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人質事件をきっかけにして、「イスラム国」の本質をもっと知っておくべきだ。

2015年01月31日 22時35分34秒 | 日記
 人質事件は、明確な進展もなく日時だけが過ぎている。安倍政権もテロ行為は許されぬと言葉は勇ましいが、中東での外交力はゼロに等しく、結局人質交換も全てはヨルダン頼みだ。

 国内メディアの報道も、進展がないため、なんとも無力な同じような画面の繰り返し報道が続く。

 ところでイスラム国とはどういう存在なのか、この際、もっとイスラム国の本質を知っておくべきではないだろうか。

 東洋経済オンラインに「今週のHONZ オススメ書評はこれだ」というコーナーがある。

 ここで『イスラム国 テロリストが国家を作るとき』(文藝春秋)の新刊をお勧めしている。

 筆者もこの本を一度読んでみたいと思う、興味ある内容が紹介されていた。

 たまたま昨日(30日)にこのブログで書いたように「イスラム国」とは単なるテロリスト集団としてとらえて良いものだろうかと、筆者も疑問を感じ書いたのだが、この本でイスラム国の詳細な分析をしているようだ。

 イスラム教スンニ派のバグダディ氏が、中東内に真剣に新国家を建設しようとしているようなのだ。

 しかもイスラム国のファイナンス、マーケティング、ブランディング、ガバナンスなど詳細に分析すると、最先端企業経営にも負けない実力を有しているのだと言う。

 単なる現有勢力に対する不満分子の集まりのテロ集団ではないのだ。

 確かにSNS、facebookを始め高度なIT技術も駆使し、アラブ内に新しい国家を建設するという夢を語り、世界中から若者を呼び集めている面も特長と言える。

 イスラム国を単なる恐怖の存在としてだけ見てしまうのは如何なものだろうか?

 国内メディアの報道だけを見ていると、イスラム国の残忍非道なイメージだけが、我々に刷り込まれてしまうが、間違った認識を持ってしまうのは将来に禍根を残す事になる。

(東洋経済オンラインより貼り付け)

「イスラム国」の本質とは、いったい何なのか
"時代錯誤"にみえる演出は戦略かもしれない

内藤 順 :HONZ理事
2015年01月31日

われわれ日本人にとって、中東という地域は直視することが難しい存在である。欧米的なフィルターを通して見ることも多いため、なじみ深い価値観との違いにばかり目が向かい、不可解で危険な存在と断定してしまうことも多いだろう。

本書(『イスラム国 テロリストが国家を作るとき』文藝春秋)のテーマとなっている「イスラム国」という存在についても、数多くの残虐な振る舞いがニュースやソーシャルメディアを通して喧伝され、その本当の姿をわれわれは知らない。だがわれわれが彼らの歴史を知っている以上に、彼らはわれわれの歴史をよく知っているようだ。

これらのバイアスを一度リセットし、むしろわれわれにとって既知なるものとの類似性を対比することで評価を定めて行こうとするのが、本書である。

●きっかけはテロ組織幹部との面会

 著者はテロ・ファイナンスを専門とする女性エコノミスト。そのような専門領域があったこと自体驚きなのだが、そこに行き着くまでの彼女のエピソードも面白い。かつて幼なじみの友達がテロ組織「赤い旅団」の幹部として逮捕、面会に行った時に彼女の話し方が投資銀行員とそっくりであることに気づき、それがテロ組織のファイナンス調査を始めるきっかけになったという。

 そんな経歴を持つ人物だからこそ気づきえた、「イスラム国」の真価とはどのようなものであったのか。

 本書では冒頭から、彼らが高度な会計技術を使って財務書類を作成しており、その内訳が自爆テロ1件ごとの費用にまで及んでいたと明かされる。好業績を挙げている合法的な多国籍企業のものと比べても、まったく遜色ないレベルの決算報告書であったという。つまり彼らは、潤沢な収入源を持ち、多くの外国人兵士を擁する多国籍武装集団であり、大規模な近代軍を統率し、よく訓練された兵士に給与を払う特別な組織なのである。

●イスラム国がほかの武装集団と違っている2つの点

 この分析からもわかるように、本書は「イスラム国」の大義、それ自体の是非や善悪を問うものではない。その目的を実行するためのポテンシャルがどの程度のものであるかを、ファイナンス、マーケティング、ブランディング、ガバナンスといったさまざまな角度から分析している。

 この組織が歴史上のどの武装集団とも決定的に違うポイントは、近代性と現実主義という2点に集約される。それを支えているもののひとつが、テクノロジーと高度なコミュニケーション・スキルによって構成されるプロパガンダである。

 多くの現代人は、テロのような正体不明の恐怖に対して不合理な反応をしがちである。だからこそ彼らは、恐怖の予言を拡散させるべくソーシャルメディアの活用に多大なエネルギーを投じているのだ。この種の予言は、広言することによっておのずと実現するということをよくわかっているといえるだろう。

