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ギリシャ問題のカウントダウンに入った、EUの解決策の苦悩。

2015年06月29日 15時41分31秒 | 日記
 29日の日経平均株価は前週比596円安の20,195円で取引を終了している。

 この原因はギリシャのデフォルト不安だ。日経はギリシャの状況を、「【アテネ=佐野彰洋】ギリシャのチプラス首相が28日夜、預金の引き出し制限などの「資本規制」導入をテレビ演説で発表したことで、市民生活や経済の混乱に拍車がかかっている。
 先行きに不安を抱く市民は資本規制の発表前から自衛策を講じており、ガソリンスタンドや銀行のATMには長い列ができ、一部の店舗ではクレジットカードの利用を拒否している。混乱が長引けば経済への悪影響は計り知れない(以下省略)」と市民生活の混乱状況を伝えている。

 果たして6月末を明日に控え、今後どのような展開になっていくのか、このような情報分析ではロイターを読むしかないが、正直、筆者にも予測がつかない。

 ギリシャなどには比較にならない1000兆円を超える膨大な額の国債を発行している日本であるが、今のところ海外の金融機関ではなく、主に国内の金融機関が買っている日本国債であるため、ギリシャのような憂き目にあうことはないであろうが、日銀が大量に買い上げているという姿はやはり不健康であり、日本も決して安心できる状況とは言えないであろう。


(ロイターより貼り付け)

深まるギリシャ危機、今後予想されるシナリオ
2015年 06月 29日 13:21 JST

[ブリュッセル 28日 ロイター] - ギリシャ支援をめぐる同国政府と債権団の話し合いは決裂し、ギリシャ政府は30日を期限とする国際通貨基金(IMF)への16億ユーロの返済が不履行に陥る恐れがある。

 今後予想されるギリシャ問題の展開をまとめた。

◎30日以降の動き

 ギリシャはIMFへの返済ができない恐れがあるが、ユーロ圏当局者からはIMFがギリシャ政府に対して即座に債務不履行を宣言せずに返済遅延にとどめると期待する声が出ている。

 その場合、ユーロ圏と欧州中央銀行(ECB)は、ギリシャはテクニカル的には債務不履行ではないと主張することが可能で、他の貸し手が返済を要求する状況を回避し、ECBはギリシャの銀行への資金提供を継続する余地が得られる。

◎ECBの緊急流動性支援

 ECBは28日、ギリシャの銀行に緊急流動性支援(ELA)を提供し、支援を続けることを決めた。ECB当局者は、ギリシャの銀行が十分な担保を保有する限り支援を継続すると示唆している。

 しかしギリシャがIMFへの返済で明確に不履行に陥り、ユーロ圏から金融支援を受けられる見通しが立たなければ、ギリシャの担保の価値は大幅に低下してELAは打ち切られる。

◎ECBが保有するギリシャ国債の扱い

 ECBは同行が保有するギリシャ国債35億ユーロ相当が償還期限を迎える7月20日まで支援の撤回を先送りする道を選ぶかもしれない。ギリシャがこの期限に支払いができなければ、ユーロ圏の支援を受けずに財源を見付けることは不可能で、ECBがギリシャ銀行に資金を提供するのは難しくなる。

◎IOU導入とユーロ圏からの段階的離脱

 ギリシャの銀行セクターは、ECBからの支援がなければ経営破綻に陥り、政府は国内での支払いを賄うためにIOU(借用証書)など通貨の代替手段を導入せざるを得ない。

 ユーロに代わる支払いの代替手段がギリシャの新通貨となる可能性もある。ギリシャが2種類の通貨をどの程度維持できるか、維持するつもりかはっきりしないが、IOUはすぐに大幅な減価に見舞われるだろう。

◎EU提案めぐる国民投票

 ギリシャはキャッシュが不足して資本統制が導入され、社会不安の起きる恐れがある状態の中、7月5日にEUが提示した財政改革案の受け入れの是非を決める国民投票を実施する。政府は債権団の要求を拒否する方向に世論を誘導している。ギリシャやユーロ圏の政治家の一部は、投票はユーロ離脱の是非を問うに等しいものだとみている。

◎EUの財政改革案が承認された場合

 債権団側が追加支援の条件として示した提案が国民投票で支持されれば、ギリシャ政府は国際的な貸し手に第3弾の支援計画を求め、交渉しなければならない。当局者によると、その場合は先週末に決裂したよりも厳しい話し合いになり、数週間あるいは数カ月を要する可能性があるという。

(貼り付け終わり)

