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「日本書紀の謎は解けたか 補論」……井上亘氏自身による再反論

2011年08月29日 | 論文・研究書紹介
 井上亘氏から8月28日に長文のコメントを頂きました。発音表記用にIPA(国際音声記号)が用いられており、PC環境によってはその部分が文字化けすることと思われますので、井上氏の了解を得て、元のリッチテキストファイルも別に置くことにさせていただきました(ここです)。文字化けしている方は、そちらをダウンロードして御覧ください。なお、このブログ版では、見やすいように私の方で段落を増やし、間に空白行を入れ、引用部分は > で示すなどしてありますので、公式版は元のファイルの方です。
(ブログ作者:石井公成)

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          日本書紀の謎は解けたか 補論

 井上です。石井・森両先生の反論を拝見しましたが、特に森先生の反論には正直、唖然といたしました。まず、「話をそらすな」とおっしゃっていますが、前回の拙文をみれば明らかなように、私は両先生のお話を論点ごとにまとめて私見を付し、そのうえで両先生が言及された日本人助手説を問題点として引き出したわけです。これで「話をそらした」ことになるなら、そらしたのはそちらの方ではありませんか。これでは、行ってはマズイ方向に話が行ってしまったから、そんなことをおっしゃるのだろうとしか思えません。

 「少し角度を変えて」というのもこれまで日本人助手説のような観点から考えを述べていなかったからに過ぎません。それに角度を変えた方がより深く問題に切り込める場合は、むしろそういう手法を積極的に用いるべきでしょう。そもそも「角度を変えて」といってから、先生方の反論をまとめ始めたところで「どう変えるのか」と思いそうなものですが、こんなことも注意されていないところをみると、全くまじめに読まれていないようですね。相手が何を考えてこう言うのかを考えもしないというのは論争相手として認めていないということなのでしょうから、何を言っても所詮ムダなのでしょう。森先生の反論をみれば、相も変わらぬ自説のくり返しで、私がご著書を読んでいないと決めつけておられるのも、こちらの考えなどはお構いなしという態度のあらわれなのでしょう。

 したがって本来このような反論に対してお答えする義務はないのですが、勘違いされている読者も一部おられるようなので、この際、ハッキリさせておこうと思います。

> 音声学的な気音の強弱についても、当然、中国人が敏感なのに対し、日本
> 人は鈍感である。したがって日本人であれば、中国語が堪能であっても、
> α群のように子音による条件的な気音の強弱を書き分けることは、きわめ
> て困難である」(『古』149頁、『謎』104頁でも例も挙げて説明していま
> す)。その困難さは、日本語母語者である井上さんが、日本語を聞いて
> 個々の気息音の把握を試みられればお分かりになることでしょう。

 まず、a(1)有気音についてですが、森先生が私にやれとおっしゃる「日本語の気息音の把握」というのは一体、何でしょう。日本語には気息の有無による対立は存在しません。ないものを把握させようというのは、これは何かのイジメですか。ここの問題はなぜα群の筆者が無気音の字母だけを採り、有気音のそれを排除できたかでしょう。私が言うのは、有気音は中国語の語の識別においてかなり顕著な特徴だから、それを意識的に選別するのは比較的容易だということです(この点、石井先生は一定の理解をしめされています)。たとえ正確に発音できなくても、字母を選ぶときに確認して、それを覚えてしまえばよいのですから、決して難しくありません。参照を指示されたご著書の内容は「お父さん」と「こわい」の話でしょう。こんなものは初歩中の初歩ですし、何より拙論できちんと取り上げたところまで、私が読んでいないように書くのはやめていただきたい。

