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朝日の慰安婦報道削除も吹き飛びそうな、中曽根元首相の名前が出てきた。

2014年08月31日 16時03分52秒 | 日記
 昨日のこのブログで、右傾メディアの朝日新聞叩きの異様を書いたが、今日、ネット上で物凄い内容のコラムを見つけた。

 リテラと言うサイトで、エンジョウトオル氏が書いているが、あの中曽根康弘元首相が先の大戦のときに、インドネシアで海軍主計士官(将校)の地位にあった時に、「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんな彼等のために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある」と堂々と手記を残しているのだ。

 その本は『終りなき海軍』(松浦敬紀・編/文化放送開発センター/1978)という題名の本だとのこと。

 筆者は思うのだが、右派系の政治家やメディアやネット上の人物がなんと叫ぼうが、旧日本軍は慰安婦を必要としていたのだ。慰安婦集めが軍による強制であったのか、業者に集めさせたのか、正確な文書は殆んど焼却されているから、正確な証拠集めは難しいと思われる。

 しかし筆者でも容易に推察できる事は、海外に派兵された兵隊達が、自分に迫る命を無くす恐怖感から、自分の子孫を残したいと言う性欲が沸き起こるのも無理からぬ事であろう。

 戦争の残虐性は、まず兵隊たちに強制され、その捌け口として慰安婦を必要とした残虐性が発生するのだ。

 右派系の人達は、だから残虐なのは日本兵だけではないと言いたいのだろう。

 しかし敗戦で連合国側からのポツダム宣言を日本が全面的に受諾し、続いての東京裁判で戦犯も裁かれた。その苦しみの結果、その後の日本の平和国家が始まったのである。

 過去の日本軍のおこなった行為をことさら持ち出すのは、日本人を辱める卑虐思想だと右派系の人達は口を揃える。 しかし事実を直視する勇気も必要である。

 過去の間違った結果の反省もせず、「美しい日本」とことさら美化ばかりするのも、少々滑稽である。

 朝日新聞たたきを右傾のメディアがすればするほど、日中、日米の長かった戦争での記録がポロリポロリと出てきて、かえって藪蛇が起こるような気がしてならない。

(リテラより貼り付け)

中曽根元首相が「土人女を集め慰安所開設」! 防衛省に戦時記録が
エンジョウトオル
2014.08.29.

 朝日新聞の慰安婦訂正記事で右派陣営が勢いづいている。「朝日は責任をとれ!」と気勢をあげているのはもちろん、自民党の政務調査会議は河野談話も朝日報道が前提だとして「河野談話を撤回し、新たな官房長官談話を!」とぶちあげた。また、同党の議連では朝日新聞関係者、さらに当時の河野洋平元官房長を国会に招致して聴取すべき、という意見までとび出している。
 
 だが、朝日や河野洋平氏を聴取するなら、もっと先に国会に呼ぶべき人物がいる。それは第71代日本国内閣総理大臣の中曽根康弘だ。
 
 大勲位まで受章した元首相をなぜ従軍慰安婦問題で審訊しなければならないのか。それは先の大戦で海軍主計士官(将校)の地位にあった中曽根元首相が、自ら慰安所の設置に積極的に関わり、慰安婦の調達までしていたからだ。

 何かというと左翼のでっちあげとわめきたてて自分たちを正当化しようとする保守派やネトウヨのみなさんには申し訳ないが、これは捏造でも推測でもない。中曽根元首相は自分の“手記”の中で自らこの事実を書いており、しかも、防衛省にそれを裏付ける戦時資料が存在していたのだ。そこには、部隊の隊員によるこんな文言が書かれていた。

「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設」

 まず、“手記”の話からいこう。中曽根が慰安所設立の事実を書いたのは『終りなき海軍』(松浦敬紀・編/文化放送開発センター/1978)。同書は戦中海軍に所属し、戦後各界で活躍した成功者たちが思い出話を語った本だが、その中で、海軍主計士官だった中曽根も文章を寄稿していた。

 タイトルは「二十三歳で三千人の総指揮官」。当時、インドネシアの設営部隊の主計長だった中曽根が、荒ぶる部下たちを引き連れながら、いかに人心掌握し戦場を乗り切ったかという自慢話だが、その中にこんな一文があったのだ。

 「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。かれらは、ちょうど、たらいのなかにひしめくイモであった。卑屈なところもあるし、ずるい面もあった。そして、私自身、そのイモの一つとして、ゴシゴシともまれてきたのである」

 おそらく当時、中曽根は後に慰安婦が問題になるなんてまったく想像していなかったのだろう。その重大性に気づかず、自慢話として得々と「原住民の女を襲う」部下のために「苦心して、慰安所をつくってやった」と書いていたのだ。

 ところが、それから30年たって、この記述が問題になる。2007年3月23日、中曽根が日本外国特派員協会で会見をした際、アメリカの新聞社の特派員からこの記載を追及されたのだ。

 このとき、中曽根元首相は「旧海軍時代に慰安所をつくった記憶はない」「事実と違う。海軍の工員の休憩と娯楽の施設をつくってほしいということだったので作ってやった」「具体的なことは知らない」と完全否定している。

 だが、これは明らかに嘘、ごまかしである。そもそもたんなる休憩や娯楽のための施設なら、「苦心」する必要があるとは思えないし、中曽根元首相の弁明通りなら、『終りなき海軍』の“手記”のほうがデタラメということになってしまう。だが、同書の編者である松浦敬紀はその10年ほど前、「フライデー」の取材に「中曽根さん本人が原稿を2本かいてきて、どちらかを採用してくれと送ってきた」「本にする段階で本人もゲラのチェックをしている」と明言しているのだ。

 いや、そんなことよりなにより、中曽根元首相の慰安所開設には、冒頭に書いたように、客観的な証拠が存在する。 

 国家機関である防衛省のシンクタンク・防衛研究所の戦史研究センター。戦史資料の編纂・管理や、調査研究を行っている研究機関だが、そこにその証拠資料があった。

 資料名は「海軍航空基地第2設営班資料」(以下、「2設営班資料」)。第2設営班とは、中曽根が当時、主計長を務めていた海軍設営班矢部班のことで、飛行場設営を目的にダバオ(フィリピン)、タラカン(インドネシア)を経てバリクパパン(インドネシア)に転戦した部隊だが、この資料は同部隊の工営長だった宮地米三氏がそれを記録し、寄贈。同センターが歴史的価値のある資料として保存していたものだ。
 
 本サイトは今回、同センターでその「第2設営班資料」を閲覧し、コピーを入手した。

 宮地氏の自筆で書かれたと思われるその資料にはまず、「第二設営班 矢部部隊」という表題の後、「一 編制」という項目があり、幹部の名前が列挙されていた。すると、そこには「主計長 海軍主計中尉 中曽根康弘」という記載。そして、資料を読み進めていくと、「5、設営後の状況」という項目にこんな記録が載っていたのだ。

「バリクパパンでは◯(判読不可)場の整備一応完了して、攻撃機による蘭印作戦が始まると工員連中ゆるみが出た風で又日本出港の際約二ヶ月の旨申し渡しありし為皈(ママ)心矢の如く気荒くなり日本人同志けんか等起る様になる
 主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設気持の緩和に非常に効果ありたり」

 さらに「第2設営班資料」のなかには、慰安所設置を指し示す証拠となる、宮地氏の残したものと思われる手書きの地図も存在していた。

 それはバリクパパン「上陸時」の様子(昭和17年1月24日)と、設営「完了時」の様子(17年1月24日〜同年3月24日)を表す2点の地図資料だ。バリクパパン市街から約20km地点のこの地図から、中曽根たちが設営したと思われるマンガル飛行場滑走路のそばを流れるマンガル河を中心に民家が点在し、またマンガル河から離れた場所に民家が一軒だけポツリと孤立していることがわかる。