小泉親子が動き出す時と進言する、天木直人氏の見解は正しいかもしれない。

2015年06月28日 23時56分17秒 | 日記
 筆者は天木直人氏のブログは注意深くチェックしている。
 日本の将来を思う正論で筋が通っているからだ。

 今日のブログで安倍政権をただすには、小泉純一郎、進次郎親子に動いてもらうしかないとの進言を述べている。

 確かに現状の野党勢力では、残念ながら与党の自民、公明を撃破するパワーの集中力は期待できない。

 そうなると自民党の9月の総裁選挙で、党内から安倍信三氏以外の強力な指導者を選出するしかない。

 現況では安倍信三氏が自民党内でも圧倒的に強いリーダーに見えるが、どう見ても安保法制は違憲の上に成り立っている法案であり、最近の反政権メディアを潰そうといった驕り高ぶった、反民主主義の思想が現在の自民党の性格だと、国民に認識されるようになると、間違いなく安倍政権の支持率はもっと急落するであろう。

 本来の自民党議員には、今の右翼的な性格を帯びた安倍政権に、危機感を感じている議員も多いはずである。

 天木直人氏の見解は、かなり可能性があるかもしれない。

 ただ筆者には小泉進次郎氏は、まだ少々年齢が若すぎるのではないかと危惧するが、日本の政治が危機的状況にあるだけに、大きな変化をもたらす可能性があると感じている。


(天木直人のブログより貼り付け)

小泉親子が動き出す時がきた

 どうやら安倍首相に終わりがきたようだ。
 小泉純一郎の政治勘がいまでも健在なら、そう判断するに違いない。
 そして9月の自民党総裁選に向けて動き出すだろう。

 次男の進次郎に世襲させた時、恥を忍んで親ばかを世間に自認した小泉純一郎だ。
 安倍首相の対抗馬として進次郎を立たせ、勝利に向かって自民党内の支持集めに動く。

 キャッチフレーズはズバリ「自民党を取り戻す」だ。
 具体的には安保法制案の廃案宣言だ。

 あんなものなくても日米新防衛ガイドラインがあれば日米同盟は揺るがない。
 改憲など愚の骨頂だ。
 日米同盟さえ健在なら、憲法9条はあったほうがいいのだ。

 米国が文句をいうはずがない。
 辺野古移設について再交渉をすると宣言するのだ。

 米国の抑止力は、辺野古移設でなくても、いくらでも確保できる。財政負担さえすれば米国はどうとでも対応する。
 中国や韓国との関係改善は本来の自民党の基本外交方針だ。それに戻ると宣言するのだ。
 何よりも脱原発を宣言するのだ。

 いますぐ原発をなくす必要はない。
 新エネルギー政策に舵をきればいいのだ。
 そして、福島住民の救済と、福島の真の復興を最優先課題に掲げるのだ。

 おろかな安倍首相につき合わされてうんざりしていた官僚は、小泉時代を懐かしく思い出し、大喜びで小泉親子について行く。

 決めゼリフはこれだ。
 「安倍を作ったのは俺だ。安倍に引導を渡すのは俺しかいない」

 自民党総裁選は一気に盛り上がり、世論は再び小泉フィーバーに湧く。
 小泉純一郎の嫌いな左翼野党の出番はない。

 このシナリオを小泉純一郎がきづかないはずがない。

 その際の最大のサプライズは天木を進次郎の外交アドバイザーにすることだ。
 しかし、さすがにこれだけは親父は認めないだろう。
 なにしろ私の名前を俺の前で口にするなと言うくらいだ。

 しかし、私のこの助言だけは、納得するに違いない。

 もし小泉純一郎がその通りに動くなら、私は今度こそ小泉純一郎に脱帽する。
 はたして自民党はどう動くだろう。

 9月末の自民党総裁選まで、十分に時間はある(了)

(貼り付け終わり)

本当に潰れて欲しいメディアは朝日、毎日、東京だとのたまう、百田尚樹氏の胡散臭さ。

2015年06月27日 22時26分08秒 | 日記
 百田尚樹氏の沖縄タイムス、琉球新報の2紙は潰さなければいかんといった発言は、当然のことであるが各メディアでも大きく報道された。

 しかし筆者は、百田尚樹氏のマスコミに話題を売るやり方の胡散臭さに感心してしまうよ。

 百田氏が個人的にどういう思想を持ち、どういう意見を述べようが、どういう過激な発言をしようが自由である。 その発言に聞き手が「バカな奴だ」と思ったり、感激したと思ったりも当然自由である。