> 日本人(マ・バ、ナ・ダを区別する日本語母語者)であれば、中古音でng韻
> 尾をもち音声的に非鼻音化の進行が遅れていた唐韻(-ang>-a~)の漢字を
> マ・ナに専用できたはずです。そしてバ・ダには歌韻字を用いれば、区別
> できるわけです。つまり、次のように書き分けられるのです。
>
> マ(ma):莾(mang>ma~、漢音マウ)――バ(ba):摩(ma>mba、漢音
バ)
> ナ(na):曩(nang>na~、漢音ナウ)――ダ(da):娜(na>nda、漢音
ダ)
>
> 実際、中天竺出身の善無畏は梵文字母表の対訳で、このように書き分けて
> います。ところが、中国人はこのような区別することができなかったので
> す。外国人の耳には区別できる鼻音と鼻濁音は、中国人にとっては同一の
> 音韻だったので区別できなかったのです。有坂さんが説くとおりです(有
> 坂秀世「メイ(明)ネイ(寧)の類は果して漢音ならざるか」、『古』
> 149~150頁参照)。書紀α群では善無畏と違って、マとバ、ナとダを区別
> していません。これがα群中国人表記説の第2の根拠です。

 a(2)非鼻音化。ここも『謎を解く』の内容そのままですが、拙論では反証を挙げただけでそれ以上の追及をしなかったところですから、ここで追及しておきましょう。非鼻音化によってナ>ダ、マ>バと変化したあと、日本人ならばインド僧善無畏と同じように唐韻の字母を鼻音に使ったはずだと森先生はいわれますが、日本人はインド人とちがって古い漢字音があるのですから、当然ないものはあるもの、つまり呉音の仮名を使ったはずです(事実そうなっています、後述)。どうもここはおっしゃっていることが反対であって、唐代北方音では陽声韻尾-ngが声母n-,m-を保存(非鼻音化を抑制)していたのですから、唐韻ɑng(ɑ~)を使って鼻音のナ・マを表記すべきなのはむしろ中国人の方でしょう(実は森説でもそう考えていた、後述)。もともと善無畏の対訳は中国人向けにナとダ、マとバの区別を説明したもの(つまりこれなら中国人にもナとマを聴き取れるという方法)ですから、「α群では善無畏と違って」いるということはむしろα群が中国人のとるべき方法にしたがっていない、つまり中国人説の反証となるべきものなのです。

 そもそも中国人にとってナとダ、マとバは「同一の音韻」であったから「混用」したというのも、よく考えてみるとおかしな話で、ナ>ダ、マ>バと変化してしまったら、それはナとマがダとバに移行して消失するということですから、中国人に聴き取れたのはダとバだけのはずです。現代中国人が日本語の濁音に苦労するのも、彼らの頭のなかに濁音がないからです。どうも森先生は、頭にない音は聴き取れないという現象を理解しておられないように思われます。おそらく有坂氏の「同一の音韻」という表現にひかれてそのまま「混用した」とつなげたのでしょうが、中国人はダに移行した音をナと聴くはずがない。それでどうしてナの仮名が書けるのでしょうか。

 実は有坂氏がナとダの差異を「同一の音韻」と表現したのは、唐代長安でも「人により場合によつて」は「難 'dan, nan 耨 'dog, nogのやうに、発音上に多少動揺の存したこと」、つまり中国人もダと言ったりナと言ったりしていたフシがあり、「外国人の耳には、その発音上の差異が明瞭に感ぜられた」が、中国人には「相異なる音韻として意識されてゐたわけではなく」、「同一音韻の二つの相異なる音声的実現に過ぎなかつた」、つまり中国人自身、ダと言ったりナと言ったりしていたが、彼らの頭のなかでは一つの音(ダ)だったと言っているのです。ところが、森先生はこの有坂発言をつぎのような問いの答えとして引くのです。

> 当時の北方音に依拠したα群の表記者は、善無畏のように、〔唐〕韻字を
>「マ」「ナ」に専用し、〔歌〕韻字を「バ」「ダ」に専用すれば、少なくと
> もア列音では鼻音と濁音とを書き分けられたのではないかと考えられる。
> (中略)なぜα群の表記者は、善無畏のように〔唐〕韻字と〔歌〕韻字を使
> い分けなかったのだろうか。