 そして2つの地図を見比べてみると、“ある変化”があることに気づく。「上陸時」から「完了時」の地図の変化のひとつとして、その孤立した民家の周辺に、設営班が便所をおいたことが記されている。さらにその場所には「上陸時」にはなかった「設営班慰安所」との記載が書き加えられている。

 つまり、上陸時に民家だった場所を日本軍が接収し、「設営班慰安所」に変えてしまったと思われるのだ。 

 もはや言い逃れのしようはないだろう。「主計長 海軍主計中尉 中曽根康弘」「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設」という記載。それを裏付ける地図。中曽根元首相が自分で手記に書いたこととぴったり符号するではないか。

 しかも、「土人女を集め」という表現を読む限り、中曽根主計長が命じて、現地で女性を調達したとしか考えられないのである。

 実際、インドネシアでは多くの女性が慰安婦として働かされており、彼女たちは日本軍に命じられた村の役人の方針で、どんなことをさせられるのかもしらないまま日本兵の引率のもと連れ去られたことを証言している。そして、年端も行かない女性達がいきなり慰安所で複数の日本兵に犯されたという悲惨な体験が語られ、その中にはこのパリクパパンの慰安所に連れてこられたという女性もいる。
 
 つまり、中曽根首相がこうした“強制連行”に関与していた可能性も十分あるのだ。

 朝日新聞の訂正で勢いづいた保守・右派勢力は銃剣を突きつけて連行したという吉田証言が虚偽だったという一事をもって、強制連行そのものを否定しようとしている。さらには従軍慰安婦への軍の関与そのものを否定するかのような虚偽を平気でふりまいている。

 しかし、もし、強制連行はない、軍の関与もないといいはるならここはやはり、「土人女を集め」たという元主計長・中曽根康弘を国会に喚問して、どう「集め」たのか、「苦心」とはなんだったのか証言させるべきではないのか。一メディアの誤報をあげつらうより、そのほうがはるかに「歴史の検証」になると思うのだが、いかがだろう。
(エンジョウトオル)

(貼り付け終わり)

執拗な保守系メディアの朝日新聞非難が続く、気持ちの悪い異様さ。

2014年08月30日 23時28分32秒 | 日記
 相変わらずしつこく、国内の多くの週刊誌は朝日新聞の慰安婦記事訂正の件で、大げさな大見出しをつけ非難している。

 その各紙の論調は殆んど、朝日が永年に渡って吉田清治氏の証言を取り消さなかった事、植村隆記者が従軍慰安婦と、女子挺身隊を混同して記事にしていた事を訂正しなかった事、これらが世界中に旧日本軍が残虐であったという見方を、広めてしまった事になったと言う非難だ。

 政治学者の木村 幹氏が、朝日新聞の慰安婦記事の検証特集に対して、どういう目的で今ごろ朝日がこのような検証特集を行ったのかと疑問を呈し、その発表内容に「見事な失敗作だなぁ」と言う評価を下している。

 吉田清治証言にしても、植村隆記者の記事訂正にしても、「とりあえずのもっともらしい言い訳を付けてみたあげく、逆に身動きが取れなくなった「優等生の不器用な言い訳」に似たもの」で、「朝日の一連の慰安婦問題に関わる報道がどのような「意味」を持ち、どのような「役割」を果たしてきたかについては、何も説明されていなかったからである」と指摘し、この特集の一番の出来の悪い点だという。

 筆者も木村氏のこの指摘には納得できました。 確かに弁明内容が、奥歯に物が挟まったような歯切れの悪さを感じたのは、朝日が慰安婦問題を今後どう扱っていくか、社の方針説明がない事でした。

 木村氏は慰安婦や韓国問題に関して、非常に深い見識を持っておられる。

 木村氏によると「従軍慰安婦問題の展開過程に大きな影響を与えたことが明らかなものがあるとすれば、それは1992年1月11日になされた「慰安所への軍関与示す資料 防衛庁図書館に旧日本軍の通達・日誌」という表題の報道」の方がはるかに大きな影響を与えていると言う。

 なぜならば、「この記事の本文が「過誤」を含んでいない、ということである。この時、朝日新聞が報じた史料が、日本政府の慰安所に対する「関与」を示すものであることは明らかであり、その指摘自身には間違いは存在しない」資料を日韓首脳会談の、わずか5日前にすっぱ抜いた報道を行った事だと言う。

 その結果、日本政府は窮地に陥り、当時の宮沢首相が「お詫び」表明を繰り返すことを余儀なくされることになったという。

 朝日新聞は結果として、自民党政権からは目の上のたんこぶの存在であったのではなかろうかと、筆者は推測する。

 そして第二次安倍政権が誕生し、安倍政権をバックアップする右派勢力のメディアが、かなりの資金提供を受けている結果、いつまでもしつこく朝日新聞批判を続けているのではないかと思ってしまう。

 筆者は、やはりここで朝日がリベラル派に支持されるメディアとして、明確に立ち位置を確立すべきだと思う。

 筆者が感じる日本の最近の危機は、リベラルな立場で政権批判できるメディアは、東京新聞、北海道新聞と言った非中央紙しかない事だ。ここは朝日新聞に再度頑張ってもらいたいと思う。日本人とって、これほど危険を感じる時代は、最近までなかったとひしひし思う。

(ハフィントンポストより貼り付け)

木村 幹
慰安婦問題で朝日新聞は何を検証すべきだったのか

Updated: 08/27/2014 11:42 pm EDT

「これはまた見事な失敗作だなぁ」。2014年8月5日、最初に朝日新聞朝刊に大きく掲載された「特集:慰安婦問題を考える」を読んだ時の率直な感想である。

実は、この記事が出るまでの過程で意見を聞かれた関係から、筆者は、朝日新聞が近いうちに自らが行ってきた慰安婦報道に対する「検証」を行い、何らかの特集記事を出すであろうことは、知っていた。しかしながら、実際に目にすることになった検証記事は、筆者の予想、いや期待とは大きく異なるものだった。

筆者は何故この検証を「失敗作」だと考えたのか。最初に断っておかなければならないのは、それは筆者がこの検証記事に書かれている内容が間違いだ、と思ったからではない、ということだ。この「特集」に書かれていた内容は、それ自身、慰安婦問題やこれに関する朝日新聞の報道について、恐らくありのままを述べており、事実そのものの過誤は存在しないように見える。にもかかわらず、それが「失敗作」であると考えたのは、そもそもこの「特集」が、本来目指していたはずの目的を達成しているようには思えなかったからだ。

それにはそもそも朝日新聞がどうしてこのようなタイミングで、自らの慰安婦問題に関わる報道を検証する「特集」を出すことになったのか、から考えなければならない。この「特集」の冒頭に掲げられた文章からも明らかなように、元来、この検証作業は朝日新聞が慰安婦問題を巡る自らの過去の報道の「過ち」を訂正することを目的にしたものではなかった。むしろ、そこで念頭に置かれていたのは、慰安婦問題を巡る朝日新聞の議論を「立て直す」ことのはずだった。

周知のように、朝日新聞はこの何年か、90年代初頭のものをはじめとする一連の慰安婦問題を巡る報道内容について強い批判を浴びており、そのことは同紙の現役の記者たちが、慰安婦問題をはじめとする、歴史認識問題について著しく発言しにくい環境を作り上げることになっていた。事実、この数年間、日韓関係の悪化が続く中での朝日新聞のこれらの問題に対する報道は、日本国内の他紙と比べて明らかに低調であり、その事は朝日新聞が代表する日本国内のリベラル系メディア全体の影響力を大きく低下させる結果ともなっていた。

だからこそ、日本国内における左右の言論のバランスを回復するためにも、また何よりも朝日新聞自身が自らの報道の方向性を確認するためにも、慰安婦問題に対する見解を再構築することは彼らにとって重要なはずだった。しかしながら、実際に出てきた「特集」の内容は、同紙が過去に行った報道内容について、個別のいくつかの記事を取り上げて「当時の状況においてはやむを得なかった」と弱々しく繰り返すだけの弁解じみたものであり、案の定、この「特集」を出したことにより、逆に朝日新聞はさらに大きな世論からの非難を浴びることになった。