 要するに、「イスラム国」自身がわれわれのバイアスを逆手に取って情報戦略を駆使している点にこそ注視せねばならぬポイントがある。彼らの残虐な行為によって引き起こされた感情の高ぶりは、そのまま吸い取られて相手に利用されてしまうのだ。まるで、合気道の使い手と対峙しているようなものである。

 ファイナンスとマーケティング、この2つの両輪がうまく機能することは、通常の企業活動であればそれだけでも十分かもしれない。しかし彼らの野望は、国家の建国というかつてテロリスト集団が夢見たことのないものであった。そのためには自分たちの正統性を示す必要があり、さまざまな歴史的事実から神話とレトリックを受け継いでいることも、著者はアナロジカルに読み解いていく。

 かつてユダヤ人は、世界に散らばるユダヤ人のために、古代イスラエルの現代版を建国した。まさにそれと同じロジックで「イスラム国」は、スンニ派のすべての人々のために、21世紀のイスラム国家を興そうとしているというのだ。

 さらにもっと時代を遡れば、かつて13世紀にモンゴル人はタタール人と組んでバグダッドを徹底的に破壊したことにも話は及ぶ。このスンニ派イラク人にとって恥辱的な記憶を、彼らはシーア派と欧米勢力が手を組んだ政治状況を攻撃するための武器として利用する。歴史的な正統性という神話を求めて、現代的なブランディング手法を繰り広げていると言えるだろう。

●残虐さの裏に隠されているメッセージ

 Facebookを通してつながった「アラブの春」、Twitterを介して広がった「緑の革命」、これら民衆の革命といわれたものがことごとく失敗する一方で、少数のリーダーに率いられる組織が着々と勢力を拡大しつつある現状。これを民主主義国家は、どのように解釈すればよいのか。彼らの残虐な行為の裏に隠されたメッセージが突きつけるものは重い。

 その正体が善であれ悪であれ、歴史に学ぶものは的確な戦略を立てることができるし、新しいテクノロジーを使いこなすものは効果的な戦術を実行することができる。そして最終的には、勝ったものこそが正義を作り変えられるということもまた、歴史が教えてくれる事実である。

 ビジネスの世界に目を転じれば、新興国市場においてすでに先進国でヒットしたものを模倣した出来損ないの商品がシェアを獲得することも珍しくない。「あんなパクリ商品が」などとグレーな存在を侮っているうちに改良を繰り返し、先進国市場にも存在感を出してくる。本書を読めば「イスラム国」のケースが、そんな国家レベルでの「リバース・イノベーション」を起こしつつあるのではないかとさえ思えてくる。

 今月、実に多くの「イスラム国」関連書籍が書店の店頭をにぎわせることだろう。その中でも、最初に手に取るべき一冊としておすすめしたい。 

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≪イスラム国 テロリストが国家をつくる時≫
ロレッタ・ナポリオーニ 村井章子訳 池上彰解説

作品紹介

中東の国境線をひきなおす。

アルカイダの失敗は、アメリカというあまりに遠い敵と第二戦線を開いたことにあった。
バグダッド大学で神学の学位をとった一人の男、バグダディはそう考えた。
英米、ロシア、サウジ、イラン、複雑な代理戦争をくりひろげるシリアという崩壊国家に目をつけた、そのテロリストは国家をつくること目指した。
領土をとり、石油を確保し、経済的に自立、電力をひき、食料配給所を儲け、予防接種まで行なう。
その最終目標は、失われたイスラム国家の建設だと言う。

対テロファイナンス専門のエコノミストが放つ、まったく新しい角度からの「イスラム国」。
池上彰が渾身の解説。

はじめに 中東の地図を塗り替える

欧米の多くの専門家は「イスラム国」をタリバンと同じ時代錯誤の組織だと考えている。しかし、それは違う。彼らは、グローバル化し多極化した世界を熟知し、大国の限界を驚くべきほど明確に理解している。

序章  「決算報告書」を持つテロ組織

冷戦下のテロ組織は、PLOにしてもIRAにしても、狭い領域内で正規軍に対して戦いを挑んだ。イスラム国の決定的な違いは、群雄割拠する国際情勢の間隙をついて、広大な地域を支配下においた点だ。

第1章 誰が「イスラム国」を始めたのか?

「イスラム国」の起源は、ビンラディンに反旗を翻したザルカウィに始まる。「遠い敵」アメリカではなくシーア派を攻撃するその路線は、バグダッド大学でイスラム神学の学位をとった一人の知識人にうけつがれる。

第2章 中東バトルロワイヤル

米ソという超大国にいきつく冷戦期の代理戦争と違い、今日の代理戦争は多岐にわたるスポンサー国家が存在する。そうした多頭型代理戦争の間隙をついたのが「イスラム国」だ。いち早く経済的自立を達成し、優位にたった。

第3章 イスラエル建国と何が違うのか?

イギリス、フランスの手によって引かれた中東の国境線を消し、新しいカリフ制国家を樹立する。そうとなえる「イスラム国」は、ユダヤ人がイスラエルを建国したのと同じ文脈にあるのだろうか?

