聖徳太子研究の最前線

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「井上さん、論点をそらさないで下さい」……森博達氏自身による反論

2011年08月23日 | 論文・研究書紹介
 井上亘氏の再反論「中国人ではありえない理由」に対して、森博達氏が早速反論を寄せられましたので、掲載させていただきます。
(ブログ作者:石井公成)
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「井上さん、論点をそらさないで下さい」

                        森 博達

 井上さん、ご反論、有難うございます。
                     
 今回の「論争」の発端は、拙著『日本書紀の謎を解く』に対する井上氏の批判にあります。井上氏は「『日本書紀』の謎は解けたか」(大山誠一編『日本書紀の謎と聖徳太子』平凡社、2011年)で、音韻学の概説(中国音韻学、中古音の概要)から始め、「書紀音韻論」では平山説(α群倭音説、α群原音―倭音説)によって、私のα群原音依拠説を批判しました。井上さんは中国語学のイロハを知らず、小学や音韻学(中古音・唐代北方音等)について数多くの初歩的な誤りを犯し、その「書紀音韻論」では決定的な誤解に基づいて拙著『謎』を批判しました。、私がそれらの誤りや誤解を指摘したところ、井上さんは「アラ探し」と居直りました。このあたりの「論争」については、某氏のブログ「天漢日乗」(8月18日)で次のように評されています。

「ところで、disciplineの違いによる相互不理解なのだが、
 森博達先生は、根気よく、井上亘氏の「反論」に答えて
 おられるので、頭が下がる。基本的に井上亘氏の中国語
 音韻学に関する知識の問題に起因すると思われる誤解に
 答えておられるのだが、こういう論争は、おそらく中国
 語学のdisciplineを経ていない井上亘氏には、到底納得
 できないという話になっちゃうんだろうな。」

 ある意味で、非生産的な「論争」です。「アラ探し」という非難をうけて、「井上論文の骨や肉はどこにあるのですか?」と尋ねたところ、「ポイント」として4点を挙げられました。私は前回のコメントで丁寧に解説し、その4点を悉く論破しました。井上さんは今回のコメント(8月22日)で、それに正面から答えず、「逐一反論すると長くなりますし、読者の皆さんもそろそろ飽きてきたでしょうから、今回は少し角度を変えて」、と論点をそらしています。

 つまり、4点の「核心」についての私の批判に正面から答えられていないのです。肝腎要の核心です。長くなってもかまいませんし、読者の皆さんもぜひ訊きたいところでしょう。逃げずに丁寧にお答えください。

 なお、井上氏のコメントは今回も拙著『謎』『古』についての誤解に満ちているので、説明を補足しておきます。

(1)α群ではカ行を除いて次清音(無声有気音)字の使用を回避している問題です。前回のコメントでこう記しました。

「『音声学的な気音の強弱についても、当然、中国人が敏感なのに対し、日本人は鈍感である。したがって日本人であれば、中国語が堪能であっても、α群のように子音による条件的な気音の強弱を書き分けることは、きわめて困難である』(『古』149頁、『謎』104頁でも例も挙げて説明しています)。その困難さは、日本語母語者である井上さんが、日本語を聞いて個々の気息音の把握を試みられればお分かりになることでしょう。」

 井上さん、日本語の気息音の把握を試みられましたか? なお、日本人が複数の字音体系を混用して倭音(漢字の日本音)で表記したβ群歌謡では、次清音字が13字種・延べ155例用いられていますが、その使用はアトランダムで法則性は見られません。つまり当然のことながら、日本語の気息音を正確に表記することなど、β群の日本人表記者にはできなかったのです。

(2)α群で日本語の鼻音マ・ナ行と濁音バ・ダ行を書き分けていない問題です。井上さんは今回のコメントで、次のように述べられています。

「もし仮に両先生がいわれるように、(2)非鼻音化や(3)濁音の無声化が相当程度進展していたならば、ナ・マはダ・バになり、濁音のほとんどは清音になっていたわけですから、中国人には鼻音のナ・マが聴き取れず、非鼻音化したダ・バはよいが、ガ・ザもほとんど聴き取れないことになります。α群の仮名がそういうふうになっていたなら、これは確かに中国人が書いたものだと信じましょう。しかし実際にはそうなっていないわけで、森先生もご著書のなかで、非鼻音化したはずの字母がα群で鼻音のナ・マに使われている点について『やむを得ない混用」と説明されています(『古代の音韻』49頁)。つまり、日本語のナ・マが書けないと困るから混用したということですね。では、それは誰にとって「やむを得ない」ことなのでしょうか。もちろんそれは日本人の方です。」(下線太字は森)

