熊本地震から早1年と言うけれど、ずっと前に起きたような気がしてならない。しかし、熊本城の手つかずの現状を見て、あぁ、そうだったんだと思い直す。人は嫌なことは過去へ過去へと送っていき、早く忘れてしまいたい気持ちになる。それは私が被害に遭っていないから出来ることなのかも知れない。もし、被害に遭っていれば過去へ送る時間すらなく、悲嘆に日々くれていることだろう。誰を恨むことも出来ないまま、愚痴をこぼすのが精一杯で自然とのつながりの中で暮らしていながら、自然に感謝してこなかった報いを受けたとしか言いようがないと考えるのか、感謝していても感謝が足りなかったと自分を責めるのか、そんなこと考えても仕方ないと早々諦めて今日明日の生きる糧を求めるのか、自分はこれらの内、どれを選択するのだろうかとふと思う。多分、その時、その時でいろいろな思いや考えが頭の中でぐるぐる回るのだろうなと想像する。思いや考えてると言うことは生きている証しであり、生きていて良かった。生かされたのだから生き抜こうと思えるようになれば最高の考えである。だが、現実は未だに愚だ愚だしているのだろうなぁ。
今日の夕食は、
◆鯵のフライ ◆棒棒鶏 ◆ほうれん草の胡麻和え ◆春雨スープ ◆ご飯
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