第4章 スーパーテロリストの捏造

イラクのサダム・フセインとアルカイダをつなげるために、欧米によってザルカウィの神話がでっちあげられた。十年後、後継者のバグダディは、ソシアルネットワークの力でカリフ制国家の神話を欧米の若者に信じ込ませる。

第5章 建国というジハード

「イスラム国」は、カリフ制国家の建国というまったく新しい概念をジハードに持ち込んだ。それは、アメリカという遠い敵に第二戦線を開いたアルカイダ、腐敗と独裁の中東諸国の権威を一気に色あせさせたのだ。

第6章 もともとは近代化をめざす思想だった

「イスラム国」がよりどころにしているサラフィー主義はもともとは、オスマン帝国の後進性から近代化をめざす思想だった。それが欧米の植民地政策によって変質する。「神こそが力の源泉である」

第7章 モンゴルに侵略された歴史を利用する

1258年、バグダッドは、モンゴル人とタルタル人の連合軍によって徹底的に破壊された。当時連合軍を手引きしたのはシーア派の高官。21世紀、欧米と手を組むシーア派というロジックでこの歴史を徹底利用する。

第8章 国家たらんとする意志

グローバル化と貧困化は、世界のあちこちで武装集団が跋扈する無政府状態を生み出した。しかしこれらの武装集団と「イスラム国」を分けるのは、「イスラム国」が明確に国家たらんとする意志をもっていることだ。

終章 「アラブの春」の失敗と「イスラム国」の成功

ツイッターによるイランの「緑の革命」、フェイスブックによる「アラブの春」、ユーチューブによる「ウォール街を選挙せよ」そして香港の「雨傘革命」。これら社会変革の試みが必ずしも成功しなかった理由は何か?

解説 「過激テロ国家」という認識の思い込みの修正を迫る本 池上彰

(貼り付け終わり)

進展が見えない後藤健二氏解放に関して、アラブとの付き合い方を考える。

2015年01月30日 15時40分12秒 | 日記
 イスラム国の人質事件は、ヨルダン、日本、イスラム国との3者の交渉内容が見えない。

 脅迫ビデオでは時間を切っていたが、現実の捕虜交換などとなると、かなり交渉時間が長引く可能性があるという。

 場合によると1週間どころか1カ月以上を要する事態もありそうだ。

 米国は相変わらずテロ組織への身代金や人質交換は認めていない。しかし「ISIS=ISID=イスラム国」を単なるテロ集団とみなしても良いのだろうか?

 ここのところ、サイクス・ピコ協定『ウイキぺディアによる簡単な解説によるとーーーー第一次世界大戦中の1916年5月16日にイギリス、フランス、ロシアの間で結ばれたオスマン帝国領の分割を約した秘密協定。イギリスの中東専門家マーク・サイクス(英語版) (Mark Sykes) とフランスの外交官フランソワ・ジョルジュ=ピコによって原案が作成され、この名がついた』を基に作られた国境線を、イスラム国等の過激派は改正しようとしている働きでもあると解釈する専門家がいる。

 たしかに地図を広げると、中東諸国は非常に単純な直線で国境線が引かれているのがわかる。オスマントルコ帝国が崩壊した時に、欧米諸国が中東諸国を植民地として分割統治した証拠である。

 今中東諸国のあちらこちらで発生している紛争は、アラブの人達の民族主義政権が、現実の宗派や人種に合った、自分たちの領土や国境線を作ろうとしている活動であると、理解する事も必要ではないだろうか?。

 イスラム過激派の暴力的手法は決して褒められたものではないが、地域住民や海外からの賛同者が参集しているイスラム国を、単なるテロ集団と看做すだけで良いのかも大いに疑問になるところだ。

 中東に関しては、歴史的にも関与した事がない日本にとっては、まったく未知に近い存在といっても良い。

 ただ原油供給国であり、日本製品の販売先とだけの認識で、当たり障りのない全方位外交は、もはや日本も取れなくなってきつつあるとは思う。しかし安倍首相の推し進めようとしている積極的平和主義でもって、アラブ地域への接触をするのは、あまりにも危険が多すぎると思うのだ。

Financial Times /JB Press より貼り付け)

イスラム国人質事件、日本外交の転換点か
2015.01.30(金) Financial Times

(2015年1月29日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)

 日本では今、「I am Kenji(私はケンジ)」が「I am Charlie(私はシャルリ)」に取って代わって一番叫ばれるスローガンになっている。

 ここで言うケンジとは、後藤健二氏のこと。シリアで過激派武装組織「イラク・シリアのイスラム国(ISIS)」に拘束された、尊敬されているフリーランスジャーナリストだ。

 1月24日、今や嫌というほどお馴染みになったオレンジ色のジャンプスーツを着た後藤氏の動画が公開された。

 後藤氏は、人質になっていたもう1人の日本人、湯川遥菜氏の遺体を写したと見られる写真を手に持っていた。湯川氏はほぼ間違いなく、日本政府が2億ドルの身代金を払うことを拒んだ後に首をはねられたようだ。