そして、ある意味では、それは当然のことだった。この「特集」は慰安婦問題に関する自らの問題点をさらけ出し、弁明しただけであり、同紙の一連の慰安婦問題に関わる報道がどのような「意味」を持ち、どのような「役割」を果たしてきたかについては、何も説明されていなかったからである。そこに自らが拙いと思った所に、とりあえずのもっともらしい言い訳を付けてみたあげく、逆に身動きが取れなくなった「優等生の不器用な言い訳」に似たものを見たのは、恐らく筆者だけではなかったに違いない。

ともあれ明らかだったのは、問題となった朝日新聞の「特集」には、自らの報道がどのような意味を持ち、また社会にどのような影響を与えてきたのか、そしてそれを現在の朝日新聞がどのように評価するのか、についての言及がほぼ全くと言ってよいほど欠如していたことだった。全体の評価なしに、自らの過去の間違いだけを指摘したのだから、そこから良い結果が得られるはずは最初からなかった。

さて、それでは朝日新聞の慰安婦問題に関わる報道は、実際にはどのような影響を与えてきたのであろうか。そこでここからこの問題について、筆者なりに見ていくことにしよう。

■吉田清治氏の証言

まず今回注目を浴びることとなった、吉田清治氏の証言(以下、吉田証言)についてである。同「特集」も述べているように、朝日新聞に初めて同氏が登場するのは、1982年9月2日、しかし、その証言が同紙面にて大きく取り上げられるようになったのは、1983年10月19日、「韓国の丘に謝罪の碑」という表題で同氏が韓国の「望郷の丘」に自らの行為を謝罪する記念碑を建てることを報じた後のことである。この時の吉田の行動について日本国内の他紙はほとんど報じていないから、この時の朝日新聞の報道が突出していることは明らかである。

しかしながら、そのことは逆に言えば、少なくともこの時点では朝日新聞が吉田証言を大きく取り上げたことが、他紙の報道に大きな影響をもたらしていないことをも意味している。毎日新聞や読売新聞など、他紙に吉田が頻繁に登場するようになるのは、90年代に入り慰安婦問題が、実際の日韓間の重要問題として浮上する時期以降のことであり、その意味で吉田証言の扱いについての朝日新聞と他紙とのギャップは極めて大きいものがある。もっとも、影響力ある朝日新聞に大きく取り上げられたことにより、吉田の知名度が飛躍的に向上したことは恐らく確かであり、その意味で80年代の朝日新聞による報道が、吉田証言が後に脚光を浴びる基盤となったであろうことは否定できない。

他方、吉田証言が韓国においてはじめて報道されたのも、やはり83年に「謝罪の碑」を建てた時のことである。しかしながら、興味深いことに、この時点での韓国メディアの報道内容は、朝日新聞のそれとは大きく異なっていた。即ち、朝日新聞が83年段階で既に吉田証言を慰安婦に関わるものとして注目して取り上げたのに対し、韓国メディアはこれをより広い問題、即ち、「慰安婦をも含む強制連行問題」に関するものとして取り上げたからである。

背景にあったのは、80年代初頭の韓国では慰安婦問題が未だほとんど脚光を浴びておらず、むしろ、タブーに近い問題として扱われていたことであろう。言い換えるなら、当時の韓国メディアの報道は、あくまでこのような韓国国内の文脈で書かれており、その内容の一致度を考えても、朝日新聞の報道が韓国のメディアや社会に与えた影響を、過大評価するのは禁物である。

■植村記者の記事

朝日新聞の報道がもたらした影響が、巷間指摘されるよりも遥かに限定的であったのは、もう一つの焦点である、1991年8月11日付朝刊(大阪本社版)の植村隆記者による「思い出すと今も涙 元朝鮮人従軍慰安婦を韓国の団体聞き取り」と題する記事についても言うことが出来る。そもそもこの記事は3日後に行われることになっていた、金学順の元慰安婦としてのカミングアウトに関わる証言を朝日新聞が先取りして報じたものであり、その証言に関する報道内容は後に公表された金学順の発言によって書かれた他紙の報道と大きな違いはなかった。

だからこそ、この記事の内容部分について問題となり得るのは、金学順の証言を扱った部分よりも、この記事で植村が従軍慰安婦を「『女子挺身隊(ていしんたい)』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた」ものとして紹介した点にある。

明らかなことは、このような植村の記述が、この時彼が取材にて入手した金学順の証言による産物ではないことである。植村も記事で書いているように、金学順はこの時の証言において「だまされて慰安婦にされた」と明確に述べており、例えば日本の官憲などにより物理的強制力をもって慰安婦にされたのではないことを、明確にしている。にもかかわらず、金学順の証言を離れて、植村が挺身隊と慰安婦を混同し、「戦場に連行」されたと記したのは、証言の以前に既に混同が存在したことを意味している。

それではこのような植村の混同をもたらしたのは何か。指摘すべきは、この時点においては既に、吉田証言を始めとする「慰安婦は挺身隊として強制連行された」という言説が(その真否は別として)無数に存在していたことである。

この点を考える上では当時、先の植村の文章と同一の主張を行っていたのが誰だったかを考えればよい。それは即ち第一に吉田清治その人であり、第二に、韓国における最大の元慰安婦支援団体である挺身隊問題対策協議会(通称「挺対協」)に他ならなかった。そしてこの両者に影響を与えたのは、1973年に出版された千田夏光の『従軍慰安婦―“声なき女”八万人の告発』という書籍だった。千田はこの著作で、ソウル新聞等に依拠する形で、朝鮮半島においては「慰安婦は挺身隊という名目で強制的に連行された」と結論付けており、このような千田の理解が、吉田証言や挺対協を創設した尹貞玉の従軍慰安婦問題に対する理解に大きな影響を与えていた。

事実、挺対協はその名称の一部に「挺身隊」を冠していることからも明らかなように、発足の当初から「慰安婦は挺身隊として強制連行された」という大前提に立っており、植村報道の3日後に行われた金学順との記者会見でも、団体側はこの見解を繰り返し示している。そのことは植村報道があろうとなかろうと、韓国の運動団体の主張に変化は全くなかったであろうことを意味している。

また朝日新聞においては「慰安婦は挺身隊として強制連行された」という理解は、80年代前半から繰り返し示されていている。その意味で、植村報道もまた同紙が用いて来た慰安婦に関する「枕詞」を繰り返したに過ぎなかった。その意味でこの植村報道の内容に、同紙の一連の報道の中で特殊な意味を見出すのには無理がある。

■日韓首脳会談5日前の報道

数ある朝日新聞の報道の中で、従軍慰安婦問題の展開過程に大きな影響を与えたことが明らかなものがあるとすれば、それは1992年1月11日になされた「慰安所への軍関与示す資料 防衛庁図書館に旧日本軍の通達・日誌」という表題の報道である。

よく知られているように、この報道は単にそれまでの「慰安所に対する日本政府の関与はなかった」という政府の公式見解を覆すものであったのみならず、それが予定されていた日韓首脳会談のわずか5日前に行われたことにより、当時の日本政府を政治的に窮地に追い詰めることとなった。結果、十分な準備なしにこの首脳会談に臨んだ日本政府は、この首脳会談を前後する時期、実に13回にわたって当時の宮沢首相が「お詫び」表明を繰り返すことを余儀なくされることになっている。勢いを得た韓国政府は、その直後から、それまでの従軍慰安婦問題を含み、日韓間の全ての過去に関わる賠償問題は「日韓基本条約にて解決済み」という姿勢をかなぐり捨て、日本政府に元慰安婦に対する「何らかの形での補償」を要求するようになる。その意味でこの記事は、それまでの日韓両国間における慰安婦問題の状況を一変させ、この問題が政治問題化する分岐点的存在だった、といっても過言ではない。

