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建立は金堂が先だが設計概念は五重塔が元: 木本次憲氏・稲山正弘氏の建築学史発表

2011年04月30日 | 論文・研究書紹介
 前回、金堂の複製壁画の展覧会を紹介しましたので、続けて金堂に関する最近の論文をとりあげます。環境計画事務所長の木本氏と、木造建築工学を専門とする東大准教授の稲山氏による、実験に基づく考察です。

木本次憲・稲山正弘「法隆寺金堂の構造概念に関する一考察」
(日本建築学会『学術講演梗概集』[2010 F-2 建築歴史・意匠]、2010年9月)

 学会での発表梗概であるため、僅か2頁ですが、写真がたくさん載っており、勉強になりました。

 この発表では、両氏が金堂初層の軒先隅部の2分の1縮尺モデルを用いて行った荷重実験、昭和の大修理工事の報告書、西岡常一棟梁の談話に基づき、「現存法隆寺の創建当時の構造的意図を推測」しています。

 専門的な内容は省きますが、実験の結果、金堂の軒先は、「鉛直荷重に対して全体として立体的にバランス」がとれる構造になっていることが確認された由。一方、法隆寺の五重塔は「詳細から架構概念まで金堂と殆ど同じ」であり、薬師寺東塔も、やや異なる点がありながら、法隆寺で採用された構造特性を保っているように見えるとします。

 そうなると、法隆寺金堂が以後の諸寺の五重塔の構造設計の元になったようであって、実際、言われているように建築順序はその通りだったと考えると述べたうえで、しかし、構造の概念は塔の方が先だったのではないか、と両氏は推測します。

 つまり、漢代の墓から出土している陶製の楼閣の中には、薬師寺東塔そっくりのものもあるため(写真を見ると、ビックリするほど似てます)、木造楼閣の原型は、構造の詳細を含めて、中国漢代に既に完成していたと考えられるとするのです。

 このため、法隆寺の金堂の構造設計は、既に完成されていた「五重塔の建て方」を基本としつつ、「限界ぎりぎりの条件で最も大きく見せ、かつ内部空間が最大となる」よう目指した結果ではないか、というのが両氏の考えです。

 本発表の末尾は、以下のように結ばれています。

「法隆寺金堂は、軒先にかかる鉛直荷重を立体的に支持させ、内陣に天井の高い空間を創出しようとした」1300年前の技術者の構造設計意図と、力の流れを意識した仕口加工の巧みさを読み取ることができる。(14頁左)

 厳しい枚数制限の範囲で詰め込みすぎたせいか、文章は少々おかしいですが、伝わって来るものがありますね。この両氏や西岡・小川の両棟梁たちは、まさに敬意を払いつつ1300年前の技術者たちの心に迫ろうとしており、文献学に携わる者としては反省させられたことでした。

 なお、この発表梗概は最新のものであるため、まだ印刷本で読むしかありませんが、この梗概集は刊行してしばらくするとネット公開されており、少し前の両氏の発表、「法隆寺金堂:隠されたトラス架構の新解釈」や「庇から考察する山田寺と法隆寺」については、CiNiiからPDFで読むことができます。