 違います。中国人にとって「やむを得ない混用」なのです。
唐代の正音(北方標準音)では、中古音の全濁音は無声音化しました(並母b>p、定母d>t)。その間隙を埋めるように、中古音の鼻音声母は鼻濁音になりました(明母m>md、泥母n>nd等)。つまり当時の正音には日本語にピッタリ適合する鼻音(m・n)も濁音(b・d)も無かったのです。それゆえ、中国人表記者は明母字をマ行とバ行に併用し、泥母字をナ行とダ行に混用せざるを得なかったのです。 

 日本人(マ・バ、ナ・ダを区別する日本語母語者)であれば、中古音でng韻尾をもち音声的に非鼻音化の進行が遅れていた唐韻(-ang>-a~)の漢字をマ・ナに専用できたはずです。そしてバ・ダには歌韻字を用いれば、区別できるわけです。つまり、次のように書き分けられるのです。

 マ(ma):莾(mang>ma~、漢音マウ)――バ(ba):摩(ma>mba、漢音バ)
 ナ(na):曩(nang>na~、漢音ナウ)――ダ(da):娜(na>nda、漢音ダ)

 実際、中天竺出身の善無畏は梵文字母表の対訳で、このように書き分けています。ところが、中国人はこのような区別することができなかったのです。外国人の耳には区別できる鼻音と鼻濁音は、中国人にとっては同一の音韻だったので区別できなかったのです。有坂さんが説くとおりです(有坂秀世「メイ(明)ネイ(寧)の類は果して漢音ならざるか」、『古』149~150頁参照)。書紀α群では善無畏と違って、マとバ、ナとダを区別していません。これがα群中国人表記説の第2の根拠です。

 なお、バ・マやダ・ナと異なり、日本語のガ行には濁音と鼻音の音韻論的対立はありません。したがって両群ともガ行には疑母(ng->ngg-)を専用しています。ザはα群では「蔵」(dzang>tsa~)の1例のみ。この用字については『古』56~57頁・127頁で説明しましたのでご覧ください。

(3)α群では、枝を「曳多(エタ)」、水を「瀰都(ミツ)」のように、日本語の濁音を「多」「都」などの全清音(無声無気音)字で表記した例が、7字種・延べ11例用いられているという問題です。しかも、これら11例はすべて高平調の音節でのみ現れた誤用なのです。日本人が表記したβ群には、このような誤り(日本語濁音に全清音字を当てる)は1例もありません。

 井上さんは、「日本人が読み上げた段階で清濁は正しかったはずです。それをたまたま中国人が10例ほど聞き違えたというならば、それこそ偶然の誤りなのではないでしょうか。」と述べています。しかし日本人なら、枝を「エタ」、水を「ミツ」などと間違えるはずがありません。これがα群中国人表記説の最大の根拠です。

(4)α群巻14「雄略即位前紀」の「吾妹」に付けられた「称妻為妹、蓋古之俗乎」という非常識な分注の問題です。玉稿(99~100頁)では、「雄略紀以外はみな実の妻を指している。反対に言えば、妻を指して「吾妹」と言った例は雄略紀だけなのであるから、ここにこう言う注記があってもおかしくない」と書かれています。これが嘘であることは、再三指摘しました。つまり、井上さんは嘘に基づいてα群中国人表記説を批判しているわけです。今回のご反論では「角度を変えて」、論点をそらせるのではなく、(4)について「嘘」の弁明から始めるのが最低のマナーでしょう。

 以上です。井上さんは前回のコメント(8月17日)で、「拙論を批判するなら、この4点を論破すればよいのです」と言われました。それを受けて、私は前回のコメント(8月18日)で、丁寧にその4点を批判したわけですが、今回のコメント(8月22日)では論点をそらしています。折角の機会です。長くなっても結構ですので、私の批判に正面からお答えください。読者の皆様もそれを期待されているはずです(このブログは臨場感があって素晴らしいですね。面白くて為になり、しかも閲覧無料)。

 なお、私は25日に訪韓して、9月5日に帰国する予定です。訪韓中は、忠州で開催される「韓国木簡学会夏季セミナー」で特別講演「日本書紀に見える韓国古代漢字文化の影響(続篇)」、成均館大での特講「魏志倭人伝と弥生時代の言語」、ソウル大の奎章閣コロキアムでの講演「日本書紀に見える韓国漢字文化の影響」を行います。また各地の史蹟なども巡るので、PC環境が整わず、すぐにコメントを書き込めないかもしれません。ご了解ください。このブログのことは、韓国でも宣伝に努めます。(8月23日記)