 さて、先の有坂氏の発言はこの問いの答えになっているでしょうか。私には全然ちがう話に思われます。唐韻字が問題になるのは非鼻音化してナ>ダ、マ>バと変化した結果、ナとマを表記できなくなったからであり、有坂氏がいうのはナもダもまだ長安には残っていて、それを外国人は識別できたという話です。この有坂氏の話を受けた森先生の結論はこうです。

> つまり、鼻音と鼻濁音との音韻論的対立は、当時の北方漢語にはなく、中
> 国人自身にとっては識別が困難であった。一方、日本人にとっては両者の
> 弁別は容易なことであった。したがって、もしも日本人が表記したのであ
> れば、少なくともア列における鼻音と濁音とを書き分けることができたで
> あろう。(以上、『古代の音韻』150~151頁)

 唐韻字の設問は一体どこへ行ってしまったのでしょう。また、末尾の「少なくともア列における鼻音と濁音とを書き分けることができたであろう」は、前文では「当時の北方音に依拠したα群の表記者」が主語だったのに、ここでは「日本人」になっています。これは「α群の表記者」=「日本人」ということでよろしいのでしょうか。

 要するに、有坂論文の引用を境に主語がいつのまにやらすり替わっているわけで、それが『謎を解く』にいたると、このa(2)の冒頭に引いたような「日本人(マ・バ、ナ・ダを区別する日本語母語者)であれば、中古音でng韻尾をもち音声的に非鼻音化の進行が遅れていた唐韻(-ang>-a~)の漢字をマ・ナに専用できたはずです」云々の強弁になるわけです。唐韻字を使ってマ・ナを表記すべきなのは、仮名をもたないインド人と、その音韻を喪失した中国人であって、日本人ではありません。

 このように、森説の形成過程を確認したうえで、あらためてナとダの使い分けについて考えてみましょう(数字は用例数、音価は中古音による。以下同じ)。

  ナ:乃(nʌi)1、娜(nɑ)1、儺(nɑ)25、那(nɑ)24、奈(nɑ)2
  ダ:多(tɑ)4、柂(dɑ)2、嚢(nɑng)1、陁(dɑ)2、娜(nɑ)6

 これはα群で使われたナとダの仮名ですが、「娜」以外はきちんと使い分けてあります。その「娜」は確かに非鼻音化(nɑ>ndɑ)の反映といえますが、そのほかの「同一の音韻」である「儺」「那」「奈」は非鼻音化していなかったのでしょうか。もちろんそうではなく、森先生もこれを「中国人にとって『やむを得ない混用』」とされていますが、これら3字母はダと混用していません。そしてβ群のナをみると、儺22・那46・奈19の呉音系3字母だけで、しかもα群の字母とぴったり一致します。さて中国人はこれらの仮名をどこからもってきたのでしょうか。

 このように、同じnɑ(ndɑ)の字母を一方ではナに使い(儺・那・奈)、他方ではダに使う(娜)という使い分けは、日本人にしかできなかったはずです(なお、ダに使われている「嚢」は森先生がナに使うべきだとおっしゃった唐韻字ですが、1例だけなのでここでは無視しておきます)。それとも森先生のおっしゃる「混用」とは、中国人がナもダもみなダのつもりで書いたとお考えなのでしょうか。それでは日本語にならなくなってしまい、結局は日本人が直すことになるでしょう。

 ついでにマとバについてもみておきます。

  マ:麽(muɑ)12、馬(ma)1、魔(muɑ)8、磨(muɑ)19、摩(muɑ)10、麻(ma)33、莾(mɑng)1
  バ:魔(muɑ)5、播(puɑ)2、波(puɑ)1、婆(buɑ)1、麽(muɑ)10、磨(muɑ)4

