元気な高齢者こそ使いたい電子機器

80歳を過ぎても、日々の生活を楽しく豊かにする電子機器を使いこなそう

9月初めまで、お休みします。

2016年08月28日 22時10分35秒 | 日記
 8月26日から妻の体調がよくなく、とうとう入院することになりました。

 10日間ほどの入院治療で回復できそうなので、ここ数日ブログの書き込みはお休みいたします。

 筆者は幸い健康にも恵まれ、妻の看病にさかれる時間が減れば、今まで以上に書き続けようと思っています。

 典型的な高齢夫婦の生活を送っているため、車の片輪がきしむとたちまちふらつく自転車のようなものです。(笑)

 なんといっても、健康でなければ前向きの考えも、意欲もわくものではありません。

 毎日、ささやかな書き込みのブログでも、お読みいただきありがとうございます。

 今のところ9月から再開する予定にしています。よろしく願います。

 

アベノミクスの問題点は何なのか? 相も変わらない成長政策が、そもそも間違っているのでは?

2016年08月25日 18時03分34秒 | 日記
 リオのオリンピックも終わって、ブラジル政府のもたつくオリンピック対応で、果たして無事に開催できるのかというメディアの報道も多かったが、結構立派に終了できている。

 ブラジルなどにみる競技場建設の進め方など見ても、日本のようにスケジュール通りに事が進まないというのが、一般的な世界の人間の行動パターンで、むしろ日本のように時間通りに進める事に執着している国は、むしろ少ない。

 鉄道やバスの出発時間の正確さ一つ見ても、日本の場合は、異常に正確といえるくらいだ(笑)

 日本人のDNAであるのか、物事の作り方、計画の進め方は異常に正確だ。

 ところが、日本でも異常なほど正確さに欠ける計画がある。

 何かといえば、言わずと知れた政策の進み方だ。(笑)

 アベノミクスを取り上げればわかる。安倍首相が意気揚々と誇らしげに高々とアベノミクスを宣言して3年を過ぎる。しかし、、まだ道半ばという。

 このまさに1000日を超える時間をかけながら、まだ各種の指標が上向く気配がない。

 金融政策だけで、経済指標が良くなるはずがないことは分かり切った事だが、根本的な改善策が一向に効果を上げていないせいだろう。

 野党がだらしないために、アベノミクスに対抗できる政策も打ち出せていない。

 なんとも希望の見えない日本の経済政策だが、筆者は相変わらず成長を目指すだけの、ワンパターン政策に根本的な問題が隠されていると思うのだ。

 人口が減り、若者の出生率も低く、高齢者は増え続けるが、一方で住まなくなった空き家が増え続けるという、固定資産の無価値化がある。 空き家が着実に増えるのに、一方で新築の建設を相変わらず進めている。

 ここにきて、ようやく利便性のある場所にある中古住宅のリフォーム事業が立ち上がりつつあるが、人口減少社会に対応した街の見直しなど、成長一辺倒の考え方を根本的に変える必要があると筆者は思うのだ。
 

(BLOGOSより貼り付け)

量的緩和策は効果なし? アベノミクスはもう限界なのか……
2016年08月25日

 このところ国内の消費低迷が深刻な状況になっています。量的緩和策によって市場には大量のマネーが供給されているはずですが、都市銀行の貸し出しはマイナスに転落しています。アベノミクスはもはや限界なのでしょうか。

◉急激に萎んでいく銀行融資

 日本百貨店協会が発表した7月の全国百貨店売上高総額は5598億円と前年同月比で0.1%のマイナスとなりました。売上高がマイナスになるのはこれで5カ月連続ですが、消費が弱いと物価も下落していきます。6月の消費者物価指数は、代表的な指標である「生鮮食品を除く総合(コア指数)」が前年同月比マイナス0.5%という大幅下落となりました。マイナスは4カ月連続で、しかも下落幅が拡大しています。状況はかなり深刻といってよいでしょう。