井上亘氏の反論「中国人ではありえない理由」への疑問

2011年08月23日 | 論文・研究書紹介
井上さん、

 再々のご意見、有り難うございました。ただ、立場が少々異なる二人を相手にしているせいもあるのでしょうが、どうも論点がずれた解答、ずらした解答がなされている感じがします。

 まず、最初に確認しておきたいことは、私は述作者名などの細かい点についてまで森説すべてに賛成しているわけではないということです。このことは、連載第四回目の記事とそれをめぐる森さんとのコメントのやりとりの中で明言した通りです。

 ただ、私はα群説は画期的な業績だと思いますし(成立論についても、作業内容の解明や述作者の条件の絞り込みなどがかなり進んだ点は評価しています)、また『謎』での誤用などの分析方法については今後の研究に役立つものとして非常に高く評価しており、それをどのように活用できるかという視点で『謎』を見ています。ですから、「成立論の論証方法をもっと厳密にせよ」という立場で批判を重ねていく井上さんとは、話がかみあわないのですが、私が井上論文を連載で批判したのは、森説を批判する理由が強引であって納得できない場合が多いためでした。

 また、批判連載に続いて、批判するなら「ポイント」を批判してほしいというご要望に応えて書いた前回の批判記事での重要な点は、井上論文は『謎』や『古』をきちんと読まずに批判しているということです。私が連載の最終回で、井上氏の著書に対する榎村氏の書評から「先行研究の消化不良」という言葉を引いたのは、井上論文が森説批判に急であって『謎』や『古』を熟読してないように思われたことも一因です。音韻論議なので連載では触れせんでしたが、「廼」に関する議論はその典型です。

 『謎』や『古』の読み込み不足という点は、森さんも前回の批判で指摘していましたが、今回の井上さんの反論は、この点にきちんと答えてませんね。

> 拙論は、(1)日本人が有気音を区別できてもおかしくはない、
……
> この拙論に対して、(1)森先生はβ群のデータを挙げて「困難」
> だといわれ、石井先生もまたβ群を例に出して当時の日本人が気
> 息の有無に敏感であったとは言えないといわれる。

 私は、井上論文が「当時の日本人は現代のわれわれよりも声母の清濁と気息の有無にずっと敏感であったと考えられる」(90頁)と一般論的に書いていたため、β群では厳密に区別されていないことから見て、日本人一般の議論としてはそれは成り立たないだろうと書いただけです。

 私は、そのすぐ後で、「入唐して学んだ結果、『無気音と有気音を区別できる』ようになった日本人はいたかもしれませんが」と書いており、そうした人がいた可能性は認めています。問題は、そのように中国語の達人となったとしても、日本で生まれ育ったのであれば、そうした人がα群述作の責任者となって、日本人から見ておかしい清音・濁音の混同を11箇所もの所でするとは考えにくい、と述べたのです。

>  (2)拙論で挙げた「廼」字について両先生ともに「特殊な仮名」
> とされ、その他のα群と共通する例について石井先生はβ群がα
> 群を参考にして書いたとする森説に準拠して問題ないとされる。
> 特例(奇用?)と言われればそれまでですが、後者については拙
> 論でα群とβ群の前後関係について批判を加えているわけですか
> ら、この説明にも従えません。

 これは、森さんや私の指摘にきちんと答えていません。「廼」を「ド」や「ノ」の音として使うことは、β群だけの用例です。森説では中国人がしがちだという混同がβ群だけに登場する「廼」の仮名表記にも見られるから森説は成り立たない、というのが井上論文の議論でした。しかし、「廼」を「ド」の音とするのはβ群ならでは奇妙な例であって、中国人ならやるはずがないことを、『古』は明記していました。井上論文は、それを見落とし、「このような反証を隠して論拠にあげているとすれば、とんでもないインチキということになる」(92頁)と非難していたのです。しかし、森説にとって、「廼」は自説に有利な例であって、隠さねばならない「反証」ではありません。

 井上氏は、今回の反論では自分は「α群とβ群の前後関係について批判を加えている」のだから「廼」に関する森説も認められないと書いていますが、そうであるなら、井上論文では、「『古』は「廼」についてこう説明しているが、α群とβ群の前後関係は不明なのだから、それは証拠にはならない」と批判すれば良かったはずです。そうなっておらず、不利な事例を隠しているならインチキだと論じていた以上、『古』では自説の証拠の一つとして論述されていることを見落として非難したことを認めるべきです。補足説明や反論は、その後のことでしょう。

> 校生どうしが音読して校正を進めたといった可能性はかなり
> 低いと思われます。もちろん一切経と書紀では書物の性格も
> 規模もちがいますが、同時代の校正作業が詳しくわかる実例
> としてご紹介しておきます。