 しかし、政権政党の若手議員の勉強会の中での発言であるから、大いに問題があるのだ。

 何故なら筆者が一番問題だと思うのは、まず百田氏と安倍首相が非常に懇意であるということだ。 当選回数の少ない若手議員は、所属政党の領袖と思想が一致していると百田氏の考えに盲従してしまう危険性があることだ。

 それと共に、筆者は日本の先行きに大きな不安を感じるのは、自分達の考えに反するメディアを本気で潰そうと、この若手議員の会合で考えを発表していることだ。

 ただひたすら自分たちの右翼思想が日本国内に広がる必要があり、反安倍政権の立場を鮮明にしている朝日、毎日、東京新聞を潰したいと、百田氏が自分のTwitterで述べている。

 まあこの発言も百田氏の計算された話題作りと思うが、どちらにしても安倍政権が進めようとする新安保法案の成立には、大きなブレーキになると筆者はほくそ笑んでいるのだが。

 百田発言で反安倍政権の沖縄メディアを潰すという若手議員の会合が話題になったが、一方で自民党リベラル派の若手勉強会が同日に行う予定であったのだが、急きょ中止されている。

 この会合で講演する予定であった、漫画家の小林よしのり氏が自民党に警鐘 「全体主義の空気が蔓延している」と激しく批判している。

 全く自民党の変質には恐れ入る次第だ。ところで連立与党の公明党はどうしたのだ。この変質した自民党でもOK、一緒に新安保法案成立にどこまでもついて行くというのか?


(ハフィントンポストより貼り付け)

百田尚樹氏「本当につぶれてほしいのは朝日新聞」
2015.6.27

 作家の百田尚樹氏が自民党の勉強会で「沖縄の二つの新聞社はつぶさなあかん」などと発言した問題で、百田氏は6月27日、自らのTwitterで、言論弾圧には断固反対との姿勢を示す一方、「炎上ついでに言っておくか。私が本当につぶれてほしいと思っているのは、朝日新聞と毎日新聞と東京新聞です」などと持論を展開した。

 百田氏はまた、自らの発言について26日、自身のFacebookでも「私的な集まりで軽口で言ったにすぎない」などと釈明した。

 この問題について、松井一郎・大阪府知事(維新の党顧問)は26日、百田氏の自民党議員の勉強会での発言について、「(メディアに)『圧力をかけよ』と言ったのは自民党。自民党をたたくのはいいが、講師として行った百田さんにも表現と言論の自由はある」と擁護した。朝日新聞デジタルが報じた。

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小林よしのり氏、勉強会中止の自民に警鐘 「全体主義の空気が蔓延している」


自民党内のリベラル系議員による勉強会が、漫画家の小林よしのり氏を講師に招いて会合を6月25日に開く予定だったが、「運営上の都合」により急きょ中止になった。これに対し、小林よしのり氏は自身のブログで「多様な意見は許されない」「全体主義の空気が蔓延している」と自民党を激しく批判した。

朝日新聞デジタルによると中止になったのは、党内ハト派と言われる「宏池会」(岸田派)の武井俊輔、無派閥の石崎徹両衆院議員らが立ち上げた「過去を学び『分厚い保守政治』を目指す若手議員の会」だ。25日、安倍政権に批判的な漫画家の小林よしのり氏を招いて5回目の会合を開く予定だったが、2日前に急きょ中止が発表された。


「安全保障関連法案への審議に影響がある」として法案成立まで会合を開かないよう求められたということだが、同じ25日には百田尚樹氏ら安倍政権に考え方が近い文化人の勉強会「文化芸術懇話会」が開かれていた。

■「安倍派でなければ議員でなし」という同調圧力

(自民党リベラルは、ヒトラー・ユーゲントに排除されたのか? - 小林よしのりオフィシャルwebサイト 2015/06/24)

自民党内にはもう多様な意見は許されない
全体主義の空気が蔓延しているのだ。

安倍派でなければ議員でなし、という同調圧力が
強まっているのだろう。

小林よしのりを呼ぶと、「反安倍」の烙印が押されると
言われ、勉強会を開いても一人も来ないという恐れも
あったのかもしれない。

いつか、あれが独裁政治の兆候だったと
言われる日が来るかもしれない。

(貼り付け終わり)

地に落ちた自民党若手の勉強会での、メディア規制論と百田尚樹氏の発言。

2015年06月26日 23時55分37秒 | 日記
27日は私用があり、今日のブログはお休みしようと思っていた。
ところがところが、またもや自民党の若手の勉強会で、聞き捨てならない話が噴出した。

