熊本熊的日常

日常生活についての雑記

ノーベル賞

2010年10月07日 | Weblog
ノーベル賞というものがどういうものか、実は理解していないのだが、世間が大騒ぎするのでたいしたものであることは確かなのだろう。今回は日本人が2人受賞し、イギリスの母校からも2人の受賞者があった。自分には全く関係のないことなのに、微かな共通点があるというだけで、嬉しく感じられるのは不思議なことだ。

まだ日本の経済力が強く、欧米から盛んにバッシングを受けていたころ、何故日本人のノーベル賞受賞者が少ないのかということが話題に上っていた。しかし、バブル崩壊後の日本人受賞者を見ると以下のようになる。

1994年 文学賞 大江健三郎 東京大学文学部卒
2000年 化学賞 白川英樹 東京工業大学理工学部卒、工学博士(東京工業大学)
2001年 化学賞 野依良治 京都大学工学部卒、工学博士(京都大学)
2002年 化学賞 田中耕一 東北大学工学部卒、東北大学名誉博士
2002年 物理学賞 小柴昌俊 東京大学理学部卒、ロチェスター大学大学博士課程修了(Ph.D.)、理学博士(東京大学)
2008年 物理学賞 小林誠 名古屋大学理学部卒、理学博士(名古屋大学)
2008年 物理学賞 益川敏英 名古屋大学理学部卒、理学博士(名古屋大学)
2008年 化学賞 下村脩 長崎医科大学附属薬学専門部卒、理学博士(名古屋大学)
2008年 物理学賞 南部陽一郎 東京帝国大学理学部卒、理学博士(東京大学)
2010年 化学賞 鈴木章 北海道大学理学部卒、理学博士(北海道大学)
2010年 化学賞 根岸英一 東京大学工学部卒、ペンシルバニア大学博士課程修了(Ph.D.)

ちなみにバブル崩壊前の受賞状況は以下の通り。

1949年 物理学賞 湯川秀樹 京都帝国大学理学部卒、理学博士(大阪帝国大学)
1965年 物理学賞 朝永振一郎 京都帝国大学理学部卒、理学博士(東京帝国大学)
1973年 物理学賞 江崎玲於奈 東京帝国大学理学部卒、理学博士(東京大学)
1981年 化学賞 福井謙一 京都帝国大学工学部卒、工学博士(京都大学)
1987年 生理学・医学賞 利根川進 京都大学理学部卒、カリフォルニア大学サンディエゴ校博士課程修了(Ph.D.)
1968年 文学賞 川端康成 東京帝国大学文学部卒
1974年 平和賞 佐藤栄作 東京帝国大学法学部卒

自然科学分野でノーベル賞の対象となるのは基礎科学領域なので、研究の成果が公表されてから、それが評価を受けるまでにどうしても時間がかかる。また、研究成果が英文で発表されていないとそもそも認知されないという事情もあるし、研究者や過去の受賞者による推薦も必要なので、そうした人的ネットワークの構築で日本人が後手に回っていたという事情もあるだろう。しかし、そうした状況はやはり変化しているようだ。受賞者の多くが海外を活動拠点にしており、南部先生のように日本国籍を放棄して米国人として受賞される方もおられる。不景気だの失われた何年だのといったところで、十分底上げされた経済力を背景に、国境を越えて活動する日本人が増えれば、それだけこうした大きな賞を日本人が手にする機会も増えるということだろう。

人口が減少に転じ、経済力もいよいよ翳りが強くなってきたとは言いながら、かつてに比べれば国家という枠組みは柔軟になっている。身の回りの品々を見ても、好むと好まざるとにかかわらず、純粋に日本だけで作られたものは皆無に近いのではないか。形のない知識や情報といったものは尚更のこと、国境など関係なく人々の間を往来するものだろう。そうしたなかで、国家とか国民の在り様というものも時々刻々と変化しているはずだ。それぞれの地域の文化は、そこで暮らす人の基本的人権にかかわるものでもあるので、尊重しなければ無用な軋轢を生むことになるだろうが、一方で個人の生活が世界と直接つながってるというのも現実だろう。つまり、日本が少子化という状況に陥ったり、景気が恒常的に悪かったりというのは、国家という枠組みが今よりも強固であった時代に比べれば、然して深刻な問題ではなくなっているのではないだろうか。日本とか日本人が抱える問題というのは、日本人にとってさえ、世界という社会のなかの「ローカルニュース」といった感覚のものに過ぎなくなっているのではないだろうか。今の時代の生活者にとって、日本人とは何者だろうか。日本とは何だろうか。何故、私は日本人がノーベル賞を受賞すると嬉しいと感じるのだろうか。やはり、私は時代の変化から取り残されているということなのだろうか。