 α群の「播」「波」「婆」はハの常用字母であり(ハ:播35・波17・婆13例)、残るバの字母(魔・麽・磨)はみなマと共通するので、ここでは非鼻音化(muɑ>mbuɑ)の影響がより顕著だといえます。ところがβ群の方をみると、

  マ(β):魔(muɑ)2、磨(muɑ)16、摩(muɑ)62、麻(ma)6、莾(mɑng)27、末(muɑt)3
  バ(β):麽(muɑ)26、磨(muɑ)4、縻(mie)1

というように、バが全てm声母(明母)になっていて、非鼻音化がより一層進展した情況を呈しています。森説によると「β群の表記者は正音(漢音)に暗く、α群を見て、呉音で濁音の仮名が清音になり、呉音で鼻音の仮名が濁音になるという印象を得た」とされていますが(『古代の音韻』156頁)、β群の「麽」はバの専用字母で、α群のようにマとバに混用していません。これを森説では一体どのように整合的に説明するのでしょうか。

 思うに、マとバの混用を非鼻音化の影響として説明するのは正しい。しかしそれを中国人の仕事だというと、こういう無理が出てくる。ここはβ群がα群を参照したなどと無理をいわずに、β群にも唐代北方音の特徴をもつ字母があると考えればすむことです。すると、β群にもさまざまなレベルの漢字音が混在することになり、またα群にも上記のナの使い分けのように日本語との調整をへた部分があって、それらを総合すると、α群はβ群よりも原音に近いという結論に落ち着くのだと思います。

 ところで、マとバの仮名にはもう一つ問題があります。α群のマに「麻」と「馬」(ma)がある点です。日本人は前舌aと奥舌ɑのアを区別しないが、α群は「マ」を除いて全て奥舌のアを用いるという、森説の有坂「倭音説」批判第三の但し書きに出てくる問題ですが、この例外の「マ」について『謎を解く』ではこう説明されています(82頁)。

> 「マ」の頭子音には、〈明〉母(中古音[m-])が最適ですが、これは最も
> 円唇性の強い声母です。そのため〈明〉母に続く奥舌[-ɑ]韻はその同化作
> 用を受けて[-ɔ]に近い音色となり、もはや「マ」の母音に最適ではなく
> なっていたのでしょう。

 ちなみに『古代の音韻』ではこうなっています(23頁)。

>「マ」に〔戈一〕・〔麻二〕両韻が併用された理由は、「ワ」に次いで唇の
> 円めが強いのが「マ」であることによる。奥舌母音[ɑ]は子音mの後では
> [ɔ]に近い音色となるので、〔戈一〕(=〔歌〕)韻は「マ」には最適でな
> くなる。それゆえ、前舌母音である〔麻二〕韻も用いられることになった
> のであろう。

 ここにいう〔麻二〕aが前舌のア、〔戈一〕uɑ(〔歌〕ɑ)が奥舌のアですが、円唇子音mのうしろでは母音四角形(イ-エ-ア-オ-ウ)の上で奥舌のアがオɔに下がりやすいという説明は正しい。しかし、皆さんもお気づきのことと思いますが、このm声母は当時、非鼻音化してmbに変化していたはずです。b子音そのものは円唇性は弱く、しかも破裂音(唇を閉じてから一気に開く音)ですからアは発音しやすかったはずです。したがって、母音後退説は成り立たない。百歩譲ってmbでも母音が下がりやすいとすると、非鼻音化によって混用が生じたバについても同様の現象が起こったはずですが、「マ」を除いてはそういう現象は起きていない。つまり、ここの例外の説明は全く成立しないのです。しかも問題なのは、「〈明〉母(中古音[m-])が最適ですが」の「中古音」という注記のしかたからすると、どうも森先生ご自身、この問題に気づいておられるらしいことです。一方で中古音m>唐代北方音mbの変化による混用を説き、他方では中古音のまま例外をつぶす。これはまさしくダブルスタンダードというべきではないでしょうか。