筆者は時間がないので、状況は読売オンラインを貼り付けておきます。
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自民勉強会で報道規制発言…事実なら遺憾と首相
2015年06月26日

 自民党の保守系若手・中堅議員らによる勉強会「文化芸術懇話会」(代表・木原稔党青年局長)が25日に開いた会合で、報道規制を求める意見が出ていたことが分かった。

 出席者によると、参加議員から安全保障関連法案に批判的な報道機関などを念頭に、「マスコミを懲らしめるには広告収入がなくなるのが一番だ。経団連に働きかけていただきたい」などの声が上がったという。

 懇話会に講師として出席した作家の百田尚樹氏は「破廉恥とか売国とか日本をおとしめる目的を持って書いているとしか思えない記事が多い」などと述べた。

 報道規制発言に関連し、安倍首相は26日午前の衆院平和安全法制特別委員会で、「事実ならば大変遺憾だ。報道の自由は、民主主義の根幹だ」と述べた。質問に立った民主党の寺田学氏は「不見識な発言で、ゆゆしき問題だ」と自民党を批判した。

 菅官房長官は26日午前の記者会見で、「事実関係を把握していない」とした上で、「我が国では放送番組編集の自由、憲法で規定されている表現の自由が守られていると思っている」と述べた。自民党の二階総務会長は26日の記者会見で、「報道関係と対決姿勢を取ることは適当ではない。そこにいた責任者がトータルとして責任を取るべきだ。必要なら呼んで事情を聞く」と述べた。

(貼り付け終わり)

 そして百田尚樹氏は、沖縄が政府の意向に反した動きをするのは、沖縄の地元2紙を潰さなければならないと発言したらしい。

 筆者は、もう唖然としたが、この人物がベストセラー作家としてもてはやされているというのだから、日本の知的水準も地に落ちたものだ。

 そこまで言うのなら、「沖縄産経」とでもいう新聞を発行すれば良いではないか。

 支持されるメディアは、地元住民の知りたい内容を書いているからという事も理解できていない。

 百田尚樹氏は日本中で産経が最大部数になると、日本人の思想改造できると思っているのだろうか。


(琉球新報より貼り付け)

2015年6月26日
百田氏発言をめぐる琉球新報・沖縄タイムス共同抗議声明

 百田尚樹氏の「沖縄の2つの新聞はつぶさないといけない」という発言は、政権の意に沿わない報道は許さないという”言論弾圧”の発想そのものであり、民主主義の根幹である表現の自由、報道の自由を否定する暴論にほかならない。 
 百田氏の発言は自由だが、政権与党である自民党の国会議員が党本部で開いた会合の席上であり、むしろ出席した議員側が沖縄の地元紙への批判を展開し、百田氏の発言を引き出している。その経緯も含め、看過できるものではない。

(貼り付け終わり)

この国、日本は『対米従属』の生き方上手が、蔓延っていると指摘する内田 樹氏。

2015年06月25日 16時31分35秒 | 日記
 筆者は「内田 樹の研究室」を時々読ましていただいている。
 内容の更新はそんなに頻繁ではないが、内田樹氏の問題点の分析力には敬意を表したい。

 今回の「対米従属を通じて「戦争ができる国」へ」も、筆者が疑問としていた日本の政治家、官僚、メディアが、なぜこうも対米従属であり続けるのかという疑問を氷解してくれたのです。

 右翼傾向である安倍首相や最近の自民党の政治家たち、外務省を初め主要な官僚たち、日本の保守メディアの代表である読売グループなど、ひたすら米国従属を隠そうともしない。

 どこの国でもそうであるのだが、右翼とは一般的にナショナリスト、民族主義者であるのです。 内田氏が指摘するように、「国内に駐留している外国軍基地に対する反基地闘争の先頭に立っているのはナショナリストです。ナショナリストが反基地闘争をしないで、基地奪還闘争を妨害しているのは日本だけです。 ですから、そういう人々を「ナショナリスト」と呼ぶのは言葉の誤用です。 彼らは対米従属システムの補完勢力に過ぎません」と喝破している。

 そうなのです。たとえば沖縄辺野古の基地建設反対闘争も、頑張っているのは地元住民や左翼的な人々であり、妨害に回っているのはいわゆる右翼の街宣車です。

 本来は米軍の即時立ち退きを要求し、我々日本民族で国を守るという生きざまを右翼の人々には見せて欲しいのですが、残念ながら武力は米軍頼みというみっともなさです。

 筆者も内田氏の今回のコラムを見て、納得しました。

 今や日本の政権にいる政治家は、100%米国の言うがままに活動しているだけなのです。

 官僚もメディアも、そういう生き方をする方が自分たちの生活も安泰であり、下手に米国に楯突いても干されるだけが落ちなのです。

 「対米自立」よりも、ひたすら「対米従属」の道を歩む。 あー、わが日本国は残念ながら、自立精神を失い、米国にひたすら従属する生き方上手だけが蔓延する国になるのでしょうか?

