郡保家の一日

極く有りふれた家庭です。その生活の一端を記録していきたいと思います。

子に自分の足で立たせるには

2015年02月02日 | 日記

 書き初め〔かきぞめ〕は終わりましたが、ずっと前TVで滋賀県の小学校では表現力を養うために書道を教えていると、放映していました。習字手本のように綺麗に上手に画一的に書くことよりも自分の想いを字に託すので半紙よりはみ出してもよいと言う考え方で好きなように書かせる指導(?~何も教えない)をされていました。だから子どもたちは伸び伸びと筆を運んでいます。一人一人の個性が書に現れ、アイデンティティが確立されていきます。そこに他を認める気持ちが生まれてくるのだと言うことのようでした。淀工吹奏楽部顧問の丸谷明夫先生も同じようなことをTVで言っていました。音程は少し外れても気持ちが入っていないと駄目だ。悲しくて涙を流すような状況の場面で単に譜面通りに吹いても聞く人に感動を与えられないと…。先輩3年生が同じパートの後輩を教えるのだけれど、隣で吹いてみせるだけで何も教えない。後輩は自分の耳で聴き、先輩の音色と同じになるよう、その後同じところを吹く。その繰り返しで部分、部分をマスターして行き、曲全体を完成させていっていた。後輩は先輩の音からそういう事を学んでいく。そして音楽や生活に取り組む姿勢も学んでいく。だから、吹奏楽コンサートで日本一の優秀高校になれる。一昨日のTVも小鹿田焼〔おんたやき〕の陶芸技法は一子相伝ですが、子どもに手取り足取り教えないと言っていた。子どもは親の技法を見よう見まねで盗み取るやり方で技術を伝えて行くので、窯に入れ作った陶器がすべてひび割れが入り、製品にならなくても親は失敗を善い経験だと一言も文句を言わない。子どもはプレッシャーの中、全身全霊で親の姿を追う。そして親を超えようとする。子どもに自分の足で立たせるには、子どもに教えることより、信じてあげ、親の後姿を見せるしかないように思う。

 今日の夕食は、
















◆カワハギの煮つけ ◆大根と豚肉の旨煮 ◆わけぎの酢味噌 ◆蕪の酢漬け ◆ご飯
   ~  ~

追記:人を殺してみたかったとアブノーマルな欲求を持つ子が世間を騒がしている。いくら頭が良くても悲しい問題である。親が圧迫した孤独な環境が狭い知識や想いの中に子を閉じ込めてしまっているのではないか。親が子を圧迫せず、しっかりした姿を見せていれば子は向上心を持っており、自然と普通の子に成長するものだと思います。


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