 市場関係者をさらに驚かす統計も発表されています。これまで減ることがなかった銀行の融資がとうとう減少に転じたのです。全国銀行協会が5日に発表した7月末時点における貸し出し動向では、全国銀行の貸出金は前年同月比でプラス2.1%だったものの、都市銀行の貸出金は前年同月比でマイナス0.7%となりました。都市銀の貸出金がマイナスに転じるのは何と45カ月ぶりのことです。

 マイナスに転じたことそのものを過剰に騒ぎ立てる必要はありません。むしろ重要なのは貸出残高のトレンド(傾向)です。今年に入ってから貸出残高の伸び率低下が顕著となっていますから、融資が急激に萎んでいるのは間違いないでしょう。

◉投機的な動きで市場は大混乱に陥る可能性

 量的緩和策によって、日銀は毎年80兆円もの資金を市場に供給しています。日銀が供給したマネーのほとんどは当座預金に積み上がったままであると指摘されてきましたが、それでも年間80兆円のインパクトは大きく、銀行融資も少しずつではありますが伸びてきました。今後も資金の供給が続く状況であるにもかかわらず、融資が減っているのは、本当に貸す先がないことを示唆しています。

 適度なインフレという当初の目的が達成されないまま、大量の資金供給を続けることは長期的に見ると大きなリスク要因です。今はデフレ傾向が顕著でも、為替や債券などに投機的な動きがあった場合には、急激な円安や金利上昇など想定外の事態が発生し、市場は大混乱に陥る可能性があります。

◉対症療法的な施策はもはや限界か

 量的緩和策の位置付けについて、日銀はそろそろ見直しを行う必要があるかもしれません。もしそうなれば、アベノミクスそのものについても再検証が必要となってくるでしょう。

 日本はこれまで、なぜ経済が低迷しているのかという本質的な部分にはあまり目を向けず、財政出動の強化や量的緩和策など、痛みを伴わない経済政策ばかり選択してきました。しかし、こうした対症療法的な施策はもはや限界に来ているようです。
(The Capital Tribune Japan)

(貼り付け終わり)

スーパーマリオが安倍首相に変身する演出は良かったが、惜しむらくは笑顔が堅かった。

2016年08月23日 13時28分45秒 | 日記
 ブラジル リオオリンピックは昨日閉会式が行われて、約2週間強の競技が終了した。

 日本選手のメダル数も過去最高と、次の東京オリンピック開催への期待を持たせた。

 小池百合子都知事によるオリンピック開催経費の再見直しも急いでもらって、いつまでも経費の追求ばかりで時間を費やして欲しくはないものだ。

 閉会式で次の開催地トウキョウの紹介ビデオや、コンピューターコントロールによるビデオマッピング技術の進化が、改めて急激に進んでいることも実感できた。

 東京紹介部分で、スーパーマリオがドラえもんの扉を使って、東京からリオに一直線でトンネルを抜け、会場のトンネル出口から出現、衣服を脱ぐと安倍首相が赤い球を持って現れるという演出も良くできており、筆者は悪くなかった思う。

 ただ惜しむらくは、安倍晋三氏が、もっとにこやかに笑顔を見せていれば、最高であったと惜しまれるところだ。

 オバマ大統領などが垣間見せる笑顔などは、訓練された自然さが出ている。それに比べると、安倍首相の笑顔には洗練さに欠け、見ているこちらにまで必死で作っている笑顔と感じさせてしまうのだ。

 安倍首相には、国民に向かって心から見せる笑顔を作り出して欲しい。 そのためにはやはり、企てている政策に、国民の期待が感じられる中身がないと、そのような笑顔は作り出せないだろう。

 

週刊誌が叩く、日本の医療や医薬品は、本当に危険なのか?

