熊本熊的日常

日常生活についての雑記

知事の顔

2014年01月24日 | Weblog

昨日、地元の選挙管理委員会から都知事選挙の投票所入場整理券が届いた。今日、出勤で駅へ向かう途中の交差点には選挙ポスターが並ぶ大きな板が立てられていた。まだ空いている区画のほうが多いのだが、ニュースなどに登場する候補者のポスターは全て出揃っている。こういうものには一定の形式のようなものがあるようで、あまり奇抜なものは見たことがない。ところが、今回は目を引いたポスターがあった。顔写真と名前だけで構成されているのである。嘘を承知でキャッチコピーのひとつやふたつを並べるのが一般的だと思うのだが、そのポスターにある文字は名前だけ。まるで総理大臣の名刺のようだ。

都知事選に限らず、選挙というものが何を目的にしているのか、正直なところわからない。例えば、今回の都知事選の場合、何を基準に知事を選ぶべきなのだろうか。そもそも有権者は知事の仕事を知っているだろうか。候補者がどのような人物であるか知っているだろうか。知りもしない仕事を知りもしない人物に託す。それが民主主義というものだのだろうか。それが選挙というものなのだろうか。わからないけれど誰かを選ぶ、となると物を言うのは外見とか声とか話し方とか立ち居振る舞いという五感で認知できることだ。話の内容など聞いてもわからない人のほうが圧倒的に多いだろうし、わかったところでそれがどのように生活とかかわるのか即時に検証はできないだろう。わからないままにわからない意思決定をして、その結果として、わからない政治が行われ、わからないままに世情に翻弄されるのである。恐ろしい世の中だ。

そう考えると、選挙ポスターの顔はどれも仏とは対極にある人相ばかりに見えてくる。


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