貧乏なので銀行の窓口に出向かなければならない機会は殆ど無い。よく銀行のATMに行列ができている風景を目にするが、自分がその行列のなかにいる姿など想像もできない。自慢じゃないが、財布に1万円札が入っていることなど滅多に無い。金は天下の回り物、というらしいが、どこにでも回ってくるわけではないらしい。回る経路が決まっていて、その経路の近くにいる人のところにだけ回ってきて、私のように経路の遥か彼方に居る者のところには生涯回って来ないのものなのだだそうだ。
今日はどうしても窓口でしかできない振込があって、近所の銀行に出かけてきた。事前に振込用紙の記入は済ませていたので、それと現金だけで用は済むのかと思いきや、身分証明書の提示を求められた。成程、現金と振込用紙だけでは、送金人が誰であるのかわからない。用紙に記載されている住所氏名など、どのようにも書くことができる。同じ事情からATMで送金をする場合も現金での振り込みは10万円までだ。要するに原則として現金の移動は禁じられている、とも言える。政府としては世の中の金の流れを可能な限り把握しておきたいということなのだろう。
私のような貧乏人にとっては現金もカードも振込もたいした違いはないのだが、節約したくなるほど多額の税金を支払うような人にとっては、自分が使う金をいかに少なく見せるかということが可処分所得を減らさないために重要なことになる。そのためにはカードや振込といった資金の動きが明確になってしまう決済手段を避けて現金や現物で決済したほうが都合が良い。国税査察官の活躍を描いた「マルサの女」という映画があったが、ここで脱税に使われていたのは、いろいろ仕掛けがあっても端的には現金や小切手を隠すという方法だった。私もかつて事業再生業務に関わっていたときに脱税で捕まった人とお会いしたことがあったが、彼の場合もワンルームマンションに隠した現金が見つかってしまったのだそうだ。ついでに言うと、その事業再生業務をしていた勤務先の社長のことで東京国税局に調書を取られたことがある。その後、その社長の身に何が起きたかは知らないが、映画のように、地道に関係者の証言や証拠が収集されている様子を垣間見た思いがしたものだ。
現実は映画よりも巧妙な手口で税金を回避している人たちがいるのだろうが、過度に監視や規制を強くすると経済活動を阻害することになるような気もする。水清くして魚棲まず、とも言う。税金として国家に納めても、それが全て意味のある用途に使われるわけではないだろう。不正の横行を許せとは言わないが、組織や社会はある程度は清濁併せ呑むくらいでないと、円滑に機能しないものなのではないだろうか。10万円単位の金の動きに神経を尖らせるよりも、経済活動を促進して所得を増加させた上で、その増加した所得に課税するというのが真っ当な政策だ。国家としての基本戦略を考えることなしに、枝葉末節ばかりをいじくることに注力しているから肝心のことに手が回らずに政権が終わってしまうということを、ここ数年繰り返しているような気がしてならない。
今日はどうしても窓口でしかできない振込があって、近所の銀行に出かけてきた。事前に振込用紙の記入は済ませていたので、それと現金だけで用は済むのかと思いきや、身分証明書の提示を求められた。成程、現金と振込用紙だけでは、送金人が誰であるのかわからない。用紙に記載されている住所氏名など、どのようにも書くことができる。同じ事情からATMで送金をする場合も現金での振り込みは10万円までだ。要するに原則として現金の移動は禁じられている、とも言える。政府としては世の中の金の流れを可能な限り把握しておきたいということなのだろう。
私のような貧乏人にとっては現金もカードも振込もたいした違いはないのだが、節約したくなるほど多額の税金を支払うような人にとっては、自分が使う金をいかに少なく見せるかということが可処分所得を減らさないために重要なことになる。そのためにはカードや振込といった資金の動きが明確になってしまう決済手段を避けて現金や現物で決済したほうが都合が良い。国税査察官の活躍を描いた「マルサの女」という映画があったが、ここで脱税に使われていたのは、いろいろ仕掛けがあっても端的には現金や小切手を隠すという方法だった。私もかつて事業再生業務に関わっていたときに脱税で捕まった人とお会いしたことがあったが、彼の場合もワンルームマンションに隠した現金が見つかってしまったのだそうだ。ついでに言うと、その事業再生業務をしていた勤務先の社長のことで東京国税局に調書を取られたことがある。その後、その社長の身に何が起きたかは知らないが、映画のように、地道に関係者の証言や証拠が収集されている様子を垣間見た思いがしたものだ。
現実は映画よりも巧妙な手口で税金を回避している人たちがいるのだろうが、過度に監視や規制を強くすると経済活動を阻害することになるような気もする。水清くして魚棲まず、とも言う。税金として国家に納めても、それが全て意味のある用途に使われるわけではないだろう。不正の横行を許せとは言わないが、組織や社会はある程度は清濁併せ呑むくらいでないと、円滑に機能しないものなのではないだろうか。10万円単位の金の動きに神経を尖らせるよりも、経済活動を促進して所得を増加させた上で、その増加した所得に課税するというのが真っ当な政策だ。国家としての基本戦略を考えることなしに、枝葉末節ばかりをいじくることに注力しているから肝心のことに手が回らずに政権が終わってしまうということを、ここ数年繰り返しているような気がしてならない。