 ISISはヨルダンに収監されているアルカイダの過激派の釈放を要求している。彼女が解放されなければ、次に死ぬのは後藤氏だ、とISISは警告している。

●安倍首相の掲げた「積極的平和主義」

 後藤氏の運命よりはるかに大きなものが、今、分かれ目にある。平和主義憲法に根差す日本の外交政策が分水嶺に立っているのだ。後藤氏の運命に日本国民がどう反応するかが、日本が今後向かう方向性に大きな影響をもたらす可能性がある。

 互いに関連のある2つの変化が進行している。まず、保守派の安倍晋三首相は、より強固な防衛態勢を築こうとしている。これは首相が「積極的平和主義」と名付けたものだ。

 この積極的平和主義は、同盟国への武器の売却――最近まで厳密に禁止されてきたこと――から中国と争われている島嶼周辺での海上防衛の強化に至るまで、あらゆることを正当化するために利用されてきた。

 特に、安倍首相は同盟国が攻撃された場合に日本が支援することを禁じる憲法の解釈を変更したいと考えている。理想的には、日本が交戦権を永久に放棄することを定めた1947年憲法の第9条を廃止したいとも思っている。

 現実には、それは恐らく不可能だろう。憲法改正に必要な国民投票では、極めて平和主義の日本国民がほぼ間違いなくそのような修正を否決するからだ。

 次に、日本政府が長年、国際舞台で自国を中立な国として演出しようとしてきた後で、安倍氏は立場を明確にする方向へ日本を突き動かそうとしている。第2次世界大戦以降、日本は想像力豊かに「全方位外交」と名付けられたものを追求してきた。

 ありていに言えば、全方位外交は、すべての人の友人であるふりをしながら、自国の経済的利益を追求することを意味した。その間、日本を防衛する危険な仕事は米国にアウトソースされた。

●通用しなくなった戦後の「全方位外交」

 全方位外交にも用途はあった。例えば1973年には、日本の外交官らはオイルショックの破滅的な原油禁輸措置に直面し、日本政府をアラブ世界の友人として打ち出すことで、ヨム・キプル戦争(第4次中東戦争)でイスラエルを支持する米国と距離を置いた。すると、原油が再び日本に流れ込んだ。

 今から10年前、日本政府はイランで似たようなカードを切った。日本はイラン政府に熱心に働きかけ、巨大なアザデガン油田の権益を獲得した。ただ、この時は、制裁の名の下に、米国政府によって合意を帳消しにされた。

 中立性のイリュージョンは、うまくやり遂げるのが難しくなっている。日本の経済的影響力が衰える一方で、中国の台頭と米国の9.11テロ攻撃で戦略地政学的な断層が広がったからだ。

 今回の人質事件の危機は、安倍氏の外交政策の野望にとって、もろ刃の剣となるかもしれない。

 同氏はこの事件を、日本がもっと自立する必要がある証拠として利用しようとするだろう。多くの国と異なり、日本には、いつでも救出作戦に乗り出せる特殊部隊がないし、自国民を傷つけようとする外国勢力に対して軍事行動を取る憲法上の自由もない。

 防衛専門家で安倍氏の外交政策を支持する岡本行男氏は、今回の拉致事件によって、日本国民は世界の不愉快な現実を突きつけられたと言う。「我々はもう、カモフラージュされた中立性の陰に隠れることができない」

 日本では、多くの人がこれとは正反対の結論を導き出すだろう。今回の事件は外国での冒険に巻き込まれるリスクを示していると彼らは言うだろう。他国と距離があって、浮世離れした日本の快適さからすると、諸外国はさまざまな一神教が優位性を争う、血も凍るような場所に思える。

 安倍氏は、ISISと戦う国々に対して2億ドルの人道支援を行うことを約束したことで、国会で批判された。批判的な向きに言わせると、それが原理主義の雄牛を煽る赤いマントだったのだという。

 「多くの人が言っていますよ。『一体なんで我々は米国の保安官代理になりたいのか? 我々は本当に自分の身を危険にさらしたいのか?』とね」。東京のテンプル大学のジェフ・キングストン教授はこう言う。この議論の結果は、多分に後藤氏の運命にかかっているのかもしれない。

 処刑された湯川氏は、自分は満州の姫の生まれ変わりだと言っていたことがあり、その挙句に、うっかりと中東に足を踏み入れてしまった夢想家だ。そんな湯川氏とは異なり、後藤氏は、多くの国民の同情を誘っている。

●後藤氏の運命に日本人はどう反応するか

 後藤氏は、ジャーナリストとしてのキャリアの多くを紛争地域の子供たちの苦難を世界に伝えるために費やしてきた人道主義者であり、不運な湯川氏を救出しようとする必死の試みでシリアに向かった。

 28日時点では可能に思えたように、もし後藤氏が解放されたとしたら、安倍氏の立場は有利になるだろう。

 たとえ後藤氏の自由がヨルダンの人質交換を通じて勝ち取られたものだったとしても、妥協を拒む安倍外交は結果を出したと見なされるからだ。

 一方で、もし後藤氏が結局、死ぬことになってしまったら、外国への関与に対する国民の支持が揺らぎかねない。

 そうなった場合、安倍氏が憲法解釈の変更をいっそう推し進めるために必要な法案を可決するのが難しくなるかもしれない。しかし、長期的には、どんな後退も恐らく一時的なものになるだろう。