とはいえ同時に、この記事について言えることは、他方でこの記事の本文が「過誤」を含んでいない、ということである。この時、朝日新聞が報じた史料が、日本政府の慰安所に対する「関与」を示すものであることは明らかであり、その指摘自身には間違いは存在しない。また、朝日新聞の「検証」記事や、政府自身の「河野談話検証報告書」が述べているように、同様の史料があることは既に日本政府にも知られていたから、その意味で本来なら、このことが何時公になってもよいように、日本政府があらかじめ入念な準備を積んでおくべきだったことは明らかである。当時の混乱した事態の一義的な責任が、この点を怠った当時の日本政府にあり、朝日新聞側にないことは疑いがない。

しかしながら、朝日新聞の側もまた、このタイミングで報道を行うことにより、首脳会談に混乱が生じるであろうことは十分に予測できたはずだ、ということもまた、見落としてはならない。

例えば、同紙は翌12日にはこの問題について「歴史から目をそむけまい」という社説を書いて日本政府を非難している。この時点において朝日新聞が、日本政府は勿論、韓国政府と比べても、より元慰安婦支援団体側に近い立場から、慰安婦問題に関する主張を展開していることは明白だった。また、わずか首脳会談まで5日しかない段階で、日本政府が新たな方策を構築することは不可能に近かったから、この段階で突如報道を行っても、首脳会談で慰安婦問題に対する具体的な解決策を見いだすことが困難であることは、誰の目にも明らかだったに違いない。

だからこそ、この報道を行うに際して、当時の朝日新聞の記者達がその影響についてどのように考えていたかは、慰安婦問題の展開において重要であり、それ故に「特集」においても積極的に明らかにされるべきだったろう。「重要な新しい事実が見つかったので、日韓関係や首脳会談に与える影響など考えずに報道しました」というのであれば、実際の朝日新聞の姿勢と乖離しているように見えるし、責任あるメディアとしても欠く所が大きい、と言われても仕方ない。

■「フロントランナー」の立場を自らどう意味づけるのか

さて、ここまで朝日新聞がその「特集」において取り上げた主要なポイントのいくつかについて述べてきた。明らかなのは、最後に取り上げた92年1月11日の記事を除けば、巷間指摘されている朝日新聞の個々の記事が日韓両国の世論や、慰安婦問題の展開に与えた影響は、考えられているほどには大きなものではない、ということである。つまり、朝日新聞のこれらの記事の内容は、韓国のメディアは勿論、日本の他のメディアにもさほど大きく顧みられることはなかったし、各々の時点でこれらの記事により両国の世論が大きく動かされた、とも言い難かった。

とはいえ、しかしながら、そのことは朝日新聞が日韓両国の間に横たわる慰安婦問題において大きな役割を果たさなかったことを意味するのか、と言えば勿論そうではない。何故なら、日韓両国のマスメディアの中で、朝日新聞こそが慰安婦問題を70年代の極めて早い段階から取り上げ、持続的かつ積極的に報じてきた存在だからである。

例えば、朝日新聞の記事データベースによれば、同紙がはじめてこの問題を大きく取り上げたのは、1979年9月7日の「従軍慰安婦の涙 朝鮮女性の悲惨さ追う」という投稿記事においてである。1970年代といえば、従軍慰安婦に対する話は日韓両国の間で一種のタブーとなっており、これに先行した千田夏光らの指摘も「際物」扱いされていた時代である。そのような時代において、この問題を発掘し、それを一般の人々に知らしめていったメディア、それが朝日新聞だったのである。
そして朝日新聞はこの問題における「フロントランナー」であったからこそ、極めて早い時期の慰安婦問題に関する議論の誤謬をもそのまま引き受けることになった。

「慰安婦とは挺身隊という名目で強制的に連行された人々である」という言説は、慰安婦問題の最初期の摘発者である千田夏光が1969年のソウル新聞の記事等を土台に作り上げたものであり、後に問題になった吉田清治の「証言」もまた、この千田の著作の記述を土台に、彼なりの脚色を大いに付け加えて創作されたものだと考えることが出来る。問題があったとすれば、朝日新聞の多くの記者たちが、この最初期の慰安婦問題における言説を検証せず報道したのみならず、彼ら自身の一部もまた、自らこの言説を信じ込んでしまっていたことにあったろう。その意味において、吉田証言の盲信も、挺身隊と慰安婦の混同も、従軍慰安婦問題の初期の誤謬をそのまま受け入れたことの結果だったと言うことができる。

朝日新聞の慰安婦報道を考える上で重要なのは、彼らが「従軍慰安婦問題に関わる議論をリードし、その発掘を積極的に行ってきたこと」について「どう考えるか」、である。自らが犯した誤謬については率直に向き合う必要がある。しかし、そのことはだからといって彼らが一旦誤謬を犯した問題を避けて通るべきだ、ということを意味しない。重要なのは誤謬を真摯に反省しつつ、「未来」に対して責任を果たしていくことである。

そして、そのことは「過去」においてではなく、「今」朝日新聞が自らの慰安婦問題に関わる報道を「どう取り組むか」とも密接に関わっている。

同紙の過去の報道は、単に誤謬を広めた「害」しかなかったのか、それとも従軍慰安婦問題という日韓両国のみならず国際社会においても重要な女性の人権に関わる積極的な問題提起を行うことで、日韓関係や女性の人権問題に関わる何らかの貢献を行ってきたのか。そもそも一連の記事の背後には当時の朝日新聞の記者たちのどのような考え - それがどの程度明確に意識されていたのかも含めて - があり、今後は同じ問題についてどのように取り組んでいくべきなのか。朝日新聞が「検証」し、また、答えなければならないのは、本来なら、これらの点についてであったはずである。そして、この点に対する「検証」なくしては、同紙の現場の記者たちも取材の方向性を見失い、同紙は漂流することを余儀なくされることになるだろう。

日本を代表するリベラルメディアとしての朝日新聞が、「今」の段階で、自らの「過去」の報道を如何にして理解し、また「未来」へ向けての自らの報道を立て直していくのか。それは単に同紙にとって重要のみならず、日本における健全な言論空間を維持するためにも重要である、と信じている。「優等生の不器用な言い訳」の殻を破り、朝日新聞は今後、どのような記事を書き、日韓関係、ひいてはこの社会で如何なる役割を果たしていくのか。その点を注視しつつ、本稿の筆を置くことにしよう。
(敬称略)
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木村 幹(きむら かん、1966年(昭和41年)4月7日 )は、日本の政治学者、神戸大学教授。専門は比較政治学、朝鮮半島地域研究。博士(法学)。大阪府河内市(現・東大阪市)生まれ.

