埼玉県行田市の「古代蓮」が見頃と新聞に載っていましたので愛でに行く事にしました。
カーナビで電話番号を入力、目的地に設定して、
”Let's Go!!”
着いた場所は、目指す「古代蓮の里」ではなくて・・・
「行田市役所」でした。(連絡先の電話番号!)
それでも近くに「古代蓮」と書かれた沼?がありました。
そして周辺には大きな池が・・・。
なんか雰囲気が違うなと思いながらも一回り。
散歩している人に「古代蓮の里」の場所を尋ねたところ、ここからかなり離れた場所との事。
再び車へ乗り込み、聞いた道順で行こうとしたら、またしても違う道へ迷い込み、着いた所が「忍城(おしじょう)」でした。
ここも、せっかく?ですから見学してきました。
「忍城」は、埼玉県行田市にあった城で江戸時代には忍藩の藩庁が置かれていた。
別名は「忍の浮き城」、「亀城」とも言い、埼玉県指定旧跡で「関東七名城の一つ」だそうです。
「関東七名城」
川越城・ 忍城・ 前橋城・ 金山城・ 唐沢山城・宇都宮城・太田城
「忍の浮き城」
1590年の小田原征伐の際、城主・成田氏長は小田原城にて篭城。
家臣と農民ら三千の兵が忍城に立てこもった。
豊臣方の忍城攻めの総大将は石田三成。
三成は、本陣を忍城を一望する近くの丸墓山古墳(さきたま古墳群)に置き、近くを流れる利根川を利用した水攻めを行うことを決定し、長さ28kmにも及ぶ“石田堤”を建設した。
しかし忍城はついに落城せず、結局は小田原城が先に落城したことによる開城となり、城側は大いに面目を施すことになった。
このことが、忍の浮き城という別名の由来となった。
場所は市の中心部にあり「行田市郷土博物館」内に併設されている。
現在のお城は1873年(明治6年)に解体されたものを、1988年(昭和63年)2月17日に再建したそうです。
山田風太郎の小説『風来忍法帖』の舞台にもなっています。
「忍城」を後にして、今度は本当に「古代蓮の里」へ
”Let's Go!!”です。