> α群では、枝を「曳多(エタ)」、水を「瀰都(ミツ)」のように、
> 日本語の濁音を「多」「都」などの全清音(無声無気音)字で表記し
> た例が、7字種・延べ11例用いられているという問題です。しかも、
> これら11例はすべて高平調の音節でのみ現れた誤用なのです。日本人
> が表記したβ群には、このような誤り(日本語濁音に全清音字を当て
> る)は1例もありません。

 a(3)清濁の混用。万葉仮名における清濁の混用は、『古事記』には少ないが、『万葉集』には多い。いま手許にある中西進編『万葉集事典』「万葉仮名一覧」をみても、森先生が強調されるエダの「多」やミヅの「都」をはじめとする7字母の内、「底」字を除く6字母が清濁混用の仮名とされています。したがって、日本人が清音の仮名を濁音に用いることじたいは問題にならない。百歩譲ってこれを無視するとしても、前回指摘した日本人助手説の問題(中国人には原史料の仮名が読めない)をどう乗り越えるのかが問題になります(森先生からはまともな回答をいただいていません、後述)。それをまた強要しないことにしても、「多」と「都」については別の解釈が成り立ちます。

  ダ:多(tɑ)4、柂(dɑ)2、嚢(nɑng)1、陁(dɑ)2、娜(nɑ)6
  タ:陁(dɑ)35、駄(dɑ)7、柂(dɑ)24、多(tɑ)15

 これはα群のダとタの仮名で、ダは再掲ですが、これをみると、ダに全清音の「多(tɑ)」が使われていることもさることながら、タに全濁音(定母)の「駄(dɑ)」「柂(dɑ)」「陁(dɑ)」を用い、「多」と「柂」「陁」がダとタに混用されている点にこそ注意すべきでしょう。

  ヅ:逗(dəu)6、都(to)1、豆(dəu)7
  ツ:覩(to)1、豆(dəu)1、逗(dəu)1、都(to)34

 α群のヅとツも同様で、ヅに「都(to)」を使っているのも問題ですが、ツにも「豆(dəu)」「逗(dəu)」を使っていて、それらがみなヅ・ツ混用になっているわけです。

 これらは結局、濁音の無声化によってダとタ、ヅとツの区別が動揺していたか、あるいは『万葉集』と同様に清濁混用していたとみるべき現象でしょう。事実、『古代の音韻』では上記の「陁」と「柂」、「豆」と「逗」を挙げて「『無声化』の最も遅れた〈定〉母にも、当然ある程度の『動揺』があったものと推測される」根拠とされています(48頁)。したがって、「多」と「都」もその動揺の根拠とみるべきです。これもまたダブルスタンダードの一例ではないことを願いますが、ともあれ、「多」と「都」だけを問題にするのではなく、字母の選びようをみれば、それほど解釈に苦しむ問題ではないのです。

 以上の論述から、森説には音韻体系と聴き取り能力の関係に対する基本的な考え違いがみられると同時に、字母の選択という観点が抜け落ちていることがわかるでしょう。

 後者は実は拙論で紹介した森・平山論争のポイントであって、森先生が書紀の仮名を音としてとらえていたのに対し、平山先生は基本的に文字としてとらえていた。だから歌謡の筆者は一定の字母のなかから選んで書いたはずだといわれたわけで、それじたいは至極当然な考え方ですが、平山先生はその選択の基準を筆者の「嗜好」とされたため、森先生から「振るたびに偶数の目が出る骰子には仕掛けがある」と批判された。それで勝利宣言をした森先生には字母の選択という論点が抜け落ちたのだと思われますが、しかしα群の「仕掛け」を考える上でも字母の選択は重要な問題でしょう。唐代北方音に依拠するとはいっても、それはあくまでも音韻体系の異なる日本語の発音にすり合わせるという作業と一体不可分です。そして、そのすり合わせ(調整)の結果が上にみたような字母の選択のしかたにあらわれているのであり、その調整の能力は日本語を解さない中国人にはもちえないということを前回、申し上げたわけです。