2016年08月22日 16時15分47秒 | 日記
 最近、筆者はDocomoのdマガジンを読むことができるようになり、各週刊誌をザ~と読むことが多い。

 一般週刊誌で、最近増えてきている記事に、医療関係の記事がやたらと増えてきている。 筆者は週刊誌の購読層が中高年齢者が多く、必然的に受けている医療や処方されて飲んでいる医薬品に関して、本当に自分が受けている医療行為が正解なのかと、知りたいという願望にかなった企画だからと思っている。

 記事の中には、日ごろの処方されている常備薬的な医薬品が危険だとか、かなり患者にとってはおどろおどろしい記事も散見される。

 筆者は幸い余りそれらしい病気の気配がないため、ほとんど常備的に薬を飲んでいないが、同年齢の人たちの間では、食後に薬を飲んでいる人たちが目立つ。 また60歳以上の人たちが集まっていると、自然と健康の話題になるのは仕方がないことだ。

 タイミング良く、「週刊誌の「医療叩き」はなぜ起こるのか」と題したコラムを、真野俊樹氏が書いておられる。

 このコラムの読者層に、ダイヤモンド社が日本の医療を信頼しているかという、ネット上の世論調査を行っているが、「おおむね信頼している」という層も含めると、約85%程度の人たちが信頼しているようだ。

 筆者も、日本の医療の実体は世界的に見てもそんなに悪くはないと思っていた。

 ただ、医療行為は、このコラムでも書いてあるように、医師と患者の相互の信頼関係がないことには、良い形の医療行為を受けられないと思う。
 


(ダイヤモンド・オンライン  DOL特別レポートより貼り付け)

週刊誌の「医療叩き」はなぜ起こるのか
真野俊樹
2016年8月22日

最近、各週刊誌等で医療に関する特集が多く見られる。その大半が手術の断り方や薬のやめ方など、手術や医薬品、治療方法の危険性を強調した内容に終始している。このような記事が多く読まれる背景には、相変わらず世間に「医療不信」が根強く残っている証左とも言えよう。それでは、実際に日本の医療レベルは低いのか。検証してみた。(多摩大学大学院教授 真野俊樹)

◉医療レベルを測る指標により
国際比較が可能になりつつある

 最近、週刊誌も含め医療不信の話題がかしましい。 実際に日本の医療レベルはそこまで低いのであろうか。

 医療のレベルを測るには様々な指標がある。大別すれば、治療実績に関するものと、医療経済的なものに分けられる。 前者は、個別の疾患の予後のように、その医療でどの程度病気を治すことができたのか、という指標である。 これはどこの病院に名医がいるのか、がんの治療においてどこの病院が優れているのか、といった内容なので、一般の人にもわかりやすい。

 後者の指標は、例えるならば、「吉野家」の「うまい、早い、安い」ではないが、国民にとって、良い医療が廉価でアクセス可能なのか、という指標である。こちらは、マクロ的な話になり、その国の医療制度(日本でいえば国民皆保険制度)が深く関係するので、一般の方は言うに及ばず、医療の専門家である医師にとっても、なじみがなく、医療経済や医療制度の専門家以外はあまり考えることがなかった。

 しかし、国際的には、後者の指標の方が比較しやすかった。例えば、OECDなどに、各国の政府がデータを提出するので、その間での比較ができたからである。

 ただ最近では、データ集積技術の進歩に伴い、前者の、国民全全体になじみやすい指標についても国際比較ができるようになってきたのである。

◉実際に比較してみれば
国際的には評価が高い日本の医療

 こういった指標において、実際に国際比較した場合、日本の医療レベルは低いのであろうか。

 決してそんなことはなく、むしろ、高いのである。例えば、「大腸がん」にかかり、医師の治療を受けたとする。OECDデータにおける5年生存率は、主要先進国の中では日本が世界一なのである。

 であるがゆえに、日本経済の再生を目的とする「日本再興戦略」などでも日本の医療を海外に輸出しようという話になるし、アジアにおいての日本医療への関心は高く、病気の人がわざわざ日本に治療を受けにくるという、「医療ツーリズム」が起きている。