 今一度内田樹氏のコラムをじっくり読んでください。

 日本の若い人たちには、まだまだ民族自立のパワーを秘めた人たちはいると思うのだけど。



(内田 樹の研究室より貼り付け)

2015.06.22
対米従属を通じて「戦争ができる国」へ。

 ある月刊誌のインタビューで安倍政権の進める安保法制についての所見を求められた。
「戦争ができる国」になることが安倍首相にとって「主権国家」と等値されているというところに現政権の倒錯があるということを縷々述べた。
 いつもの話ではあるけれど、あまり目に触れる機会のない媒体なので、ここに再録。

── 「安倍政権は対米従属を深めている」という批判があります。

内田  先日、ある新聞社から安倍政権と日米同盟と村山談話のそれぞれについて、100点満点で点をつけてくれという依頼がありました。私は「日米同盟に関する評点はつけられない」と回答しました。
 日米同盟は日本の政治にとって所与の自然環境にようなものです。私たちはその「枠内」で思考することをつねに強いられている。
「井の中の蛙」に向かって「お前の住んでいる井戸の適否について評点をつけろ」と言われても無理です。「大海」がどんなものだか誰も知らないんですから。
 そもそも日米が「同盟関係」にあるというのは不正確な言い方です。誰が何を言おうが、日本はアメリカの従属国です。日米関係は双務的な関係ではなく、宗主国と従属国の関係です。
 
 現に、日本政府は、外交についても国防についても、エネルギーや食糧や医療についてさえ重要政策を自己決定する権限を持たされていない。年次改革要望書や日米合同委員会やアーミテージ・ナイ・レポートなどを通じてアメリカが要求してくる政策を日本の統治者たちはひたすら忠実に実行してきた。
 その速度と効率が日本国内におけるキャリア形成と同期している。

 つまり、アメリカの要求をできる限り迅速かつ忠実に物質化できる政治家、官僚、学者、企業人、ジャーナリストたちだけが国内の位階制の上位に就ける、そういう構造が70年かけて出来上がってしまった。アメリカの国益を最優先的に配慮できる人間しか日本の統治システムの管理運営にかかわれない。そこまでわが国の統治構造は硬直化してしまった。

 アメリカの許諾を得なければ日本は重要政策を決定できない。しかし、日本の指導層はアメリカから命じられて実施している政策を、あたかも自分の発意で、自己決定しているかのように見せかけようとする。アメリカの国益増大のために命じられた政策をあたかも日本の国益のために自ら採択したものであるかのように取り繕っている。そのせいで、彼らの言うことは支離滅裂になる。
 
 国として一種の人格解離を病んでいるのが今の日本です。

── いま、日本のナショナリズムは近隣諸国との対立を煽る方向にだけ向かい、対米批判には向かいません。

内田  世界のどこの国でも、国内に駐留している外国軍基地に対する反基地闘争の先頭に立っているのはナショナリストです。 ナショナリストが反基地闘争をしないで、基地奪還闘争を妨害しているのは日本だけです。 ですから、そういう人々を「ナショナリスト」と呼ぶのは言葉の誤用です。 彼らは対米従属システムの補完勢力に過ぎません。

── どうすれば、対米従属構造から脱却できるのでしょうか。

内田  まず私たちは、「日本は主権国家でなく、政策決定のフリーハンドを持っていない従属国だ」という現実をストレートに認識するところから始めなければなりません。
  国家主権を回復するためには「今は主権がない」という事実を認めるところから始めるしかない。 病気を治すには、しっかりと病識を持つ必要があるのと同じです。 「日本は主権国家であり、すべての政策を自己決定している」という妄想からまず覚める必要がある。 
 
 戦後70年、日本の国家戦略は「対米従属を通じての対米自立」というものでした。これは敗戦国、非占領国としては必至の選択でした。ことの良否をあげつらっても始まらない。それしか生きる道がなかったのです。
 