 おっしゃるように、既に完成している経典を分業による大量生産方式で書写していく写経所の方式と史料を元に原稿を作っていく『書紀』の編纂事業を比べるのは無理でしょう。写経の場合、日本では、字を見て写していくせいか似た字と間違えることが多く、敦煌文書の場合は、一人で書写する場合はひとまとまりを読んで音で写すか、二人の場合は一人がゆっくり読み上げて一人が書く方式もあったようで、似た音による間違いが目立ちます(音通字が多かったというだけではないです)。

 それはともかく、経典を例にあげるなら、優婆塞貢進解では、「この者はこれこれの経は(本を見ればすらすらと)読誦でき、この経典とこれこれの陀羅尼は暗誦できる」と記するほど、奈良時代は音読・暗誦を重視していたという面もありますね。優秀な優婆塞は、実際、かなりの数の経典を身につけていました。中国人知識人の場合は、儒教の経典や有名な文献は暗唱するか音読で馴染んでおり、そうした伝統的な学び方が文章を作成する場合にも適用されたでしょう。少なくとも、公的な場で読み上げられるような重要文書を書き、それを再読して確かめる場合、すべて黙読ですますというのは考えにくいことです。

> それを言うなら日本人の編纂官の下に中国人の助手がいたと
> 考える方が自然です。

 私も以前はその説でしたが、考えを変えました。ただ、『謎』では、方針や記述方向を指示するのは、官位が上位の日本人とされてました。詳しい考察はなされていませんが。

 なお、井上論文が想定する編修過程では、「編集作業は非常に短時間に行われた可能性が大きい。……添削担当者のクセや能力差がα群とβ群という形で出たと考える」(111頁)とのことでしたが、これに中国人助手説を合わせると、漢字音と文章のチェックのために中国人助手を雇っておりながら、巻14~21と巻24~27だけ手伝わせ、重要な天照大神関連記事・神武紀・神功紀・仁徳紀・推古紀・天武紀や、最新の持統紀などには関与させなかった、ということになります。「森の仕事をこのように読み替える」(111頁)という井上流『書紀』成立論は、『謎』の成立論よりあり得ない想像に見えます。井上説は、中国人助手説ではないのでしょうが、その場合もこの不自然さは残ります。

> そもそも日本語を解さない中国人に日本語の音節を正しく
> 聴き取ることが果たしてできたのでしょうか。

 日本人が読み上げるのであれば、区切って読むでしょうし、意味も説明することになるでしょう。そのようにしてもらえれば、古韓音や呉音で書かれた史料も多少は参考にできるでしょう。その日本人でさえ、分からない部分があり、分かる形に変えてしまった個所もあるかもしれませんが。

 梵語や仏教梵語などの経典を翻訳する際は、連声している梵文を三蔵が「たろうちゃんちにっちゃって~」などと暗唱で、あるいは貝葉を手にしてまず読み上げ、それをその三蔵か梵語が出来る中国僧が「たろう、ちゃんの、うちに、いって、しまって」などと区切り、それを別の人が漢語に直します。さらにその順序を漢語の語順に組み替え、それを潤色し、再点検し、さらに……という具合でいろいろ作業があるのです(こうした手順や分担の人数は時代や訳場の状況によります)。「言って」なのか「行って」なのかといった問題は、その三蔵が決定するのが原則ですが、実際はそうでない場合もあったようです。鳩摩羅什などは後には漢詩の贈答をするに至るほど漢語に上達していますが、三蔵の漢語能力や補助する中国僧の梵語能力によっては、こうした作業はかなり大変だったようで、初期のものには誤訳が多く含まれています。『書紀』の場合も、歌謡が元の歌謡通りに正しく仮名表記されている保証はなさそうに思います。

> 残るb(1)注一つだけで
> 全体を覆うことはできないとした拙論について、両先生とも
> に一つではなく太田説を一歩進めたにすぎないということで
> すが、その一歩を進めた根拠が上のa音韻論なのですから、太
> 田先生の躊躇を解くまでには未だ至っていないといわざるを
> えません。

 違います。『謎』ではその「注一つだけで」判断したのではなく、太田善麿が問題にした「複数の注」と音韻の面から判断したのです。井上論文は、太田の研究に触れず、「この一点だけでα群全体を覆えるものなのであろうか」(99頁)と書き、『謎』が「注ひとつ」だけで安易に判断したかのように書いたのです。『謎』を読んでいない一般読者が井上論文だけ読めば、『謎』はそうした議論をしてるのかと思うでしょう。これは、「廼」の場合も同様です。

 まず、認めるべきことを認めてから補足説明や反論をすべきだと思いますが、いかがでしょう。