●いずれにせよ、日本の立場には変化

 何しろ、世界は変化している。中国は日本に対して、自国の領有権の主張を強めている。日本政府の多くの関係者は米国のことを、いざとなった時に日本の防衛のために米国人の血を流すことはない、頼りにならない同盟国と見なすようになっている。

 その一方で、日本が今も原油の調達先として依存している中東は、イデオロギーを巡る戦いで焼け落ちている。日本がどっちつかずの立場を取っていられる時代は終わりつつあるのだ。

By David Pilling

山田厚史氏の心に響くコラムは、日本人に必読の内容だ。

2015年01月29日 15時15分26秒 | 日記
 29日午後3時現在、後藤健二さんの生死の程は未だ定かではない。 結局イスラム国とヨルダンとの間の交渉の成り行きに任せざるを得ないと言うのが、日本の外交力の現実だ。

 山田厚史氏の今日のコラムは、日本人は今後イスラムと敵対関係になって行く決断をしても良いのか、非常に考えさせられるコラムであると筆者は思った。

 安倍政権を国民の半数以上の有権者が支持していると言うのであれば、安倍政権の決断に全てを任すしかない。

 しかし先の総選挙で自民党などの与党が得た得票率は、全国区で見ると20%にも満たない。しかし今の選挙の仕組みの結果、与党に3分の2もの議員数を与えてしまっている。

 安倍政権に国民が全てを委任している訳ではないという事を、安倍政権は認識して欲しいと思う。

 今日の筆者のブログでつべこべ書くより、非常に真摯な思いで書かれている山田厚史氏のコラムをよく読んでもらおうと思う。  

(ダイヤモンド・オンラインより貼り付け)

イスラム国を「敵」とするのか 分水嶺に立つ日本外交

山田厚史 [デモクラTV代表・元朝日新聞編集委員]
2015年1月29日

 オバマ大統領は国の方針を示す一般教書演説で「イスラム国を壊滅させるため、国際社会で主導的な役割を果たす」との決意を述べた。アメリカはイスラム国を「敵」として位置付ける。では日本はどうなのか。イスラム国を敵とするのか。これまで国際社会に敵を作らない国、それが日本だった。

 安倍首相の積極的平和主義は世界を敵と味方に分ける発想だ。日本外交はいま分水嶺に立っている。

●同じ価値観という大義の危うさ

「日本の首相よ、お前はイスラム国から8500キロも離れているのに、自発的に十字軍に参加した。女性や子どもを殺し、イスラム教徒の家を破壊するために、日本は1億ドルを得意げに差し出した」

 人質を前に黒装束の男が発したメッセージだ。罪もない人質を殺す残酷非道なやり方は言語道断だが、日本という国が彼らからどう見られていのか、この言葉でよく分かる。

「十字軍」は日本ではカッコいいイメージがある。犠牲的精神を秘め、聖地奪還に赴く騎士団という崇高さが漂う。ハリウッド映画の影響かもしれないが、イスラムの人たちにとっては、遠くからやって来て人を殺し、家を焼いた侵略者だ。

 イラク・シリアで空爆を続ける有志連合はさしずめ現代の十字軍と彼らの目には映るだろう。キリスト教もイスラム教も、一神教であるが故に「異教徒は殺してもよい」と曲解されかねない一面もある。その理解に立てば、シロ・クロをはっきり分けがちだ。

 日本の国柄は、ちょっと違うように思う。敵味方を峻別しない。異教徒は殺せ、という精神風土でもない。少なくとも戦後の日本は国際社会に「殲滅すべき敵」はいなかった。

 安倍首相の積極的平和外交は、地球儀俯瞰外交とか価値観外交ともいわれる。地球を眺め、同じ価値観の国と一緒になって、世界の秩序作りに積極的に参加する、ということだろう。キーワードは、共通価値観・秩序作り・積極参加である。

 共通の価値観は、法の支配、人権の尊重、民主主義、市場経済など。西欧のキリスト教文化を下地にした生まれた近代の価値観である。だがこの価値観が一方では帝国主義・植民地主義を生んだ。先進国の都合で勝手に敷かれた国境線でイスラム社会は分断された。

●積極的平和主義の裏に潜む「軍事活動」

 世界には別の価値観もある。その折り合いをどうつけるか、そこが秩序作りのポイントになるはずだ。

 秩序作りの中心にいるのがアメリカである。この国を除いて世界の秩序は語れないが、かなり風変わりな国である。欧州で迫害された新教徒が移り住んだ地で、先住民族と戦いながら生活圏を広げてきた人たちが作った国だ。確固たる価値観を持つが、他国にも押し付ける。そして国際紛争を武力で解決することをいとわない。

 無法や非道を見つけると、よその国でも踏み込み「世界の保安官」といわれるが、逆の立場から見れば侵略である。侵略者とされないのは、掲げる価値観を多くの国に認めさせる外交力があるからだ。