 でも、対米従属はあくまで一時的な迂回であって、最終目標は対米自立であるということは統治にかかわる全員が了解していた。「面従腹背」を演じていたのです。
 けれども、70年にわたって「一時的迂回としての対米従属」を続けてるうちに、「対米従属技術に長けた人間たち」だけがエリート層を形成するようになってしまった。

 彼らにとっては「対米自立」という長期的な国家目標はすでにどうでもよいものになっている。それよりも、「対米従属」技術を洗練させることで、国内的なヒエラルヒーの上位を占めて、権力や威信や資産を増大させることの方が優先的に配慮されるようになった。

  「対米従属を通じて自己利益を増大させようとする」人たちが現代日本の統治システムを制御している。
 安倍首相が採択をめざす安保法制が「アメリカの戦争に日本が全面的にコミットすることを通じて対米自立を果すための戦術的迂回である」というのなら、その理路はわからないではありません。 アメリカ兵士の代わりに自衛隊員の命を差し出す。その代わりにアメリカは日本に対する支配を緩和しろ、日本の政策決定権を認めろ、基地を返還して国土を返せというのなら、良否は別として話の筋目は通っている。

 でも、安倍首相はそんなことを要求する気はまったくありません。

  彼の最終ゴールは「戦争ができる国になる」というところです。それが最終目標です。「国家主権の回復」という戦後日本の悲願は彼においては「戦争ができる国になること」にまで矮小化されてしまっている。 「戦争ができる国=主権国家」という等式しか彼らの脳内にはない。
 アメリカの軍事行動に無批判に追随してゆくという誓約さえすればアメリカは日本が「戦争ができる国」になることを認めてくれる。

 それが政府の言う「安全保障環境の変化」という言葉の実質的な意味です。 そこまでアメリカは国力が低下しているということです。 もう「世界の警察官」を続けてゆくだけの体力もモチベーションもない。 けれども、産軍複合体という巨大なマシンがアメリカ経済のエンジンの不可欠の一部である以上、戦争は止められない。でも、アメリカの青年たちをグローバル企業の収益を高めるために戦場に送り出すことには国民の厭戦気分が臨界点を超えつつある今はもう無理である。 だから、アメリカは「戦争はしたけど、兵士は出したくない」という「食べたいけど、痩せたい」的ジレンマのうちに引き裂かれている。

 そこに出て来たのが安倍政権である。アメリカがこれまで受け持っていた軍事関係の「汚れ仕事」をうちが引き受けよう、と自分から手を挙げてきた。 アメリカの「下請け仕事」を引き受けるから、それと引き替えに「戦争ができる国」になることを許可して欲しい。

 安倍政権はアメリカにそういう取り引きを持ちかけたのです。

 もちろん、アメリカは日本に軍事的フリーハンドを与える気はありません。アメリカの許諾の下での武力行使しか認めない。それはアメリカにとっては当然のことです。
 日本がこれまでの対米従属に加えて、軍事的にも対米追随する「完全な従属国」になった場合に限り、日本が「戦争ができる国」になることを許す。そういう条件です。

 しかし、安倍首相の脳内では「戦争ができる国こそが主権国家だ」「戦争ができる国になれば国家主権は回復されたと同じである」という奇怪な命題が成立している。自民党の政治家たちの相当数も同じ妄想を脳内で育んでいる。

 そして、彼らは「戦争ができる国」になることをアメリカに許可してもらうために「これまで以上に徹底的な対米従属」を誓約したのです。

 かつての日本の国家戦略は「対米従属を通じて、対米自立を達成する」というものでしたが、戦後70年後にいたって、ついに日本人は「対米従属を徹底させることによって、対米従属を達成する」という倒錯的な無限ループの中にはまりこんでしまったのです。

 これは「対米自立」を悲願としてきた戦後70年間の日本の国家目標を放棄したに等しいことだと思います。

── どうして、これほどまでに対米従属が深まったのでしょうか。

内田  吉田茂以来、歴代の自民党政権は「短期的な対米従属」と「長期的な対米自立」という二つの政策目標を同時に追求していました。
 そして、短期的対米従属という「一時の方便」はたしかに効果的だった。

 敗戦後6年間、徹底的に対米従属をしたこと見返りに、1951年に日本はサンフランシスコ講和条約で国際法上の主権を回復しました。その後さらに20年間アメリカの世界戦略を支持し続けた結果、1972年には沖縄の施政権が返還されました。

 少なくともこの時期までは、対米従属には主権の(部分的)回復、国土の(部分的)返還という「見返り」がたしかに与えられた。その限りでは「対米従属を通じての対米自立」という戦略は実効的だったのです。

