熊本熊的日常

日常生活についての雑記

ある均衡

2010年06月29日 | Weblog
ユトリロがこれほど人気のある作家だとは知らなかった。会期の終わりが近い所為もあるのだろうが、平日の昼間だというのに、東郷青児美術館で開催中のユトリロ展は賑わっていた。

ユトリロは画家だが画家としての教育は受けていない。油絵の具の扱いの基本は画家である母親から手ほどきを受けたが、それ以外は全くの我流なのだそうだ。何があったのかは本人しかわからないことだが、アルコール依存症の治療の一環として医師に勧められて絵を描くようになったという。題材になっているのは街の風景とか教会が多い。しかも、現実の風景ではなく絵葉書をもとに描いたものが多いという。私の勝手な空想だが、人は不安に苛まれると確かなものを求めるのではないだろうか。現実の世界が生き辛いなら、心安らぐ世界を自分の中に作りあげてしまう。しかし、荒唐無稽というのはかえって虚構を強調してしまうので、現実であってもおかしくないような程度の空想が、手を伸ばせばそこにあるように感じられて心地よいのだろう。ユトリロが描いた風景は、そうした微妙な現実ではないだろうか。

今回の展覧会は、彼の作品を「モンマニーの時代」「白の時代」「色彩の時代」と区別すると「色彩の時代」のものが多いのだが、画家としての評価が最も充実しているのは「白の時代」の作品だ。そして、その時代はユトリロが最も荒れた生活をしていた時代でもあるそうだ。「白の時代」の作品は建物の壁の白い色や質感に徹底的に拘ったものだ。それが「色彩の時代」になると、どこかそうした拘りが薄くなっているように感じられる。結局、描いた本人にっとはどうあれ、絵画としての価値となると、その「拘り」に重きが置かれるということのようだ。

人は追い詰められると精神の均衡を失い、それを回復させるべく必死の活動をするのだろう。その必死の向かうところは人それぞれであり、同じ人であっても時と場合によって様々なのだろうが、時として、その必死の活力が世の中で価値を認められるようなものの創造につながる。その世間の評価と本人の認識とが乖離しているのも興味深い。人の「価値」とは何なのだろうかと改めて考えさせられてしまう。

昔、京都在住のメル友がいた。まだ今のように迷惑メールが飛び交う以前の時代で、プロバイダーの掲示板か何かで知り合った人だ。どれくらいやりとりが続いたのか記憶が定かではないのだが、2回だけお会いしたことがある。その人は、京都に住んでいるけれど出身は東京で、美大の出身だった。ユトリロの絵が好きだという話を聞いていて、私の出張の折に京都でお会いしたとき、ユトリロの画集を土産に持って行った。伊勢丹美術館でのユトリロ展のカタログだ。その後、メールだけではなく絵手紙を何度か頂いたが、自然に行き来がなくなってしまった。その絵手紙は今も手許に持っている。最後の日付は秋、住宅街の空が描かれていた。