聖徳太子研究の最前線

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【珍説奇説】法隆寺の五重塔は送電塔がモデル

2020年12月06日 | 聖徳太子をめぐる珍説奇説
 聖徳太子や法隆寺については、珍説奇説が多いものの、新たに始める「聖徳太子をめぐる珍説奇説」シリーズの第1回でとりあげる名誉ある論文は、

大塚清恵「日本・イスラエル比較文化研究(2) ―日本列島は誰が創った?―」(『鹿児島大学教育学部研究紀要 人文・社会科学編』vol.61、2009年)

です。これは、以前、師茂樹さんが紹介していたということで、このブログでもちょっとだけ触れたことがありますが(こちら)、ダントツですね。なにしろ、法隆寺の五重塔は送電塔の模型だというんですよ。今でも鹿児島大の機関レポジトリで読むことができます(こちら)。当人が書かれたものでしょうが、その機関リポジトリに示されていた概要は、以下の通りです。

本稿は、鹿児島大学教育学部研究紀要(人文・社会科学編)第58 号に掲載された「日本・イスラエル比較文化研究 ―日猶同祖論考―」の続編である。一般的に「秦氏」と呼ばれる3 世紀末から5 世紀にかけて朝鮮半島から渡って来たシルクロード渡来人は、時代を超越した高度な知識と技術を持っていた。彼らは、古代日本に技術革命をもたらし、政治・宗教・生産活動・文化を大きく発展させた殖産豪族集団である。……なぜ全国各地に奇妙な三本鳥居の神社を建てたのか?という日本史の謎に対して大胆な一つの仮説を立てた。

だそうです。初耳ですね、「時代を超越した高度な知識と技術を持っていた」そうですよ。その例として示されているのが、以下の写真です。



 ただ、論証がまったくありません。上の画像に表示されているように、「その設計図から見て、明らかに送電塔の模型である」とあるだけです。

 論証の代わりに示されているのが、同様の例なのですが、塔がいくつもそびえているヨーロッパや中東やインドの城は、燃料タンクをいくつもつけたスペースシャトルと似ているといった種類の写真がならんでいます。きわめつけは、秦氏が建立した広隆寺の近くにある「蚕の社」と呼ばれている神社の三柱鳥居は、「20 世紀ハイテク文明の落とし子の一つ」であって、「それは、月着陸船である。三柱鳥居は月着陸船の三脚部分と考えて間違いない」のだそうです。その「時代を超越」している証拠写真がこちら。



 やはり、病院に行って診察してもらう必要がありますね。大塚氏は既に亡くなられたそうですが、大塚氏の論文以上に不思議なのは、この論文が鹿児島大学の紀要に掲載されたことでしょうか。

【12月7日付記】
「大塚」氏を「大島」氏と書いてましたので訂正します。大塚氏の論文では、607年に建てられた法隆寺の五重塔が日本の五重塔第1号としていますが、607年に建てられたとする記録はありませんし、日本最古の五重塔は、飛鳥寺の塔です。また、秦の始皇帝は月氏の出身だとする点も根拠がありません。
なお、大塚氏に習った学生さんが、氏について書いていましたが、氏は英語圏の文学や女性学を扱っており、授業を聞いた限りでは、特に変な印象は受けなかった由(こちら)。
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