 ところが、それ以降の対米従属はまったく日本に実利をもたらしませんでした。
 沖縄返還以後43年間、日本はアメリカの変わることなく衛星国、従属国でした。けれども、それに対する見返りは何もありません。ゼロです。

 沖縄の基地はもちろん本土の横田、厚木などの米軍基地も返還される気配もない。そもそも「在留外国軍に撤収してもらって、国土を回復する」というアイディアそのものがもう日本の指導層にはありません。
 アメリカと実際に戦った世代が政治家だった時代は、やむなく戦勝国アメリカに従属しはするが、一日も早く主権を回復したいという切実な意志があった。 けれども、主権回復が遅れるにつれて「主権のない国」で暮らすことが苦にならなくなってしまった。その世代の人たちが今の日本の指導層を形成しているということです。

── 日本が自立志向を持っていたのは、田中角栄首相までということですね。

内田  田中角栄は1972年に、ニクソン・キッシンジャーの頭越しに日中共同声明を発表しました。  これが、日本政府がアメリカの許諾を得ないで独自に重要な外交政策を決定した最後の事例だと思います。
 この田中の独断について、キッシンジャー国務長官は「絶対に許さない」と断言しました。その結果はご存じの通りです。アメリカはそのとき日本の政府が独自判断で外交政策を決定した場合にどういうペナルティを受けることになるかについて、はっきりとしたメッセージを送ったのです。

── 田中の失脚を見て、政治家たちはアメリカの虎の尾を踏むことを恐れるようになってしまったということですか。

内田  田中事件は、アメリカの逆鱗に触れると今の日本でも事実上の「公職追放」が行われるという教訓を日本の政治家や官僚に叩き込んだと思います。 それ以後では、小沢一郎と鳩山由紀夫が相次いで「準・公職追放」的な処遇を受けました。 二人とも「対米自立」を改めて国家目標に掲げようとしたことを咎められたのです。このときには政治家や官僚だけでなく、検察もメディアも一体となって、アメリカの意向を「忖度」して、彼らを引きずり下ろす統一行動に加担しました。

── 内田さんは、1960年代に高まった日本の反米気運が衰退した背景にアメリカの巧みな文化戦略があったと指摘しています。

内田  占領時代にアメリカは、日本国民に対してきわめて効果的な情報宣伝工作を展開し、みごとに日本の言論をコントロールしました。 しかし、親米気運が醸成されたのは、単なる検閲や情報工作の成果とは言い切れないと思います。 アメリカ文化の中には、そのハードな政治的スタイルとは別にある種の「風通しのよさ」があります。 それに日本人は惹きつけられたのだと思います。

 戦後まず日本に入ってきたのはハリウッド映画であり、ジャズであり、ロックンロールであり、レイバンやジッポやキャデラックでしたけれど、これはまったく政治イデオロギーとは関係がない生活文化です。その魅力は日本人の身体にも感性にも直接触れました。そういうアメリカの生活文化への「あこがれ」は政治的に操作されたものではなく、自発的なものだったと思います。

  同じことは1970年代にも起こりました。大義なきベトナム戦争によって、アメリカの国際社会における評価は最低レベルにまで低下していました。日本でもベトナム反戦闘争によって反米気運は亢進していた。けれども、70年代はじめには反米気運は潮を引くように消滅しました。それをもたらしたのはアメリカ国内における「 カウンター・カルチャー」の力だったと思います。

 アメリカの若者たちはヒッピー・ムーブメントや「ラブ・アンド・ピース」といった反権力的価値を掲げて、政府の政策にはっきりと異を唱えました。 アメリカの若者たちのこの「反権力の戦い」は映画や音楽やファッションを通じて世界中に広まりました。

 そして、結果的に世界各地の反米の戦いの戦闘性は、アメリカの若者たちの発信するアメリカの「カウンター・カルチャー」の波によっていくぶんかは緩和されてしまったと思います。 というのは、そのときに世界の人々は「アメリカほど反権力的な文化が受容され、国民的支持を得ている国はない」という認識を抱くようになったからです。 「ソ連に比べたらずっとましだ」という評価を無言のうちに誰しもが抱いた。 
 ですから東西冷戦が最終的にアメリカの勝利で終わったのは、科学力や軍事力や外交力の差ではなく、「アメリカにはカウンター・カルチャーが棲息できるが、ソ連にはできない」という文化的許容度の差ゆえだったと思います。