> 時伊奘冉尊曰、愛也吾夫君、言如此者、吾当縊殺汝所治国民、日将千頭。
> 伊奘諾尊乃報之曰、愛也吾妹、言如此者、吾則当産日将千五百頭。【伊奘
> 諾尊乃ち報へて曰く、愛しき吾が妹、如此言りたまはば、吾は日に千五百
> 頭を産まむ】」
>
>「吾夫君」に対して「吾妹」が呼応している。夫婦である。井上氏が明らか
> な嘘をついてまで私を中傷する目的は何なのか。

 残るb(1)の「嘘」(イザナキとイザナミは兄妹ではない)については以前、「イザナキを『夫君』と書いてあるのは古語のツマの当て字でしょうし、そもそも同時生成の男女神を兄妹と見ることのどこが『嘘』なのか、正直よくわかりません」と書いたとおりで、それ以上の考えは特にありませんが、ここをよむ読者は彼らが兄妹神であることを知っているのですから、彼らが夫婦になったあとも、その属性に変わりがない以上、ここでわざわざ注を書いて「吾妹」が妻の愛称だと説明する必要はないでしょう。それに、この「吾夫君」「吾妹」の対句にこだわるのは一つの漢文の解釈なのですから、その解釈をとらない者を嘘つき呼ばわりするのは明らかにやりすぎで、「最低のマナー」にも反しているでしょう。

> 井上論文は、太田の研究に触れず、「この一点だけでα群全体を覆えるも
> のなのであろうか」(99頁)と書き、『謎』が「注ひとつ」だけで安易に
> 判断したかのように書いたのです。『謎』を読んでいない一般読者が井上
> 論文だけ読めば、『謎』はそうした議論をしてるのかと思うでしょう。こ
> れは、「廼」の場合も同様です。
>
> 井上氏は、今回の反論では自分は「α群とβ群の前後関係について批判を
> 加えている」のだから「廼」に関する森説も認められないと書いています
> が、そうであるなら、井上論文では、「『古』は「廼」についてこう説明
> しているが、α群とβ群の前後関係は不明なのだから、それは証拠にはな
> らない」と批判すれば良かったはずです。そうなっておらず、不利な事例
> を隠しているならインチキだと論じていた以上、『古』では自説の証拠の
> 一つとして論述されていることを見落として非難したことを認めるべきで
> す。補足説明や反論は、その後のことでしょう。

 ここで石井先生が指摘されたように、拙論に誤解を招く可能性があったことは認めます。また、a(2)非鼻音化のデータをとる際に、『古代の音韻』155頁の最後の3行を見落として「廼」字を反証に挙げたことも認めます。もとより「とんでもないインチキ」などは撤回するにやぶさかではありませんが、a(2)に関する私の批判が「廼」字にとどまらないことは今回ここにしめしたとおりですし、上記のようにβ群に唐代北方音の影響を認める立場からすれば、「廼」字はもとより、その他の漢音声母+呉音韻母の4字(倍・陪・苔・耐)もまた反証の一つとなることに変わりはありません。

 この155頁は漢音声母+呉音韻母という奇妙な例を挙げてβ群がα群を参照したということを述べたところですが、「中国人ならやるはずがないこと」がβ群にあっても問題にはなりませんし、それがまたどうしてβ群がα群を参照した「証拠」になるのでしょう。むしろ反対に、今回挙げたナとダ、マとバの仮名の使い分けからはα群がβ群を参照したとさえいえるのです(これはα群がナとマを聴き取れないと仮定した話ですが)。

