留学先の日本人同窓会組織の幹事が、趣味の絵画の個展を開くというので拝見してきた。彼は大学卒業後、美大に入りなおそうかと考えたそうだが、周囲の反対で内定していた企業に入社したという経歴の持ち主だ。留学先では日本人初のvaledictorianに選ばれるという偉業を成し遂げ、帰国後の仕事のほうも順調とのことだが、もうひとつの趣味である釣りのほうはご苦労されているらしい。いずれにしても、留学先を奇跡的に修了し、これまで一貫して八方塞の私とは好対照の人物だ。彼の作品は以前にACTのアートフェスティバルで初めて拝見し、今回は2回目である。最初に拝見したときのことはこのブログの6月26日付「表現者たち」に書いた。
さて、彼の作品だが、絵画というよりは模様のようなもので、イメージとしてはマーク・ロスコーの作品を挙げることができるだろう。地塗り以外は筆を使わず、板にアクリル絵の具を乗せて、それを紙に圧着させることを繰り返しながらひとつの作品をつくりあげている。異なる色彩の組み合わせもあるが、同じ系統の色を明暗や絵の具の量を変化させながら重ねていくことで、奥行きのある平面が生み出される。今回の個展ではA4ほどの小さな作品群もあったが、大きな作品のほうが奥行きというか、そこにある異次元空間の雰囲気というようなものがあって面白い。私のギャラリー・カフェが実現した暁には、是非とも店内に飾りたい作品もある。
彼の作品は彼自身のサイトで紹介している。また、このブログと同じgooに彼のブログもある。こちらも楽しいものだ。
ところで、自分のギャラリー・カフェという妄想が膨らんでいて、BGMに使う音楽のことなどもけっこう真剣に考えている。先日アマゾンで注文したCDが今日届いたのだが、これはなかなかよいと思っている。鶴澤清治「一撥一心」である。妄想が膨らむというのは現実からの逃避なのだろうが、妄想が実現するには宝くじにでも当たらない限りは無理だろうし、そもそも宝くじというものを買ったことがないし、これからも買わないだろうから、妄想は予見しうる将来において妄想のままである。尤も、妄想を語るのも、それはそれとして楽しいことではある。
さて、彼の作品だが、絵画というよりは模様のようなもので、イメージとしてはマーク・ロスコーの作品を挙げることができるだろう。地塗り以外は筆を使わず、板にアクリル絵の具を乗せて、それを紙に圧着させることを繰り返しながらひとつの作品をつくりあげている。異なる色彩の組み合わせもあるが、同じ系統の色を明暗や絵の具の量を変化させながら重ねていくことで、奥行きのある平面が生み出される。今回の個展ではA4ほどの小さな作品群もあったが、大きな作品のほうが奥行きというか、そこにある異次元空間の雰囲気というようなものがあって面白い。私のギャラリー・カフェが実現した暁には、是非とも店内に飾りたい作品もある。
彼の作品は彼自身のサイトで紹介している。また、このブログと同じgooに彼のブログもある。こちらも楽しいものだ。
ところで、自分のギャラリー・カフェという妄想が膨らんでいて、BGMに使う音楽のことなどもけっこう真剣に考えている。先日アマゾンで注文したCDが今日届いたのだが、これはなかなかよいと思っている。鶴澤清治「一撥一心」である。妄想が膨らむというのは現実からの逃避なのだろうが、妄想が実現するには宝くじにでも当たらない限りは無理だろうし、そもそも宝くじというものを買ったことがないし、これからも買わないだろうから、妄想は予見しうる将来において妄想のままである。尤も、妄想を語るのも、それはそれとして楽しいことではある。