 つまり、「うまい、安い、早い」に照らして考えれば、「うまい」が保障されていることになる。また、国民皆保険制度下にある日本医療では、患者の自己負担は廉価である(もちろん、皆保険の財源をどうやって維持していくのかという問題はあり、非常に重要な問題であることは百も承知であるが、今回は、自分が重い病気にかかり、いい医療を何が何でも受けたいという立場で考えてみた)。

 さらに、「早い」に相当する医療機関へのアクセスも、日本は優れている。例えば、英国などでは、日本の「義務教育」のように、公費で賄われる医療は「学区制」のようになっており、いきなり病院の専門医を受診することはできない。

 まとめて言えば、個別の医療レベルも高く、医療制度も優れているということになる。

◉なぜ医療バッシングが起きるのか
患者が抱える不満・不安が根幹

 それでは、なぜ、医療バッシングが起き、今のように週刊誌で、それが大ブームになるのであろうか。やはり、自分が受けている医療サービスや接している医療関係者に対し、少なからず、何らかの不満や不安を抱えているからであろう。

 その背景の一つには、データの集積により、国際的な医療比較だけではなく、国内の医療の比較も可能になった点があろう。例えば、手術数の病院ごとの差、のデータが紹介され、様々なサイトで、病院ごとの医療レベルに差があるのではないか、ということが如実に示されている。自分の受けている医療や医師について、「大丈夫なのか」という不安が生まれるのは当たり前であろう。

 しかし、一方で医療サービスに対する評価は難しい。特に、医療の場合には、医療サービスを提供している医療者であっても、その提供しているサービスの結果に100%保証をすることができない。「最善を尽くす」ことしかできない特殊なサービスなのである。

 昨今のバッシングが薬剤についてのものが多いのも、医療サービス評価が難しいことを裏付ける。 消滅してしまう医療サービスや、通常、人生に1度か、2度しか経験しない手術に比べれば、薬剤は形があり定期的に服用するものなので評価しやすいのである。

◉医療者側にも問題
患者を見ていないのではないか

 むろん、医療者側にも問題は大いにある。医学による「正しい」治療や診断あるいは診療報酬など経済的問題を追求するあまり、“顧客”である患者を見ていないのではないか。

 いやいや、「自分は“患者第一”で行っている」という医療者が大半であろうが、現実にここまで医療バッシングが起きている点に、何も理由がないわけはあるまい。

 最近では、一時期経営不振に陥ったファーストフード店のマクドナルドがキャッチコピーを「made for you」に変えた。これは、従来の「fast」の訴求から、オーダーメイドによる質の追求に移行した表れであろう。このように、「うまい、安い、早い」のようにすべてを訴求することが難しい時代になってきているのである。

 この方策が成功するかどうかは問題ではない。重要なことはこのような対応の変化が、顧客を重視し、顧客の思いを感知して行われたことである。翻って、医療界では、急性期医療の「キュア」だけではなく慢性期医療や介護を含めた「ケア」も重要だ、といわれるようになっては来たが、これはマクロの話であって、個別の患者対応に変化が起きているとは言い難い。

 すでに海外では、ICT技術を使って、患者が積極的に自らの医療に対して参加する仕組みができつつある。彼我の差は、大きいと言えよう。

◉医療は患者の協力があって成り立つ行為
医療不信は患者側にとってもマイナス

 医療不信については、医療関係者だけでなく、患者も意識して避けるように努力した方がいい。理由は簡単で、「病気」という敵を倒すには、医師などの医療者の力だけでなく、患者自身の協力が不可欠であるからだ。医療不信が広がることは、患者側にとっても結果的に不幸でしかない。

 マグドナルドや、吉野家に対しては、嫌いであれば競合他社を選ぶという選択肢がある。もちろん、少ないながら医療でも「競合他社」を選ぶことはできる。その極端な例が、自国が関与する医療に対する不信の結果、他国の医療を選択するという医療ツーリズムになる。