 日本は国際紛争の解決を武力に訴えない、と憲法に定める稀有な国だ。アメリカ式の紛争解決にはなじまない。民主主義や市場経済で一致しても「国際紛争を武力で解決する」という考えは日本と相容れない。「共通の価値観」と一括りにするのは無理がある。

 積極的平和主義の危うさは、積極的という言葉の裏に「軍事活動」が刷り込まれていることだ。平和外交は、これまでも日本の基軸だった。安倍首相はこれまでの日本を「消極的平和外交」と見ているのだろう。憲法が妨げになっているなら、憲法を変えよう、という考えだ。

 集団的自衛権はその一歩である。憲法解釈を変えて閣議決定で決めたのは、憲法を空洞化し、改正へ向けた既成事実作りだろう。

●それは「誤解」だと言えるか

 26日から始まった国会には、集団的自衛権の行使容認に沿った安全保障法制の改正案が提出される。自衛隊の海外派兵を簡便にできるようにするなど、軍事貢献を伴った外交へと着々と進んでいる。

 援助にも軍事の色が滲む。安倍政権が定めた「開発協力大綱」は、これまでのODA大綱が封印していた軍事援助に道を開いた。戦車や戦闘機など戦闘に直接つながる機材や物資は援助できないが、災害活動や沿岸警備、軍人の留学資金などなら援助の対象にできるようルールを変えた。軍事転用される可能性は否定できない。抜け穴を作ってかいくぐる憲法の空洞化は、援助でも進んでいる。

 イスラム国が指弾したのも援助だった。人道支援だと政府は言っても、カネに色はついていない。イスラム国と戦う国に2億ドル出す、といえば軍事支援と同じに見られるだろう。

 日本政府はイスラム国を攻撃する有志連合には加わっていない。日本の国民もイスラム国を困りものと思ってはいても「敵」とは見ていない。そこはアメリカと違う。

 だがイスラム国は日本を「敵」とみなし始めている。すくなくとも「敵の仲間」と見ている。それは違う、誤解だ、と日本はいえるだろうか。

●なぜイスラム国から「敵視」されるのか

 日本のイスラム団体「イスラミックセンター」は、日本とイスラムは良好な関係にあることを次の5点にまとめ世界に発信した。

(1)イスラエルと闘うパレスチナに理解がある
(2)パレスチナに対する最大の援助国
(3)イスラム教徒が日本で平穏に暮らせる
(4)宗教活動に政府は干渉しない
(5)イスラム国を含め、いかなる国に対しても宣戦布告をしない唯一の国

 大多数のイスラム教徒は穏健で平和を愛している。欧米で冷ややかな視線を受ける彼らにとって日本は居心地のいい社会だろう。日本人もまたイスラム教徒を受け入れている。日本は中東で手を汚していない。イスラム教徒と戦ったことはない。人々は平穏な関係にありながら、イスラム国から「敵視」を受けるのは日本の外交が変わってきたからだ。

 発端はイラク戦争への加担だった。2003年3月、国際社会の支持がないままイラク攻撃に踏み切ろうとした米国を、真っ先に支持表明したのは時の小泉首相だった。陸上自衛隊はイラクのサマワに入り給水、航空自衛隊は兵員の空輸、海上自衛隊はインド洋で艦船への給油(こちらのきかっけはアフガン戦争)で協力した。陸海空挙げての後方支援に取り組んだ。攻撃の口実とされた大量破壊兵器は存在せず、武力行使の大義名分は失われたがイラクの政権は倒され、フセイン大統領は処刑された。

 日本はアメリカの戦争に加担した。憲法の制約があって戦闘には加われないが、アメリカの後ろにいてカネと役務で協力する国と見られるようになった。

 アメリカはイスラム国を殲滅すると宣言した。有志連合を束ねて2000回を超える空爆をしている。ピンポイントのミサイル攻撃で指導者を殺害している。「テロとの戦い」の戦場となったイスラム国の支配地で、非戦闘員も含め多くの命が失われている。人質をとって殺害するのは残虐極まりない。だが空爆やミサイル攻撃でもっと大規模に命が消されている。

 原油施設を破壊され、輸送ルートも断たれたイスラム国は、原油価格の低下も重なり兵士を養うことが苦しくなっている、とも言われる。アメリカはイラク北部のクルド族をけしかけて攻撃させているが、決定的な勝利には米軍の地上部隊を投入することが欠かせないといわれる。

●日本はルビコン川を渡るのか

 有志連合が地上戦に踏み切る時、日本はどうするのか。アメリカは協力を求めるだろう。だが行使容認された集団自衛権でも中東への戦闘部隊の派遣は難しい。浮上するのはイラク攻撃と同様、後方支援ではないか。

 正面から戦えないイスラム国勢力は、手薄なところを狙うゲリラや民衆に紛れた自爆テロで対抗するしかない。後方支援は危ない。

 戦争が終わって70年。この間、日本は戦地で誰も殺さず、一人の犠牲者も出さなかった。だがイスラム国との戦いに参加すれば、この大記録に終止符が打たれることになるかもしれない。戦場で血が流れた時、世論はどう動くのか。

