はこの写真をみて気分が悪くなるどころか、しっかりと現実をみて僕に多くの感想を送ってきてくれた。

大人たちが思っている程子供達はやわではないし、こんな写真でもしっかり受け止める力をもっているんだなあと僕は感心したくらいだ。

「臭いものには蓋をする」ではないけれど、強烈すぎるなどといった訳の分からない理由だけで、現実から眼を背けるその姿勢に憤りを感じてしまう。オブラートに包んだような写真だけをみせて、人の心が動かせるのか?そんな写真の多くは、人々が展示会場を去り、雑踏に身を投じたとたんに忘れ去られてしまうのではないだろうか?

確かにこの写真はショッキングだと思う。2年半前に、このムスの姿を眼の前にしたときの衝撃を、僕は一生忘れないだろう。しかし僕は、写真をみてくれた人に、それと同じ衝撃を受けて欲しいと思う。そして、あのショックで眼を大きく見開いたムスの顔をずっと忘れないでいて欲しいと思う。なぜなら、それが「現実」だから。

僕は下手物趣味ではないし、衝撃的な写真ばかりが必要だといっているわけではない。ただ、ムスのあの姿には、そのショッキングさを超えて人の心に訴える強い力があると思うし、平和にぬくぬくと暮らしている僕らには、その非情で残酷な現実を直視する義務があるのではないだろうか。





写真コンテスト

2006-01-14 19:09:45 | 報道写真考・たわ言
昨夜から写真学校時代のボストンの友人が訪ねてくるはずだったのだが、急にシカゴ行きが延期になったと連絡があった。彼とは2年程会ってなかったので、残念だ。

今日は休日。たまっていた雑用や、コンテストに応募する写真の最終チェックをして過ごす。

写真コンテストには、主なものとして「世界報道写真コンテスト」、「ピクチャーズ・オブ・ザ・イヤー・コンテスト」、「全米報道写真家協会年間コンテスト」があるが、それに地域的なもの、ここ中西部では「イリノイ報道写真家協会年間コンテスト」を加えた4つに僕は毎年応募することにしている。

基本的には同じ写真を応募するのだが、それぞれのコンテストによる規格やルールが違うので、準備に結構時間がかかるのだ。現在ではすべてデジタル画像で応募するが、写真の解像度、サイズから、応募写真の通し番号の付け方にいたるまで、それぞれのコンテストで全く違う。すべて統一してくれればこちらとしては本当に楽なのに、組み写真も含めて結構な数を応募する僕は、そういう事務的なことでえらい時間を浪費することになる。

そんなわけでこの時期はいつもコンテストの準備に追われることになるのだが、昨年末から石油プロジェクトのために出張が多くなることがわかっていた僕は、今回は早めにコンテストの準備を始めていた。おかげで新年の第1週を過ぎた頃には大方の整理もついて、今は余裕をかましながら最終チェックの段階にはいっている、というわけだ。

コンテストというのは、やはり審査員達の好みが大きく結果を左右するので、それぞれのコンテストで入賞する作品は随分変わってくる。万人の意見が一致する程の凄い写真でない限り、入賞は予想できないし、そういう意味ではコンテストなど水物に過ぎない。

ただ、僕ら写真家にとって、入賞すれば作品とともに自分の名前を知ってもらういい機会にはなる。写真が世界に配信されるAP通信やロイターなどの通信社、もしくはニューヨーク・タイムスやニューズウィーク、タイム・マガジンといった大メディア媒体で仕事をしていない限り、自分の写真が全米、または世界規模で発表されることなどそうそうあることではない。だからコンテストに入賞すれば、広きにわたるカメラマンや編集者のコミュニティーの間で、作品と名前が認知されることになるし、毎年入賞者として名前がでるような常連になれば、「こいつはいいカメラマンだ」と認められて箔がつき、次の職場にステップアップするときの有力な実績ともなるわけだ。

アメリカのコンテストは賞金に関しては涙が出る程みみっちいので、入賞したところで小遣いにもならぬほどの額しかもらえないのだが、まあ賞をとれれば気分的にも嬉しいし、それに越したことはない。だが、そういう対外的な理由以外に、コンテストに応募することは僕にとってまた別の重要な意味がある。

コンテストは、前年一年間の自分の写真を冷静に振り返って見直すことができる絶好の機会なのだ。

これはこういう風に撮るべきだったとか、あの取材では何が欠けていたとか、応募準備のための写真整理をしながら反省する。
イラクから始まり、リベリア、アフガニスタン、ニューオリンズのハリケーン、そして石油プロジェクト(この写真は来年に持ち越し)と続いた昨年は、忙しく飛び回っていたわりには、自分で本当に納得のいくような写真は撮れなかったような気がする。