 統治者の不道徳や無能を告発するメッセージを「文化商品」として絶えず生産し、自由に流通させ、娯楽として消費できるような社会は今のところ世界広しといえどもアメリカしかありません。
 アメリカが世界各地であれほどひどいことをしていたにもかかわらず、反米感情が臨界点に達することを防いでいるのは、ハリウッドが大統領やCIA長官を「悪役」にした映画を大量生産しているからだと私は思っています。 アメリカの反権力文化ほど自国の統治者に対して辛辣なものは他国にありません。 右手がした悪事を左手が告発するというこのアメリカの「一人芝居的復元力」は世界に類を見ないものです。

 アメリカの国力の本質はここにあると私は思っています。

 これはアメリカ政府が意図的・政策的に実施している「文化政策」ではありません。国民全体が無意識的にコミットしている壮大な「文化戦略」なのだと思います。

── 長期的にアメリカの国力が低下しつつあるにもかかわらず、親米派はアメリカにしがみつこうとしています。

内田  アメリカが覇権国のポジションから降りる時期がいずれ来るでしょう。 その可能性は直視すべきです。

 直近の例としてイギリスがあります。20世紀の半ばまで、イギリスは7つの海を支配する大帝国でしたが、1950年代から60年代にかけて、極めて短期間に一気に縮小してゆきました。 植民地や委任統治領を次々と手放し、独立するに任せました。 その結果、大英帝国はなくなりましたが、その後もイギリスは国際社会における大国として生き延びることには成功しました。いまだにイギリスは国連安保理の常任理事国であり、核保有国であり、政治的にも経済的にも文化的にも世界的影響力を維持しています。

  60年代に「英国病」ということがよく言われましたが、世界帝国が一島国に縮減したことの影響を、経済活動が低迷し、社会に活気がなくなったという程度のことで済ませたイギリス人の手際に私たちはむしろ驚嘆すべきでしょう。

 大英帝国の縮小はアングロ・サクソンにはおそらく成功例として記憶されています。 ですから、次にアメリカが「パックス・アメリカーナ」体制を放棄するときには、イギリスの前例に倣うだろうと私は思っています。

 帝国がその覇権を自ら放棄することなんかありえないと思い込んでいる人がいますが、ローマ帝国以来すべての帝国はピークを迎えた後は、必ず衰退してゆきました。そして、衰退するときの「手際の良さ」がそれから後のその国の運命を決定したのです。

 ですから、「どうやって最小の被害、最少のコストで帝国のサイズを縮減するか?」をアメリカのエリートたちは今真剣に考えていると私は思います。

 それと同時に、中国の台頭は避けられない趨勢です。この流れは止めようがありません。 これから10年は、中国の政治的、経済的な影響力は右肩上がりで拡大し続けるでしょう。

 つまり、東アジア諸国は「縮んで行くアメリカ」と「拡大する中国」という二人のプレイヤーを軸に、そのバランスの中でどう舵取りをするか、むずかしい外交を迫られることになります。
 フィリピンはかつてクラーク、スービックという巨大な米軍基地を国内に置いていましたが、その後外国軍の国内駐留を認めないという憲法を制定して米軍を撤収させました。 けれども、その後中国が南シナ海に進出してくると、再び米軍に戻ってくるように要請しています。

 韓国も国内の米軍基地の縮小や撤退を求めながら、米軍司令官の戦時統制権については返還を延期しています。 つまり、北朝鮮と戦争が始まったときは自動的にアメリカを戦闘に巻き込む仕組みを温存しているということです。

 どちらも中国とアメリカの両方を横目で睨みながら、ときに天秤にかけて、利用できるものは利用するというしたたかな外交を展開しています。 これからの東アジア諸国に求められるのはそのようなクールでリアルな「合従連衡」型の外交技術でしょう。

 残念ながら、今の日本の指導層には、そのような能力を備えた政治家も官僚もいないし、そのような実践知がなくてはならないと思っている人さえいない。 そもそも現実に何が起きているのか、日本という国のシステムがどのように構造化されていて、どう管理運営されているのかについてさえ主題的には意識していない。 それもこれも、「日本は主権国家ではない」という基本的な現実認識を日本人自身が忌避しているからです。 自分が何ものであるのかを知らない国民に適切な外交を展開することなどできるはずがありません。

 私たちはまず「日本はまだ主権国家ではない。だから、主権を回復し、国土を回復するための気長な、多様な、忍耐づよい努力を続けるしかない」という基本的な認識を国民的に共有するところから始めるしかないでしょう。
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内田 樹(うちだ たつる)は、日本の哲学研究者、思想家、倫理学者、武道家、翻訳家、神戸女学院大学名誉教授。

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