 イスラム国の人質になっていた湯川遙菜さんは殺害された可能性が高い。過激派イスラム国の残虐性への怒りが高まっている。この原稿がアップされるころには後藤健二さんの運命は決まっているかもしれない。人質殺害は「日本にとっての9・11」という見方もある。

 同時多発テロの一撃でアメリカの世論は激高し、一気に戦争へなだれ込んだ。フランスでは「シャルリー・エブドの惨事」がテロとの戦争へと政権を走らせた。目の前に血を見ると人々は冷静でいられない。

 日本の平和外交は、いま分水嶺にある。国際紛争を武力で解決する国になるのか。敵を作り戦いに参加するか。

 安倍政権は、アメリカと共に戦う国になることで、世界秩序の維持・形成に貢献したいと思っているようだ。そのために血を流すこともいとわない国になることが、国際社会でしかるべき地位につける、と考えているようだ。それが「普通の国」であると。

 アメリカやNATO参加国はそうした考えだろう。日本は異質であってはいけないのか。

 文明の衝突がいわれる。G20の時代ともいわれる。20世紀を牽引した欧米の先進国の価値だけで世界が動く時代ではなくなっている。日本の立ち位置が問われている。多くの国民は、イスラム社会と仲良くしたい、と思っている。イスラム過激派を敵に回したくない、とも考えている。

 アメリカは一緒に戦おうと誘うだろう。いままでそうだった。平和憲法があって、と言い訳しながら、日本は従う一方で武力行使は回避してきた。これからも従うのか。安倍首相は自らの意思で協力するかもしれない。

 それはルビコン川を渡ることだ。日本も「国際紛争を武力で解決する国」の仲間に入ることになる。「敵」は殲滅するしかないのか。世界はシロかクロかで分けられない。その間をゆく国のかじ取りはないのだろうか。

(貼り付け終わり)

人質事件を取り上げた、丹羽宇一郎氏の静かな口調が示す日本のありかた。

2015年01月28日 13時14分07秒 | 日記
 元伊藤忠商事の会長職にあって、中国大使も務められた丹羽宇一郎氏が、日経新聞に毎水曜日にブログを書いておられるが、今回はやはりイスラム国の人質問題を取り上げておられる。

 丹羽氏は非常に静かな口調で、日本の社会がこの事件をきっかけにして、イスラム社会に対して誤った認識を持たないように懸念されている。

 丹羽氏の商社時代は、中東には商売の関係で多くの知人がおられた。それだけにイスラムの世界にも深い知識を蓄えられている。

 日本は欧米諸国とは異なり、キリスト教の影響も少なく、ましてやイスラム教は本当にかかわる関係が少ない宗教であった為、宗教的な利害関係もなく、イスラム諸国の人々も石油を大量に買ってくれるお客として、日本を好意的にみる人たちが多かった。

 また家電製品や自動車などの優れた製品を生産する国としても、敬意を持って見られていたと思う。

 フランスの風刺マンガ週刊誌のあり方にも、さすがに丹羽氏はフランス革命で自由を勝ち取った国だからこその風刺であり、日本の生まれ育ちからすると、あの風刺画のコピーを単純に取り上げなかった、国内メディアが少なかった事にも、その見識を評価しておられます。

 安倍政権が集団的自衛権を始め、次々と戦争状態を前提にした国を目指す事で、「平和国家・日本」のイメージはだいぶ変わってきている現実も懸念されている。

 どちらにしても日本の歴史は当然であるが、世界の歴史も各人がそれなりに深く勉強し、知識を蓄える必要があると、筆者も思っている次第だ。、

(日本経済新聞 電子版より貼り付け)

宗教によって割れる世界 日本の立ち位置
丹羽宇一郎氏の経営者ブログ
2015/1/28

 フランスの風刺週刊紙「シャルリエブド」へのアルカイダ系組織のテロ、いわゆる「イスラム国」によるとみられる日本人の拘束と、イスラム過激派が相次ぎ世界を震撼(しんかん)させる事件を起こしました。このような極端なテロに走る過激派は、イスラムの中でも一部にすぎないのですが、世界はイスラム対反イスラムという単純な構図に引き込まれそうな危険性を覚えます。

 2邦人を拘束したイスラム国のビデオ声明は、「日本の立ち位置」の変化を感じさせるものでした。「日本はイスラム国から8500キロも離れていながら進んで十字軍に参加した」――。冒頭で彼らはこう指摘しました。日本はイスラム国との戦いに2億ドルを支払う決定をしたのだから、2人の日本人の命を救うのには同額かかるとして72時間以内に2億ドルを支払うよう要求。さらには日本政府が要求通りに実行しなかったとして、拘束された邦人の一人を殺害したとみられる画像をインターネット上に公開しました。同胞を助けられなかったことは痛恨の極みです。

