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『法華義疏』に関する最新の研究 : 田村晃祐「飛鳥時代の仏教と百済・高句麗の僧」

2010年08月03日 | 三経義疏

  前回の記事で田村晃祐先生の『法華義疏』研究に触れたので、最近のわかりやすい論文を紹介しておきます。

田村晃祐「飛鳥時代の仏教と百済・高句麗の僧」
( 『仏教学レビュー』第4号、韓国、2008年)

です(PDFは、こちら)。韓国・金剛大学校の仏教文化研究所が出している雑誌ですが、ここは海外の研究成果を紹介することを任務の一つとしているため、しばしば国際シンポジウムを開催したり研究会に諸国の学者を招いたりしており、これも田村先生をお招きして行なった講演です。日本語版と韓国語版が研究所のサイトで公開されています。以前、「もろ式:読書日記」でも、刊行されたことが紹介されていましたね。

 田村先生の研究の特徴は、『法華義疏』を御物本で綿密に読み、訂正の仕方などを初めとする写本の形態面と、経典解釈の仕方やその系統など内容面の両方に注意していることです。これは、師匠の花山信勝譲りですが、花山以上に細かい研究をされています。

 『法華義疏』については、本格的に研究しようと思ったら、活字本ではなく、御物本に取り組む必要があります。私も、大学院の演習で1年間、『法華義疏』を講読した際は、四天王寺会本版と御物本(もちろん、複製版の中古品です。書道史の研究者が所蔵していたらしく、異体字にやたら印や付箋を付けてあったため、市価の半額以下で購入できました)とを比べながら読みました。その御物本を調べるどころか、活字本すらきちんと読まず、「当時の日本の水準から考えて、中国撰述に間違いない」などと想像だけで書いたりするのは、論外です。中国撰述だと自信を持って断定したいなら、形式と内容の両面から論証すべきでしょう。

 なお、藤枝晃先生は、『法華義疏』程度の訂正をした写本は、敦煌にはいくらでもあると言われてましたが、これも断言癖の一例であって、事実ではありません。『法華義疏』は、かなり特徴のある訂正の仕方を大量にやっています。

 田村先生の論文で注目されるのは、『法華義疏』が江南の古い学問に基づいていることを、これまで以上に明らかにしていることです。『法華義疏』が、「本義」と称する種本である光宅寺法雲の『法華義記』に頼っていることは良く知られていますが、『法華義疏』は「本義」の説に反対する場合は、『法華義記』以前の説を採用し、時にはそれを簡略化し、あるいは簡明化して用いることによって、『法華義記』と異なる考え方を展開しているのです。つまり、『法華義疏』は、中国南地の古い材料を用いて、独自さを出していることになります。

 田村論文で最も興味深いのは、『法華義疏』にはかなり混乱している箇所があること、それも訂正している箇所にそれが見えることを指摘した部分でしょう。一人の人間、つまりは聖徳太子が、複数の系統の学術顧問たちの意見を聞きながらまとめたためそうなった、というのが田村先生の判断です。

 井上光貞先生の三教義疏講演や三経義疏論文は力作であって必読ですが、井上説では、三経義疏は太子の周辺にいた朝鮮渡来の学僧たちがまとめあげたものが太子の著作とされた、と推測していました。貴人の著作とされるものは、そうしたものが多いのです。しかし、田村先生は、それに反対しており、一人の人が書いたからこそ、統一が保たれつつ、上記のような混乱が時に生じたのだ、という意見です。

 私は、田村先生とは意見がかなり一致しつつ、異なる点も少しあるのですが、何と言っても、今日、『法華義疏』を最も綿密に読んでおられるのは田村先生なのですから、この研究が本になって秋か冬に刊行されるのを、わくわくしながら待っているところです。