(貼り付け終わり)

ブラック企業の持つ精神構造で、果たして世界に勝てるのか? 興味あるコラムを読む。

2014年08月29日 14時51分00秒 | 日記
 ワタミフードサービスやゼンショーホールディングスなど、外食産業の雇用形態で、非正規社員に対しての過度な長時間労働の強要等で、ブラック企業というあだ名まで呈された。

 さすがにベビーブーマー時代の大量の労働者が定年退職時代を迎え、世間に人手不足の傾向がでてきて、ブラック企業と名指しされた、過酷な労働形態を強いていた企業が、批判されるようになった。

 しかしブラック企業の社内で、社員に強要されていた精神論は、なんとも日本的な、忍耐し耐え忍ぶことにより強くなるという、体育会系の鍛え方と基本は変わらないとわかるだろう。

 ダイヤモンド.オンラインに田島麻衣子氏が、ブラック企業の問題を、イギリスの体育系と日本の体育系の鍛え方の例を出して、非常に興味あるコラムを書いておられた。

 イギリスの体育クラブでは、「いかに合理的に勝つかが、チームの最重要課題であった」というのだ。そのためにはチームワークが最重要であり、勝利するための戦略をリーダーや部員と話し合って、練習方法を変えることも厭わないという。

 一方で、日本の体育会は「先輩の言うことには絶対服従である。学年で決まる厳しいカースト制度がひかれ、食事もコーチや先輩より先に箸をつけてはならないと注意された。ひたすら耐えることが目的のように見える練習は、精神を根本から鍛えるためのものだ」と書いている。

 確かにそうであろう、筆者などもそういう育て方をされたことがある。よくよく考えれば、旧日本軍の部隊内のしごきと全く同じであり、日本人の精神構造は、ことによると戦国時代の大名と部下の関係をルーツにしているのかもしれないと筆者は思った。

 しかしこういう上下関係だけを重んじてビジネスをすると、おそらく思考の柔軟な海外のビジネスに勝つことができないであろうことは容易に推察できる。

 そのほか田嶋氏によると、「ブラック企業」という和製英語は世界には、まったく通用しないことも勉強になりました。

 なかなか面白いコラムだと筆者は思いましたので、ぜひお読みください。

(ダイヤモンドオンライン  日本の条理は世界の不条理?田島麻衣子 より貼り付け)

オックスフォードが教えてくれた
日本のブラック企業問題が世界から理解されない理由

田島麻衣子 [国連職員]

【第1回】 2014年8月29日
「365日24時間死ぬまで働け」

「鼻血を出そうがブッ倒れようが、とにかく一週間全力でやらせる。そうすればその人はもう無理とは口が裂けても言えない」

 改めて読み返してみても、すごいロジックである。

 カリスマ創業者の存在感も手伝い、今や映画や書籍、はたまた2ちゃんねるまで、「ブラック企業」は現在の世論を席巻してしまった感がある。

 そうしたなかで先月末、また一つの企業が社会の注目を集めた。深夜営業の「ワンオペ」が話題の牛丼チェーン店「すき家」だ。この経営母体である株式会社ゼンショーホールディングスに対して、第三者委員会による調査報告書 が提出された。自主的にこうした調査を行った同社には、敬意を表したい。

 そしてこの調査報告書には様々な感想が寄せられた。中には、あの大正・昭和初期の労働者達の厳しい労働環境を描いた小林多喜二の小説『蟹工船』にも匹敵する過酷な仕事現場、という声まで挙がった。だから筆者もこれを機会に、同小説に目を通した。当時の労働者達を取り巻いた非人間的な労働環境は、現代のインターネットとテクノロジーが人類の未来を拓く平成の新しい時代とは相当逆行する哀歌に一瞬、見える。

●外国人に「ブラック企業」を
英語で説明するにはどうすればいいか

 さて、こうして日本社会の注目を浴び続ける日本のブラック企業であるが、このブラックな存在を海外の人々に説明するためにはどうしたらいいのだろう。ダイヤモンド・オンラインに目を通すような堅実な読者の方は、「ブラック企業」だからといって、英語で説明する際に”Black Company!”などとは口走らないでいただきたい。英語圏の人々にとって「Black Enterprise」と言えば、普通はアフリカ系アメリカ人が経営する企業のことを指す。また「Black Company」と言えば、アメリカで長年続くフィクション小説シリーズのタイトルだ。同じ黒でもとんだ黒違いであるので、ご注意を。

 海外で似たようなコンセプトはないのかと探せば、「Sweatshop」というものが挙がるかもしれない。スウェットの上下と聞いて読者の方が想像するように、これは主に衣服を縫製加工する工場の劣悪な労働環境のことで、19世紀20世紀初頭のロンドンやニューヨークで社会問題化した。

 これに対して、ロンドンの人々は団結して工場と交渉し、世界でも先駆けとなる最低賃金の設定に関する労働者保護立法や、労働組合の設立のきっかけを作った。だから同時期に、大陸を隔てたオホーツク海上の日本漁船で、生命の危険を犯しながら蟹工船に乗り組み蟹を水揚げしていた人々の苦労が、その後どのような形で日本社会に制度としての恩恵をもたらしたのかについても、筆者は是非知ってみたいと思う。両者の意味するところは似ているので、Sweatshop-type office work system in Japanと言えば、大体の外国人がそれに近いイメージを脳裏に浮かべることができるのではないかと思う。

●日本のブラック企業問題が
海外の人々に理解されない本当の理由

 さてこの海外のSweatshop問題であるが、21世紀の今日においては、富める国の人々の関心の大多数は自国の働き手の苦悩ではなく、途上国の人々の過酷な労働環境に移ってしまったようだ。

 スタンフォード大学で哲学を専攻し、社会問題にも詳しい知人のアメリカ人に聞いたところ「は、何?途上国の話?」と返されたのも、決して偶然ではない。

 例えば、2013年のバングラディッシュで1200人以上の死者を出したアパレル工場の崩壊事故は、様々な国際世論を巻き起こした。いつか崩れるとわかっていながらも、その日工場に出勤した人々の理由は、社内の複雑な人間関係などではなく、また「やればできる」という上司の無茶振りでもなく、はたまた辞めたら世間からどう思われるかという世間体でもなく、ただどうにもならない貧しさであったという。

 7万円弱が国の平均年収のこの国で、月の家賃1000円と食費2000円を払うために、彼らはいつか崩れるとわかっている工場に今日も向かう。世界の人々が、日本のブラック企業問題の根本を、理解しきることができない理由はここにある。

 何故こんなに富める国の日本人が、この21世紀に劣悪な労働環境に悩まなければならいのか。ブラック企業で疲弊する日本人のほとんどは、工場労働者などではなく、正社員雇用の恵まれた環境に置かれた人ではなかったのか、と。

●イギリスの体育会系と日本の体育会系
両者の驚くべき恐ろしい違い

 筆者は、高校時代と大学院時代に、日英双方の体育会系の部活を経験した。前者は日本でフェンシングであり、後者はイギリス・オックスフォードのボートである。そして両者の間には、驚くべき恐ろしい違いがあることを知った。

 まず日本の体育会系の部活では、皆さんもご存じの通り、先輩の言うことには絶対服従である。学年で決まる厳しいカースト制度がひかれ、食事もコーチや先輩より先に箸をつけてはならないと注意された。ひたすら耐えることが目的のように見える練習は、精神を根本から鍛えるためのものだ。誰かの「根性」が入っていないと、共同責任として全員が居残りで体育館を走るように言われた。幸い試合では結果を残すことができたが、その時の「根性」がその後の人生で大きな役割を果たしたかどうかは、正直よくわからない。

 留学先のオックスフォード大学院では、やはり運動好きが高じてボート部に入った。朝5時半起きで川に出る特訓を数ヵ月続けたが、そこで見たものは、レースで勝つという「目的から逆算して発想された戦略の全て」であった。

 アメリカ人、イギリス人、インド人、中国人、そして日本人の私という国籍混合チームであったが、チームワークは徹底的に重視された。そのチームは、ボートを漕ぐというタスクのみで固く結束しており、それ以上またそれ以下のしがらみもなかったのである。コーチが提案するトレーニングの内容も、より合理的なやり方があれば、自由闊達に提案できる雰囲気があった。耐えるか耐えないかではなくて、いかに合理的に勝つか、がチームの最重要課題であった。

「昼夜を厭わず、生活のすべてを捧げて練習し、生き残った者が命令する立場になる」

 これは、日本の体育会のコーチが言った言葉か。それともイギリスのコーチが言った言葉か。

 いや、どちらも否だ。実はこれは、冒頭に挙げた「すき家」の労働環境を調査した報告書の文言を引用したものである。「働く」という言葉を「練習」に、そして「幹部」という言葉を「命令する立場」に置き換えただけのことである。そして報告書は、こういった「ビジネスモデルが、その限界に達し、壁にぶつかったものということができる」と続く。