 ただ、ここでは選択肢の話ではなく、もう少し本質的な点に触れて本稿を終わりたい。

 つまり、繰り返しになるが、医療は患者の協力がなくては完結しないものであるという点だ。例えば、薬剤である。薬剤に副作用があるとしても効果があるから承認されているわけだ。一方の民間療法は効果が不明確であるがゆえに承認されていない。

 しかし、医師だからといって強制的に薬剤を飲ませるわけにはいかない。患者が医師や日本の医療を信じ、薬剤を服用することで医療が完結する。注射にしたって同様である。患者が暴れて注射をすることができなければ、医療は完結しない。

 このように、特殊なサービスである医療サービスにおいては、医療者と患者の信頼関係と患者側の協力が不可欠である。旧来の日本の医療に見られた、この「良き伝統」を失わないようにするためには、医療者と患者、両方の努力が必要なのではなかろうか。

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まの・としき
1987年名古屋大学医学部卒業。医師、医学博士、経済学博士、総合内科専門医、MBA。臨床医、製薬企業のマネジメント、大和総研主任研究員などを経て、多摩大学医療・介護ソリューション研究所教授。東京都病院経営評価委員、厚生労働省独立行政法人評価有識者委員などを兼務。医療・介護業界にマネジメントやイノベーションの視点で改革を考えている。

(貼り付け終わり)

今上天皇のご退位問題を考えるときに、英国王室エリザベス女王の存在も知っておこう。

2016年08月21日 13時20分35秒 | 日記
 今上天皇の退位論が、日本国民のとって、改めて天皇の存在はどうあるべきかを考え直す良い機会を与えている。

 日本と双肩の王位制を守っている国といえば、英国であろう。

 エリザベス女王はすでに90歳になられる。 しかしまだ、英国の女王として職務にいそしんでおられる。

 しかし日本と違い、英国民の英王室に対する見方は、結構興味深いところがある。

 われわれ日本人がよく知っている英王室の話題では、チャールズ皇太子の不倫問題で、離婚したダイアナ妃の悲運の交通事故死などという、非常に人間臭い王室の話題が、一部の保守系日本人が天皇に求めようとする神格化とは、根本的に違っている。

 王室のスキャンダルを切望して止まない英タブロイド紙の報道などは、まるで日本の芸能界の不倫騒動を追っかけている週刊誌と同じ目線に見える。

 しかし、その人間臭さのある王室という存在が、英国民に尊敬と親愛の念を与え、英国の統合の象徴として機能しているのだろう。

 今上天皇は、戦前の神格化天皇であることには強く否定され、象徴天皇であり続ける意思を示されたように、筆者には思えた。

 John Lloydが書いている英国王室のコラムを読んで、退位や王室に関しての、世界の王室の幅広い話題も知ったうえで、今上天皇のご退位問題も考えてみよう。 


(ロイターより貼り付け)

コラム:エリザベス英女王に「生前退位」はあるか
John Lloyd
2016年 08月 20日

[12日 ロイター] - 英国のエリザベス2世女王陛下は、退位されるべきなのだろうか。日本の今上天皇である明仁天皇は、生前退位を望む意向を示唆された。

 82歳になる天皇陛下は、象徴としての務めについてのお気持ちを表明し、「次第に進む身体の衰えを考慮すると、全身全霊で象徴の務めを果たすことが難しくなるのではないかと案じている」と話された。 公式行事において、いくつかの些細な言い間違いを重ねられている。

 女王陛下は90歳である。鋭い関心を注ぐ王室記者たちがこれまで記録してきた限りでは、公務日程は減らされているものの、これまで同様、一分の隙も見せていない。

 とはいえ、何と言っても90歳だ。

 王位継承者であるチャールズ皇太子殿下は70歳に近づいている。その長男であるウィリアム殿下は34歳だ。「若者」というより「中年初期」と呼ばれることの多い年代である。