単に仕事をこなすという意味では十分に撮れているのかも知れないが、自分のなかから充実感の湧き出てくるようなものが撮れなかった。だから、今回のコンテストには、心底自信を持って応募できる写真は一点もない。

入賞するしないに関わらず、自分が本当に好きになれる写真のない年というのは、悔しいものだ。

「今年はもっといいのを撮らないといかんなあ。。。」

なんだか良く分からないのだけれど、ちょっとした焦りにも似たような気持ちで、1月を過ごしている。


親の愛

2006-01-13 18:20:05 | 報道写真考・たわ言
ちょっとびっくり。

普段まじめにブログを書いているときは、せいぜい3つくらいしかコメントがこないのに、昨日の愚痴に対して、24時間以内に7つものコメントをいただいた。不思議なもんだ。いずれにしても励ましのコメントなので、ありがたいと思う。書き込んでくれたみなさん、それから読むだけでもこのブログにお付き合いいただいているみなさん、感謝しています。

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今朝は5時過ぎには家を出発しなくてはならなかったので、久々の早起き。。。ちょっとしんどい。

石油プロジェクトの続きで、シカゴから車で1時間半程西にいった郊外にすむ家族と一日を過ごす。僕らが取材の拠点としているガソリンスタンドで給油する顧客、ティムの家族だが、メルセデス・ベンツ、レクサス、そしてあの巨大なハマーの3台を所有する裕福な一家である。ティムには8歳、7歳そして3歳になる息子たちがいる。

ちなみに、既にこのブログで書いたかも知れないが、僕らが手がけている石油プロジェクトというのは、単に産油国の情勢をありきたりに取材するものではない。石油に関わりのあるそれぞれの土地で、そこに住む家族に焦点をあてながら、それぞれ家族という眼をとおして現在の石油問題を訴えようとするものだ。

だからナイジェリアでもイラクでも、産油地に住む家族と時間をともにし、彼等の生活を取材して来た。

子供達と遊ぶティムと夫人のローラをながめながら、一緒にいたレポータのポールがふと言葉をもらした。

「一日10ドルそこそこの収入で貧困に喘ぐナイジェリアの漁師ジェリーも、こんな豪邸に住むティムも、子供を愛しているっていう点では全然かわらないんだよな。。。」

なるほどな。。。と思った。

虐待や子供殺しなどの例外はあるにしても、基本的には親が子を愛する気持ちというのは、経済状況に関わらず普遍的なものなんだろう。

親になったことのない僕には、実感としてそれはわからないのだけれど、妙に納得のいく一言だった。




行き詰まり

2006-01-12 17:11:25 | 報道写真考・たわ言
始めてからまだ3ヶ月そこそこしかたっていないというのに、最近このブログを書くのに行き詰まってきた。

簡単な日記のようなつもりで書き始めたのだけれど、やはり公にだす文章だから、それなりにある程度は意味のあることを書こうと心がけてきた。

刺激一杯の毎日なら書くネタにも困らないんだろうが、取材にでておらずにシカゴにいるときは生温い日常生活を送っているだけなので、とりたてて書くに値するようなことが度々あるわけでもない。かといって、その日の生活をだらだらと書き綴っても仕方がないし、忙しくなると物事に対してよく考えたりする暇もなくなるので、ネタが頭にひらめくことも少なくなる。

結局のところ、文を書くのに気負いすぎているんだろうなあ。

もっと気楽にかければ、とも思うが、こればっかりは性格もあるし仕方のないところだ。

やれやれ、こんな愚痴で結局今日のブログのお茶を濁してしまった。。。


超多忙につき。。。

2006-01-06 14:23:10 | 報道写真考・たわ言
新年に入ってから、コンテスト準備のためにあまりに忙しくなってしまい全然ブログの更新ができません。

いくつか問い合わせ?のメールをいただきましたが、こういう事情なので、更新はまた来週からになると思います。

身体の方は健康ですのでご心配なく。。。気にかけていただいた方々、どうもありがとうございます。

大晦日に思う

2005-12-31 11:23:50 | 報道写真考・たわ言
アメリカでの生活が長くなったにもかかわらず、西洋流の大晦日のばか騒ぎはあまり性にあわない。

やはり僕にとっては、この日は年越しそばに除夜の鐘、なのだ。「ゆく年来る年」がみれればなおいい。この15年間正月には日本に戻っていないので、残念ながらそんな粋な大晦日は久しく味わっていない。