 それに、非鼻音化のデータを『謎を解く』はもとより、『古代の音韻』の本論のどこにも挙げていないという点は、今回ここに暴いた勘違いやダブルスタンダードなどとともに、やはり専門家として如何なものかと思わざるを得ないところだと思います。これらは専門外の研究者や一般の読者からすれば、日本の中国音韻学の信用にかかわる問題ではないでしょうか(念のため、私が言いたいのは、今回のような検証作業は本来、専門家どうしでやっておくべきことで、こんな他流試合の場でやる必要のない仕事だという意味です)。

 以上、拙論では述べなかった論点を補ってみました。これまではコメントとして私見を簡潔に述べてきましたが、今回は補論として詳細に書きました。結果、森説には音韻学者としてもかなり基本的な勘違いや問題点が存在することを指摘しました。そんなバカなと思われるだろうと思い、その問題や勘違いが形成された過程や事由もなるべく詳しく書きました。これで、この論争の問題点が学問領域を分けるdiscipline以前のものであることがハッキリしたと思いますし、またこれで「根気よく」「丁寧に」自説をくり返されることもないと思いますが、石井先生も問題にされている書紀編修論をふくめて、真摯にお考えいただくよう願うばかりです。とはいえ、私もここまで書いた以上、森先生に私の批判を受け入れていただけるとは思っておりません。今回のコメントでも、

> 井上さんは、「日本人が読み上げた段階で清濁は正しかったはずです。そ
> れをたまたま中国人が10例ほど聞き違えたというならば、それこそ偶然の
> 誤りなのではないでしょうか。」と述べています。しかし日本人なら、枝
> を「エタ」、水を「ミツ」などと間違えるはずがありません。これがα群
> 中国人表記説の最大の根拠です。

という意味不明な反論をされていますが、私の反問の意味がおわかりにならないようですから、もう一度説明します。拙論では中国人編纂官が清濁を正しく書いた原史料を誤って訂正する理由はないと書きましたが、日本人の助手が歌謡を読み上げたとしたら、原史料に多少の混乱があっても、その段階で清濁などは修正されるから、結局、原史料に清濁が正しく書いてあるのと同じだということです(石井先生は、日本人にも読めない原史料があり、勝手に変えた部分もあるのではないかとお考えですが、それはまた別の問題です)。またそもそもこの方法では日本語を解さない、つまり日本語の音韻体系が頭のなかにない中国人に日本人の読み上げる歌謡が聴き取れるはずがない。石井先生はゆっくりやったのではないかとおっしゃいますが、私が言うのはそういうことではなく、上にも述べたように、ナ・マがダ・バになったり、濁音がみな清音に聞こえるわけですから、日本語の語の識別を無視したメチャクチャな文面になってしまう(日本語初心者に作文を書かせると、よくそういうことが起こりますが)。それでは結局、日本人が直さなくてはならないので、日本人が表記したのと同じことになりますし、大体そんなまわりくどいことをするはずがないだろうということです。

 今回、私がしめしたように、一つ一つの音に対応する字母の選択のしかたをみてゆけば、これは無理に中国人が書いたと考えなくてもよいということが納得していただけるだろうと思います。ここに取り上げたのはもっとも中国人的な特徴をあらわすところの仮名ですから、これだけでも中国人説の当否を検証するには十分なはずです。

 ともあれ、私なんかよりずっと長く他流試合に身を置いておられる森先生が、ご専門の音韻論と誤用論に絶対の自信をおもちなのはよくわかります。しかし相手がこうしてわざわざご専門の領域に踏み込んで書いているのですから、せめて私が何を考えて書いているのかは考えていただきたい。私にとっては後半の編修論のあたりでやり合う方がずっと楽なのですし、文献史学の立場からは実際それだけで十分なのです。このように申し上げても、これまでのような扱いをされるようなら、こちらももうすぐ新学期が始まりますし、そろそろこの場外乱闘からも失礼させていただこうと思います。

  8月26日 北京の寓居にて

井上 亘拝