 商社時代にイスラム圏の人々と話をする機会は多々ありました。日本のことを全く知らないという人もいましたが、「英米と血みどろの戦いをした国」と認識し、日本に一目置く人も少なくありませんでした。日本には、イスラム教への偏見があまりないことも、比較的親近感を持たれる理由なのかもしれません。イスラムの世界から見れば明らかな欧米陣営ではなかった日本は、イスラムにもキリスト教にも宗教的には等距離という独特のポジションを確保し、外交上のメリットもありました。

 しかし、イスラム国の2邦人拘束・殺害によって、この立ち位置が揺さぶられています。イスラム対反イスラムの単純な図式の中に、日本が組み込まれてしまうかどうかのターニングポイントに立たされているのではないかと思います。そもそも、自衛隊の海外派遣、集団的自衛権の行使などで、海外から見ると「平和国家・日本」のイメージはだいぶ変わってきています。

 このような局面で、私は日本人の感性を大事にすべきだと考えます。例えば、イスラム教に対する風刺画問題について、日本のメディアはイスラム教徒の感情に配慮して、掲載しないケースが多く見られ、欧米のメディアとは異なる対応をしました。特にフランスは18世紀のフランス革命で獲得した「自由」が信教からの自由という意味合いもあるので、キリスト教であろうと、イスラム教であろうと例外なく風刺するとされています。

 フランスの風刺にはこのような歴史や伝統に裏打ちされた一面があり、それはまさにフランス独特の文化といえますが、日本にはそのような文化はありません。宗教を俎上(そじょう)にのせることで、相手を傷つけるようなことはやめようと慮(おもんぱか)るのが多くの日本人の感性ではないかと思います。

 日本は石油や天然ガスで中東とのビジネス上の関係は深く、イスラム世界に対して欧米とは異なるアプローチがとれる可能性があるのですが、問題は中東にどれだけ日本独自の人脈を構築できているかです。言い方をかえると、中東世界に知日派をどれだけ育てているか。今回のような人質をとられる事件では、日本のことをよく知っているイスラム系の人物を仲介に立てないと、過激派との交渉は難しいものになるでしょう。

 対米、対中関係で、知日派のパイプが先細っていることは過去にも何度か指摘したことがあります。イスラムとの関係についても、長い目で日本独自の人脈づくりに取り組む必要があります。

(貼り付け終わり

OPEC事務局長の表明。原油相場は底入れするのか?

2015年01月27日 19時16分03秒 | 日記
 石油輸出国機構(OPEC)のバドリ事務局長がロイターのインタビューに応じて、原油価格の底入れを示唆したようだ。

 昨秋まで1バーレル100ドル台であった原油が、現在は50ドルを割っており正に半値に落ち込んでいる。

 OPECが米国のシェールオイル企業の弱体化を狙って原油減産をせずに、需給のバランスを崩したのが値下がりの原因であると見られている。

 しかし原油輸出国のロシアなどもトバッチリを受け、財政状況の悪化を招いており、ロシアルーブルも安くなっている。

 OPEC諸国も、内情は原油値下がりの影響を受けており、本音は価格を戻したいところであろう。

 しかしOPECのバドリ事務局長の説明を聞いても、筆者には果してOPECに原油価格をコントロールできる実力があるのだろうかと疑問に思っている。ロシアなども価格が上がると判断すると、輸出量を増やす可能性もある。

 最有力国のサウジアラビアが減産に踏み込んでも、今では米国、ロシアなど大きな供給力を持った国々が多くなっている。

 たしかに余りにも価格下落が長期に継続すると、採掘のメンテナンスにも力が入らず、不具合の頻発などで供給力に不足が出る可能性がない訳ではない。

 そういった意味で、採算ぎりぎりが30ドル台ともいわれており、反発はともかく、ぼつぼつ下げ止まりに入る可能性は充分考えられる。

(ロイターより貼り付け)

インタビュー:原油相場底入れか、近く反発も=OPEC事務局長
2015年 01月 27日

[ロンドン 26日 ロイター] - 石油輸出国機構(OPEC)のバドリ事務局長は26日、原油相場は現在の水準で底入れした可能性があり、近く反発するとの見方を示した。ロイターとのインタビューで述べた。バドリ事務局長が原油の底入れを示唆したのは今回がはじめて。

 また、新規の供給能力に対する投資が低すぎれば、原油価格は将来的に、1バレル=200ドルまで急伸する可能性があるとも述べた。

 事務局長は「原油相場は現在1バレル45━55ドルの水準で推移しており、底入れした可能性がある。極めて近い時期に持ち直すだろう」と述べた。

 またOPECが減産すれば余剰能力となり、投資の減退を招くと指摘。「投資が落ち込めば供給を下押しし、3━4年後には原油が不足する」とし、「投資減退による供給不足が実体化すれば、原油相場は200ドルまで跳ね上がる可能性がある」と述べた。

<「サウジは安定した国」>

 事務局長は、OPEC加盟国・非加盟国が減産を協議する可能性については、目先にはそうした計画はないと明言。「上期末時点の市場を見る必要がある。それまでは具体的な動きはないだろう」と述べた。

 サルマン新国王が即位したサウジアラビアの石油生産方針について問われると、「サウジは安定した国」とし、正常な状況を見込むと述べた。

(貼り付け終わり)