最近ろくな写真を撮っていないなあ、とふと思った。
2ヶ月程前からレポーターと一緒に手がけている石油プロジェクトについても、これだというような手応えのあるものが撮れていない。駆け足で各地を移動してきたので、じっくり腰を落ち着けて撮ることができないせいもあるのだが、それ以外にも問題がありそうだ。
自分が必死になって撮っていない。。。のだ。
このプロジェクトはもともとレポーターのポールのアイディアで、彼が主導して取材を進めている。それで僕の思うように物事を運ぶことができないという部分もあるし、時間的な制約など、取材環境によるところも確かに大きい。しかし、そういうことを何処かで言い訳にしている自分がいるのも分かる。
このプロジェクトに、100パーセント自分をのめり込ませることができていないのだ。
確かに石油問題は重要な課題だし、取材も興味深いものではある。しかし、ポールはそれぞれの土地で暮らすごく普通の家庭の生活を通して石油問題を語る手法をとっているので、撮影もそれほどの変哲もない一般家庭の普通の暮らしを追っていくことになる。おまけにひとつの家族を取材できる時間は2日とか3日といった短期間にすぎない。被写体がとりたててエキサイティングなものという訳でもないし、感情移入するには時間も短すぎる。
米軍のイラク侵攻や、リベリアの内戦のときのように、生死に関わるような極限に状態にいるわけでもないから、精神的に張りつめてもいない。この石油プロジェクトを始めてからずっと、充実感とはほど遠い、生温い感覚が拭いきれない。正直なところ今、どうすれば自分がこの取材に没頭できるのか分からない状態なのだ。
このままではまずいな、と感じ始めてきた。
これから年始にかけてシカゴでの撮影がいくつか残っているし、1月半ばにはベネズエラに行くことになるだろう。このプロジェクトを終えたときに後悔しないような、納得いく写真を撮っていくためには、自分の気持ちのどこかを切り替えなくてはならないのだ。
こういうのもスランプというのだろうか?
とにかく自分が満足できる写真が撮りたい。それだけだ。それができなければ、読者の心も動かせないのだから。
2ヶ月程前からレポーターと一緒に手がけている石油プロジェクトについても、これだというような手応えのあるものが撮れていない。駆け足で各地を移動してきたので、じっくり腰を落ち着けて撮ることができないせいもあるのだが、それ以外にも問題がありそうだ。
自分が必死になって撮っていない。。。のだ。
このプロジェクトはもともとレポーターのポールのアイディアで、彼が主導して取材を進めている。それで僕の思うように物事を運ぶことができないという部分もあるし、時間的な制約など、取材環境によるところも確かに大きい。しかし、そういうことを何処かで言い訳にしている自分がいるのも分かる。
このプロジェクトに、100パーセント自分をのめり込ませることができていないのだ。
確かに石油問題は重要な課題だし、取材も興味深いものではある。しかし、ポールはそれぞれの土地で暮らすごく普通の家庭の生活を通して石油問題を語る手法をとっているので、撮影もそれほどの変哲もない一般家庭の普通の暮らしを追っていくことになる。おまけにひとつの家族を取材できる時間は2日とか3日といった短期間にすぎない。被写体がとりたててエキサイティングなものという訳でもないし、感情移入するには時間も短すぎる。
米軍のイラク侵攻や、リベリアの内戦のときのように、生死に関わるような極限に状態にいるわけでもないから、精神的に張りつめてもいない。この石油プロジェクトを始めてからずっと、充実感とはほど遠い、生温い感覚が拭いきれない。正直なところ今、どうすれば自分がこの取材に没頭できるのか分からない状態なのだ。
このままではまずいな、と感じ始めてきた。
これから年始にかけてシカゴでの撮影がいくつか残っているし、1月半ばにはベネズエラに行くことになるだろう。このプロジェクトを終えたときに後悔しないような、納得いく写真を撮っていくためには、自分の気持ちのどこかを切り替えなくてはならないのだ。
こういうのもスランプというのだろうか?
とにかく自分が満足できる写真が撮りたい。それだけだ。それができなければ、読者の心も動かせないのだから。
今すぐ丸ごとそちらへ送りたいような気がします。
一部の写真をアップしています。
http://plaza.rakuten.co.jp/shasintenseikou/diary/200512200001/
情熱がなければ仕事はできないでしょうが、常に同じ緊張をキープすることは至難の業だと思います。
「適当に」暮らしている時間のほうが多い私には、何も言えませんが。
でも、kuniの写真で数少ない(?)何気ないような風景写真でも、すごく雄弁だと思います。
なんて発言、ちょっと失敬に取られたら、ごめんなさい。(よくわからないくせにね。)
自分の納得のいかない作品を世に出すのは、理不尽ですものね。それは、とてもわかります。
そして、思ったことは「石油」の問題って大きくて、つかみ所がないのかな?ということです。
リベリアの場合、内戦があって、少年兵があって、それらの元を突き詰めれば深い問題になるけど、目の前にいる彼らを追い続けることで、リベリアの顕在する問題を表現することは可能だと思うのです。
石油って、あまりにも奥が深くて、また多くの国が絡んで、それを「土地で暮らすごく普通の家庭の生活を通して石油問題を語る手法」で表現するとなると、この短期間では困難なことなんだな、と思いました。
分かりきったことを書いてしまったみたいで、ごめんなさい。