●良き人生を自ら選択するヨーロッパ人
苦しくても耐え忍ぶ日本人

 産業革命を自ら牽引し、それに派生して生まれた新しい労働問題に随時対処してきたヨーロッパの人々の働くことに関する意識は、日本人のそれとは真逆を行くかもしれない。

 各国の大使を歴任した父について様々な国を巡り、5ヵ国語を流暢に操る頭脳明晰なオランダ人の同僚メアリは言う。

「オランダでは、2時間残業したら次の日は2時間遅く出社する権利を誰もが会社に主張するわ」

 美しい彼女は、主夫として家を守るフランス人の夫と2人の娘の母親として、現在も一家の大黒柱を務めている。4ヵ月間の産休を経た後は、職員の権利として与えられる午後3時帰宅を1年間実行した。彼女に日本のブラック企業に喘ぐ人々の状況を説明したところ、彼女は心底気の毒そうな顔を私に向けたのだった。

 国家の経済が破綻しつつあるのに1ヵ月の夏期休暇は確保する南欧諸国のリーダー達はさておき、ヨーロッパの人々の頭の中には、良き人生を自分で選択する行動指針が組み込まれているように思う。事業で成功するにしても、家庭を大切にするにしても、良き人生の定義は自分で決める。周りの空気や世間体に惑わされることなく彼らは主体的に選びとり、それに対する責任を自分で負っている。

 合理性よりも共同体内の人間関係を重視し、苦しくてもひたすら耐え忍ぶ精神の美徳を説き、場の空気や体面により重きを置く日本社会の傾向を指摘したのは、第二次大戦時の旧日本軍の敗因を分析した名著『失敗の本質』(野中他5名、1984)であった。70年前の日本の組織の特性を言い当てたこの指摘は、現代のブラック企業が直面する課題の本質も、ある意味言い当てているとは言えないだろうか。

 常識で考えれば誰もが持続不可能と思うような勤務形態を、「やればできる。俺たちもやってきたんだ」と精神論で看破しようとするのは、とても合理的に勝つことを念頭において思考する人間の言葉ではない。黒い企業の存在で明らかになった21世紀日本社会の闇は、いまだ根が深いのかもしれない、と思うこの頃である。

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たじま・まいこ
国連職員。新日本監査法人国際部(KPMG)を経て、国連世界食糧計画(WFP)勤務。これまでアメリカ、イギリス、フランス、イタリア、ラオス、アルメニアに日本を加えた7ヵ国で生活、60ヵ国籍以上の同僚達と共に仕事をしてきた。途上国/先進国、アジア/ヨーロッパ/アメリカ/アフリカを横断する自由な視点をもつ。東京都出身。オックスフォード大学院修士課程修了。青山学院大学国際政治経済学部卒。

(貼り付け終り)

安倍首相は、アベノミクスの第三の矢を放り出すべきではない。

2014年08月28日 14時39分03秒 | 日記
 韓国も経済成長を模索する中で、日本の安倍政権のいわゆるアベノミクスが成功するのか?、もし成功するようであれば、同じような政策を取ろうとしていたようだ。

 しかし、最近の日本の経済状況を見ると、どうもアベノミクスには副作用が多いと判断したようだ。

 筆者も懸念していたが、日本の輸出企業はほとんどが海外生産に移行し、日銀が金融の量的緩和によって円安政策を取ったが、輸出増よりも輸入増が多くなり、しかも円安による輸入価格の大幅増加により、日本の国際収支は大幅にマイナスになる悪化の原因になった。

 そして積極的な公共投資のばら撒きが、政府の財政状況の悪化に輪をかけている。

 本来は第三の矢である成長戦略が最重要であるが、人口減少社会を補う移民の受け入れなどの課題が、右翼保守系の根強い反対が多く、安倍政権では解決できず、根本的な少子化対策が出来ていない。

 人口が減る事によるパワー減少は、GDPで必要な購買力もつかず、高齢化による働き手減少を補う事も出来ない。

 韓国の朝鮮日報は、こういった日本の現状やアベノミクスが軌道に乗っていないことを見越して、アベノミクスが韓国の成長の参考にはならないと見ているようだ。

どうも筆者が見たところでは、安倍首相はアベノミクスに精力を注ぐ事には、余り熱心でなかったのではないかと思う。

 彼の頭は、日本は武力的にも強い国でありたいと言う想い、その為に同盟関係にある米国との集団的自衛権を確立しなければならないと、思い込んでいるようだ。

 しかし隣国中国、韓国との外交はうまくいかず、米国もせめて日韓は共同歩調を取って欲しいと思っているようだが、この関係改善も順調に進まない。

 中国との敵対関係も、米国と中国の経済的な繋がりから言うと、米国は決定的な敵対関係になるのを避けるように、日本にシグナルを送り続けている。

 ロシアも含めて考えると、日、米、中、韓、露は簡単なオセロゲームのような解決策はなく、本当に実力のある外交交渉力を、日本は必要としていると思うのだ。

 しかし、この外交力がなんとも覚束なく見えるのが、安倍政権の泣き所だ。

(朝鮮日報日本語版 より貼り付け)

アベノミクスの副作用が韓国に与える教訓とは

 長期不況に陥った日本経済を救う妙案と思われたアベノミクスは限界に達したのか。無制限の資金供給と円安政策のおかげで復活するかに見えた日本経済の成長鈍化がはっきりしてきた。一方、貿易赤字、政府債務がさらに深刻化し、量的緩和の副作用が次第に明らかになってきた。

 専門家はアベノミクスが危機に直面したのは、規制改革を通じた経済構造改善という裏付けがなかった結果だと指摘する。日本と似た方式で経済再生に乗り出した韓国のチェ・ギョンファン副首相率いる経済チームと政界にとっては反面教師とすべきだ。

■経済指標が悪化

 日本の中堅建設会社、岩本組はこのほど、東京地裁に民事再生法の適用を申請した。1933年に創業した同社は労働力不足による工期遅延に加え、資材価格上昇による直撃を受け倒産した。

 最近日本のさまざまな経済指標が悪化の兆しを見せている。第2四半期(4-6月)の日本の実質国内総生産(GDP)は前期比1.7%、前年同期比で6.8%減少した。今年4月の消費税引き上げの影響でマイナス成長は予想されていたものの、減少幅は専門家の予想を上回り、「ショック」と言える水準だった。

 株価上昇も完全に止まった。アベノミクス初期の2012年11月から13年5月までの間に日経平均は80%上昇した。しかし、日本株は年初来で4.7%下落し、アジアの主要株式市場で唯一上昇相場から取り残された。

 韓国など輸出ライバル国に苦痛を与えた円安政策は、大幅な貿易赤字という意外な結果を招いた。日本は今年上半期に過去最高となる7兆5984億円の貿易赤字を記録した。大幅な貿易赤字により、これまで常に黒字だった経常収支も昨年下半期以降、赤字に転落した。

 「Jカーブ効果幻想論」も浮上している。Jカーブ効果とは通貨が下落すれば、最初は貿易収支が悪化するが、最終的には輸出増で改善に転じるとする理論だ。しかし、日本の製造業の多くは海外に移転してしまっているため、円安が輸出増加につながる時代は終わりを告げたとの分析も聞かれる。

 福田慎一東大教授(経済学)は「輸出企業の多くが海外に生産基地を置いており、円安のメリットを享受できなかった半面、原発稼働停止によるエネルギー輸入増加で貿易赤字が拡大した」と分析した。

拡張的な財政政策により、政府債務はさらに膨らんだ。6月末現在で日本の政府債務は1039兆円で、昨年6月に1000兆円を突破して以降、40兆円近く増えた。政府予算の22%を毎年の債務償還に充てなければならないほど巨額だ。