 女王陛下は、もう退位されるべきなのだろうか。

 天皇陛下にとっては、もっと近い先例がある。

 スペインのフアン・カルロス1世だ。独裁者フランシスコ・フランコ将軍の死後、1975年に即位した彼は、スペインが独裁制から民主制へと移行するなかで大きな役割を果たした。2014年、フアン・カルロス1世は息子(現フェリペ6世)に譲位した。オランダでも3人の女王が、70代になって王位継承者に譲位している。

 エリザベス女王陛下の夫君であるフィリップ殿下の問題もある。 女王陛下に忠実に連れ添ってきたフィリップ殿下は95歳で、健康上の不安を抱えている。長く続く王室伝記作家の系譜のなかで最も若手であるスティーブン・ベイツ氏は、フィリップ殿下の逝去が女王陛下の退位のキッカケとなる可能性を示唆している。

 とはいえ、女王陛下は、高祖母にあたるヴィクトリア女王が、1861年に夫君のアルバート殿下を失った後も40年間女王として君臨したことを意識されるだろう。

 いかがわしいサイトでは、女王陛下がウィリアム王子へ譲位するとの秘密の取り決めがあるのではと噂されてきた。あるいは、英国が欧州連合を離脱しなければ、「軍上層部」から第3次世界大戦の恐れがあると警告を受け、女王陛下が国を離れざるをえなくなると書いているサイトもある。

 だが、もっとまともな(少なくとも内情に通じているとされる)情報源は、女王陛下は決して退位されないと述べている。

 BBCは女王陛下に関するコメントには臆病と言えるほど慎重だが(2007年には、女王陛下について極めて控えめなジョークを口にしたことを理由に、BBC1のディレクター、ピーター・フィンチャム氏を解雇している)、女王陛下がご存命のあいだは退位しないだろうと大胆に報じている。

 BBCは、女王陛下が21歳の誕生日に英連邦に送ったメッセージを紹介して、「一生のあいだ、それが長かろうが短かろうが、皆さんのためにこの身を捧げることを宣言する」という一節が含まれていることを指摘した。

 これは立派な宣誓だ。そして当時は、単なる王女であって、女王ではなかったのである。

 女王陛下が孫のウィリアム王子を王に指名するならば、相当に内気と見られている人物に大きな課題を与えることになる。 ウィリアム王子は、弟のハリー王子と違って、大衆受けのする活発さをまるで備えていない。 今やケンブリッジ公爵夫人となった彼の妻、キャサリン妃は、落ち着きはあるが退屈である。

 それでも、ウィリアム王子とキャサリン妃には、チャールズ皇太子にはない国民的支持を得られる可能性がある。 派手な戴冠式を行えば、上述のような懸念もしばらくは解消されよう。

 だが、王室のスキャンダルを切望して止まない英タブロイド紙は、少し不機嫌そうな顔をしただけでも結婚生活の危機だとこじつけ、宮殿から何か噂が流れるたびに「まもなく離婚か」と煽る。 ウィリアム王子は父チャールズ皇太子に比べればメディア批判を控えているが、あまり効果はなさそうだ。

 大英帝国の終焉、激動の1960年代、欧州を覆う政治的危機、北アイルランド紛争、フォークランド諸島をめぐるアルゼンチンとの短期間紛争といった63年にわたる治世のなかで、女王陛下は、じっと動かない静止点だった。

 ダイアナ妃の死は、当時でこそ王制の危機のように騒がれたが、振り返ってみれば、基本的には忠誠心篤い国民が、女王陛下自らが(心からのものかどうかはともかく)悲しみを表明するよう願う結果となった。あらゆる人があの事件に個人的な喪失感を抱いたためである。

 人生がこれほど長いものになるとは、またこれほどの長期にわたって王冠を戴くことを求められるとは、21歳のエリザベス2世には知りようもなかっただろう。

 だが、約束は約束だ。女王陛下にとって、天皇陛下が望まれるような生前退位は許されそうにない。

*筆者はロイターのコラムニストです。本コラムは筆者の個人的見解に基づいて書かれています。(翻訳:エァクレーレン)

(貼り付け終わり)