熊本熊的日常

日常生活についての雑記

喜ばれる喜び

2010年06月25日 | Weblog
昨日、HCBの「ポートレイト」をアマゾンのマーケットプレイスで販売して発送したということを書いたが、今日、購入者からお礼のメールを頂いた。商品の状態の良さに「感動」し、「生涯大事にします」と仰るのである。短い文言ではあったが、なんとなく躍動的な文章で、読んでいて嬉しくなってしまった。

昨日も書いたが、他人様から金銭を頂く以上、少なくともそれに見合った、できることならそれ以上のものを提供したいと思っている。今となっては滅多に開くことのない写真集は何冊かあるのだが、状態が悪くて金銭を頂くのが憚られるようなものは売らないことにしている。具体的に計画があるわけではないのだが、いつか雑貨屋のような店を持ちたいと夢見ている。そうしたら、店頭に並べて、実際に商品の状態と値段を納得の上で購入してもらえるよう、そうした状態の良くない商品は開店するまで手許に在庫しておくつもりである。

自分の手許にあるものを売って代金を受け取るという直接的な場においては、商品を媒介とした関係がわかりやすい形で現れる。相手が喜んだり不満に思ったりする様子も明らかだ。ところが、会社組織のなかで、商取引の現場から遠い後方で働いていると、自分が提供しているものと受け取る給料との関係が判然としない。給料に見合うだけの働きをしているのかどうか、正直なところ疑問である。自分の職責を果たしているつもりでも、それが果たして企業の目的に合致しているものなのかどうか、利潤獲得に寄与しているのかいないのか、さっぱりわからない。わからないのは私のような下々の給与の根拠だけではない。

2010年3月期の有価証券報告書からは1億円以上の役員報酬を開示することが義務付けられており、このところ開示内容が明らかになっている。開示したところで、その金額が果たして当事者の働きに見合ったものかどうか、誰も判断のしようがない。ただ、赤字決算でありながら、億円単位の報酬を得ている役員がいるとなると、利害関係者は素直にその現実を受け容れるものなのだろうか。例えば、新日鉄、住友金属、東芝、ソニー、新生銀行の2010年3月期決算は赤字だ。新日鉄、東芝、ソニーについては営業利益は黒字なので、言い訳ができないわけではないだろう。しかし、営業段階で赤字ということは経営者としての責任を果たしていると言えるだろうか。新生銀行に至っては公的資金の注入を受けている。公的資金注入は金融システムの安定を目的としたものであって、個別銀行の経営を支援するためではないのだが、税金を投じて、それが高額の報酬として一部の役員へ流れているというのは国民感情としては違和感を覚える。とはいえ、そうした報酬を受け取る側は当然だと考えている人が殆どではないだろうか。

私にしてみれば夢のような大金なので容易に想像はできないが、結果に見合っていない高額報酬を受け取るというのは、薄気味悪い気がする。薄気味悪い高額報酬を手にするよりは、数百円、数千円の商品で感動してもらうほうが余程嬉しい、というのは貧乏人のやせ我慢かもしれない。かつて三井物産社長と国鉄総裁を歴任した石田禮助の生涯を描いた城山三郎の作品に「粗にして野だが卑ではない」がある。ここに描かれている石田のような人たちが奮闘して戦後日本の復興を支え、自分が率いる企業が赤字で取引先に迷惑をかけ社員の首を切りながら自分だけは当然のように高額報酬を懐にする人たちが迷走する日本の凋落に加担する、と言ってしまうのは情緒的に過ぎるだろうか。

参考:産経ニュース あの企業の「1億円プレーヤー」 主要企業の役員報酬一覧