 量的緩和で景気を改善し、家計所得と税収を増やそうという計画もうまくいっていない。6月末の日本の実質賃金は前年比で3.2%下落した。英フィナンシャル・タイムズは「高賃金を受け取っていた日本のベビーブーム世代が引退し、そのポストを低賃金の勤労者が埋めているため、実質的な完全雇用状態であっても、家計所得は増えないという逆説に陥っている」と報じた。

■外れた「第3の矢」、韓国に与える教訓

 アベノミクスは当初3本の矢で構成された。大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する規制改革などの成長戦略だ。しかし、最初の2本の矢は初期に相当の効果を上げたが、最も重要な鍵とされた3本目の矢は利益団体の反対で取り組みが遅れている。規制改革による経済構造の改善が進まなければ、アベノミクスはバブルだけを量産し、失敗に終わる可能性が高いと言われている。

 安倍政権は大都市を経済特区に指定し、外資誘致を進め、企業投資を増やす計画だった。しかし、論議は活発に行われても、関連する法律が国会に提出もされないままだ。少子化による人材不足を解決するために必要は外国人労働者の活用、移民拡大も極右勢力の反発で進展していない。極右勢力は「移民が拡大されれば犯罪が増え、国家安全保障に脅威となる」と反対し、移民政策は足踏み状態となっている。

 格付け会社のムーディーズ・インベスターズ・サービスは「最初の2本の矢だけではむしろ長期的に政府債務が悪化する可能性がある」と警告した。韓国銀行は最近、日本経済を分析した報告書で「潜在成長率が低い状況で、日本政府が量的・質的金融緩和政策を続ければ、『成長なき物価上昇』を招く可能性がある」と懸念を示した。

 日本が直面する現実は、アベノミクスと似た通貨・財政政策で経済再生に乗り出した韓国に多くの点を示唆している。延世大の全光宇(チョン・グァンウ)碩座教授(元金融委員長)は「通貨・財政政策という栄養剤が一時的に効果を発揮している間に規制改革で根本的な体力を回復しなければ、結局は副作用に苦しむことになる」と指摘した。

東京=車学峯(チャ・ハクポン)特派員

(朝鮮日報日本語版 より貼り付け終わり)

ロシアプーチン大統領のウクライナ戦略に、右往左往する欧米諸国。

2014年08月26日 21時12分30秒 | 日記
 最近はウクライナ関連のニュースも減りつつあるが、日本には欧米からの情報が多く、ウクライナ問題もロシアが悪いと思っている人が多いかもしれない。

 しかし田中宇氏がインターネットに流れている報道内容を分析すると、どうもあのマレーシア航空機の撃墜事件も、ウクライナ軍の戦闘機からの射撃によって被弾墜落したという見方が、色々な証拠の分析からも、根強く言われていると報じている。

 「対露経済制裁が欧州やウクライナの経済を悪化させる結果になっている。もともとロシアに依存する傾向が強かったウクライナ経済は、いまや破綻寸前の崩壊状態だ」と、ウクライナ内部での政変を起こしたのが裏目に出ていると見ている。

 米国に比べて欧州諸国にとっては、ロシアからのエネルギー輸入は圧倒的に多く、一方で生鮮食品だけでなく、自動車や多くの工業製品の輸出先としても重要な相手先だ。

 特にドイツは対ロ輸出の減少で経済的な影響が大きい。

 しかもロシアは欧州から輸入していた食料品の禁輸に踏み切った。これで困るのは欧州であり、ロシアはBRICS諸国や新しい食料品の輸入先を増やして、着々とプーチン大統領の戦略を生かしている。

 結果として対露輸出で稼いでいたEU諸国の食品産業は、食肉、野菜、果物、乳製品などの分野で打撃を受けているのだ。

 「ドイツの主要な経済新聞ハンデスブラットは8月上旬に「米欧は間違っている」と題する社説を出した。社説は「対露制裁はドイツの国益を損なう。ドイツのマスコミはロシア敵視のプロパガンダをやめるべきだ。現実策(つまり親露策)に立ち戻るべきだ」と主張している」と言う。

 筆者は、これはどう見ても現ウクライナ政権は退陣を迫られ、ドイツを中心とした欧州諸国はロシアとの和解の道を探るようになると見てしまう。

(田中 宇の国際ニュース解説より貼り付け)

ウクライナでいずれ崩壊する米欧の正義
2014年8月24日   田中 宇

 7月17日にウクライナ東部の上空でマレーシア航空MH17機が撃墜された事件について、巷間報じられている「ロシア側」の犯行でなく、直前にMH17を追尾していたウクライナ空軍の戦闘機が空対空ミサイルや機関砲を発射して撃墜したという説が、米当局内などから出ている。墜落現場の残骸で最も形をとどめているのは操縦室周辺のもので、そこには口径30mmの砲弾が貫通した跡が無数にある。このような砲弾を撃てるのは、30mm機関砲(GSh-30-2)を搭載していることが多いとされる、MH17を追尾していたウクライナの戦闘機(Su-25)だけなので、ウクライナ軍の犯行に違いないという説になっている。

 この説は、2つの筋から出ている。一つは、ドイツの元ルフトハンザの操縦士(Peter Haisenko)による分析だ。ルーマニアの航空専門家も、似たような見方をしている。もう一つは、米国の記者ロバート・パリー(Robert Parry)が、米国の諜報機関の分析者たちの間で、ウクライナ空軍機の犯行でないかとの見方が出ていると指摘したことだ。元AP通信のパリーは、昔から米諜報界に食い込んでいる人で、コンソーシアムニュースの主筆をしている。

 パリーによると、一部の米諜報関係者たちは、当日、マレー機より約30分遅れてほぼ同じコースを、ブラジルからロシアに戻るプーチン大統領の専用機が飛んでおり、ウクライナ空軍機は、プーチンの専用機を撃墜するつもりで、間違ってマレー機を撃墜してしまった可能性があると考えている。(もう一つ、最初から東部ロシア系勢力のせいにする目的で、ウクライナ軍がマレー機を撃墜したという見方もある)

(プーチンの専用機は、ポーランド上空までマレー機と同じコースを飛んでいたが、敵国であるウクライナ領空に入らず、北方のベラルーシ上空を通ってロシアに帰国した)

 米欧ウクライナは、当日ウクライナの戦闘機がMH17を追尾していたことを認めていない。戦闘機の追尾を指摘したのは、7月21日にロシア軍が行った詳細な記者会見だった。「ロシアの言うことなんか信じられるか」と思う人が多いかもしれないが、被害者であるマレーシアの英字新聞ニューストレートタイムスは、ロバート・パリーらの分析を引用し、MH17はウクライナ空軍機によって撃墜されたという見方が米諜報界で強くなっているとする記事を8月上旬に出している。同紙はマレーシア政府との関係が深く、記事が出たことは、マレーシア政府の中に、MH17はウクライナ機に撃墜されたと考える向きが強いことを示している。

 MH17撃墜に関して、当日の衛星写真など、まともな根拠を示して説明した関係国はロシアだけだ。米国やウクライナは、撃墜について、いまだにまともな説明をせず、ロシア側がやったに決まっているとだけ言い続けている。事件後、米国も衛星写真を発表したが、それは撃墜事件についてでなく、数日後に発生した、ロシアとウクライナが国境地帯で相互に大砲を撃ち合った件に関してだった。 (マレーシア機撃墜の情報戦でロシアに負ける米国)

 MH17のブラックボックス(ボイスレコーダー)は、英国政府の航空機事故調査担当部局が保管して分析しており、9月に調査結果を発表する予定になっている。英国は、マレーシアの旧宗主国である関係で分析を依頼されたのだろうが、英国はMH17墜落後、一貫してロシアを無根拠に非難しており、米国のロシア敵視策に積極的に乗っている。ウクライナ軍機が犯人だと暴露されるなど、ウクライナに不利、ロシアに有利な結果が出た場合、英国は調査結果を正しく発表しない可能性が大きい。