ここシカゴの日本マーケットでは、衛星放送で同時録画した紅白歌合戦が、こちらの夜の時間に間に合うようにすでに昼過ぎにはビデオ屋にならんでいるという。だからアメリカにいながら、家族や友人が揃って日本の年越しを演出することもできるのだ。

そんな大晦日を過ごせたらと、ちょっとうらやましく思わないわけではないが、正直にいうと、仕事続きのいまの自分には、大晦日も元旦も気分的には特に普通の週末と変わりはない。それでもこの時期になると、年の瀬をうったえるテレビの映像や、ホリデームードに沸く街の雰囲気にながされて、否応なく年の終わりを感じてしまうのだが。

年の区切り、というのは、ひとつの長い「線」である人生のなかに記された「点」のようなものなのかも知れない。

その「点」で一息ついて、ちょっと振り返ってみる。それまでの行程を反省し、そして次の「点」に行き着くまでの道のりに思いを巡らせる。。。そんなものなのかな、と思う。

ああ。。。この文章を書きながら、ふと気がついた。

だから僕は、ばか騒ぎする大晦日が好きではないんだ。ばか騒ぎしていたら、じっくりと過ぎ行く年を振り返り、新年に向けてあらたに気持ちを引き締めることなどできないではないか。。。。

ちょっと大袈裟かな。。。結局は人それぞれ、楽しく過ごせばいいのだけれど。

自分も与えられた環境をできるだけ楽しむようにしよう。
今夜も深夜まで仕事が入っている僕は、除夜の鐘どころか、ダウンタウンの騒がしい群衆のなかで年明けを迎えることになるのだから。










バー・ラジオのカクテルブック

2005-12-30 21:13:28 | 報道写真考・たわ言
写真の整理に疲れて、コンピュータからはなれて背伸びをすると、本棚に立てかけてあった本の背表紙がふと目に入って来た。

「バー・ラジオのカクテルブック」。。。もう20年近くも前に買った一冊だ。

渋谷にあった老舗バー「ラジオ」(現在もあるかどうかはわからない)でだしているカクテルのレシピ本なのだが、カクテルにまつわるエッセイもふんだんにちりばめてあり、読み物としても粋な本である。しかし何よりも、本の全編にわたって掲載された、きらきらと光る個性的なグラスに注がれた、色とりどりの魅力的なカクテルの写真がなんともいえず美しい。

ページをめくっていくと、すこしカビ臭くなったような古本の匂いとともに、この本を買った頃のことを思い出した。

大学1年のときに、友人の紹介で千葉市内のバーでアルバイトをするようになった僕は、だんだんとその世界にひきこまれ、そのうち授業にもほとんど顔を出さずにバイトの時間ばかりが増えていくようになった。夜の仕事だったので他のアルバイトに比べて遥かに賃金が良かったこともあるが、それだけではない。もともと腕一本で生きる「職人」というものに憧れていた僕は、酒もろくすっぽ飲めないくせに、バーテンダーという職人気質の仕事に惹かれていったのだ。

白いジャケットをスマートに着こなして、シェーカーをふり、ピカピカに磨かれたグラスにカクテルを注ぐバーテンダーの姿はなんとも格好がいい。店の先輩と東京の一流ホテルのバーに客として見学にいったり、またバーテンダー講習会に参加したりしているうちに、バーテンダーとして身を立て、将来自分の店をもちたい、とまで思うようになっていった。

子供時分からの「思い込んだらつっぱしってしまう性格」で、大反対する親の説得も聞く耳もたずに、浪人までしてはいった国立大学を中退。プロとしてバーテンダーの世界に足を踏み入れた。22歳の頃だったと思う。

その頃は、とにかく一流のバーテンダーになりたい。。。そんな一心で、休日には他のプロの仕事を見に行ったり、本を買い漁っては酒やカクテルの勉強をしていた。「バー・ラジオのカクテルブック」は、そんなときに手に入れた一冊だったのだ。

その後数年がたち僕は、バーテンダーとはまるで接点のないような、報道写真家を職業とすることになった。

それでも、毎日のようにシェーカーの振り方やバースプーンのまわし方を練習していたあの頃の自分が、いま僕の撮る写真のどこかに反映しているんだろうな。。。そんな気がするし、そう信じたいとも思う。

ここ数年間開いたこともなかったこの本のせいで、一途だったあの頃をこんな年の瀬にしみじみと思い出すはめになった。