 国際社会がMH17墜落現場周辺での停戦を呼びかけたのに、その後、ウクライナ軍はむしろ墜落現場周辺で積極的に親露派に攻撃を仕掛け、戦闘状態を激化している。「今やらないと親露派が勢いを回復しかねない」というのがウクライナ軍の言い訳だが、墜落現場での捜索を邪魔することで、ウクライナ軍の犯行がばれる証拠が国際社会の側に渡らないようにしていると疑われる。

 事件の関係国であるオランダ、オーストラリア、ウクライナ、ベルギーの4カ国は、MH17墜落についての情報を発表する際、4カ国のうち1カ国でも反対したら発表できなくなる協定を結んでいる。これは米国の差し金で作られた協定だろうが、ウクライナに不利な情報を公表させないようにする事実の隠蔽策に見える。ウクライナ軍が撃墜の犯人だとしても、それはなかなか「事実」として確定しないだろう。

 米国務省がウクライナの政権転覆を支援して今年2月に政権交代を実現して以来のウクライナ戦争で、米国は、欧州など先進諸国を巻き込んで、ロシアの「悪さ」を誇張するプロパガンダ策をやりつつ、ロシアを経済制裁している。米当局やNATOは、今にもロシア軍がウクライナに地上軍侵攻しそうだと言い続けているが、実際のところロシア軍はウクライナ領に入っていない。その一方で、ロシアにおけるプーチンの支持率は上昇を続け、87%にもなっている。この支持率には露当局の誇張があるかもしれないが、ロシア人の多くが米欧のやり方に怒り、プーチンを支持しているのは確かだ。

 事態はロシアの譲歩や敗北につながらず、むしろ逆に、対露経済制裁が欧州やウクライナの経済を悪化させる結果になっている。もともとロシアに依存する傾向が強かったウクライナ経済は、いまや破綻寸前の崩壊状態だ。IMFは今年の経済成長をマイナス6・5%と予測している。IMFは今春、ウクライナ政府が緊縮財政策をやる代わりに支援融資することを決めたが、緊縮財政は実現しておらず、IMFが金を貸さなくなりそうだとの予測から、ウクライナ国債の金利が高騰し、財政破綻直前の状態だ。通貨フリブナの為替の下落も続いている。ロシアとの対立があと数カ月続くと、ウクライナ経済は完全に行き詰まるとの予測も出ている。

 ウクライナは、ロシア系が多い東部が炭鉱に依存する工業地帯(同国は欧州第2の石炭産出国)だが、炭鉱の半分が内戦で閉鎖され、これがウクライナ経済に打撃を与えている。ウクライナはソ連時代からのロシアとの関係で、ロシア軍の武器の部品を作る重要な工場がいくつかある。ウクライナ政界では、ロシアへの軍需物資の輸出を止めろという主張があるが、経済や雇用の損失を恐れるウクライナ政府は工場の生産を止めず、軍事物資の対露輸出を続けている。

 米欧がロシアへの経済制裁を強めたことへの報復として、ロシア政府は8月6日、米欧など対露制裁を行っている国からの食料の輸入を禁止する策を開始した。マクドナルドなど、米欧企業がロシアで展開している小売業に対する規制強化も始まった。ロシアは国内で消費する食料の4割を輸入にしている。当初、露国内の食料価格が上がって人々の生活苦がひどくなるとか、ロシアの孤立に拍車がかかるといった、ロシアの不利益に関する予測が大きく報じられた。

 実のところ、ロシアが米欧から食料輸入を止めたのは「孤立化」でなく「多極化」の策だった。ロシアは米欧からの輸入を止める代わりに、中南米やトルコ、中国などBRICSや親露的な発展途上諸国からの食料輸入を急増し、米欧とのつながりを切ってBRICSなどとのつながりを深める多極化策を開始した。プーチンはBRICSで食料安保体制の強化を呼びかけた。

 ポーランドがロシアに輸出していたリンゴの買い取りを米国に求めて断られたりするのをしり目に、ブラジルの食肉業者が米国勢の穴埋めで対露輸出を増加し、トルコやインドの政府も、ロシアとの貿易を増やせる好機だと喜んでいる。

 対照的に、対露輸出で稼いでいたEU諸国の食品産業は、食肉、野菜、果物、乳製品などの分野で打撃を受けている。オランダ政府は、ロシアの食料輸入停止の悪影響が、当初予測した額の3倍の15億ユーロに達しうると被害を上方修正した。EUは米国に、追加の対露制裁を提案しないでくれと要請している。

 ブルガリアは、ウクライナを迂回してロシアのガスを欧州に運べる天然ガスパイプライン「サウスストリーム」の通過国だ。米国(NATO)は、ブルガリア政府が求めに応じて、12機のF15戦闘機と180人の兵力をブルガリア軍基地に駐留させ、交換条件としてサウスストリームの建設を止めさせた。

 しかし同時にブルガリアは、経済面でロシアへの依存度が高く、欧州とロシアとの相互制裁の結果、最大の悪影響を受けている。ブルガリアでは、これ以上米欧の対露制裁につき合えないとの意見が強まっている。同様に、EUの中でドイツ、スロバキア、ギリシャ、チェコが、追加の対露制裁に反対している。ドイツ経済は今年、対露制裁の影響でマイナス成長になるかもしれない。

 欧州に対するロシアの最大の未発動の武器は「ガス輸出」である。EUが使う天然ガスの3割が、ロシアからパイプラインで輸入されている。ロシアから欧州へのガス輸出は、今のところ平常通りに続いている。プーチンは欧州に対し、まだ最大の武器を使わないでいる。欧州側は、現在までの食料輸入の停止だけで、かなり経済的に困り始めている。

 米国では、外交政策決定の奥の院である外交問題評議会(CFR)が、機関誌「フォーリン・アフェアーズ」に「ウクライナ危機は、ロシアでなく米欧の責任で起きた。プーチンは悪くない。NATOの拡大策が悪い」という趣旨の論文を載せた。

 著者は地政学者のミアシャイマーで、論文は「クリミアはロシアにとって最重要の軍港がある重要な影響圏で、ウクライナを反露政権にしたらロシアがクリミアを奪いに来るのは当然だった。プーチンは昔からNATOを拡大するなと言っていたのに、それを無視してウクライナやグルジアをNATOに入れようとした米欧が悪い」という趣旨を書いている。プロパガンダで塗り固め、善悪を歪曲する米国のロシア敵視策は、そろそろ限界にきている。そんな警告が、この論文から読みとれる。

 米国側の姿勢の揺らぎに同期して、EUの筆頭国で最大の親露国でもあるドイツで「もう米国の馬鹿げたロシア敵視策につき合って経済難を被るのはごめんだ」という叫びがマスコミで出てきている。ドイツの主要な経済新聞ハンデスブラットは8月上旬に「米欧は間違っている」と題する社説を出した。社説は「対露制裁はドイツの国益を損なう。ドイツのマスコミはロシア敵視のプロパガンダをやめるべきだ。現実策(つまり親露策)に立ち戻るべきだ」と主張している。

 ドイツのテレビの風刺番組「エクストラ3」では、芸人が「これがマレーシア機の撃墜犯がロシアだという決定的証拠の衛星写真だ!」と言って、子供が画用紙にクレヨンで描いた何枚かの絵を見せるという、米国批判の風刺劇を放映した。ドイツのテレビには、極東の対米従属固執の島国のテレビが喪失してしまった力量が残っている。

 ドイツのメルケル首相は8月23日、首相就任後初めてウクライナを訪問し、ウクライナを連邦国家として再編し、親露派が多い東部に自治を与えることで内戦を終わらせる策を提案した。ウクライナの連邦化は、ロシアが以前から提案していた内戦終結策だが、ウクライナや米国は、ずっと連邦化案を無視していた。メルケルの提案が実現するかどうかわからないが、一つの新たな希望ではある。

(貼り付け終わり)