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近代革命の社会力学(連載第479回)

2022-08-22 | 〆近代革命の社会力学

六十七 ウクライナ自立化革命

(1)概観
 ウクライナでは、2000年代初頭のユーラシア横断民衆諸革命の一環として、2004年に不正選挙疑惑を契機とする民衆革命(未遂)を経験し、再選挙の結果、親欧派のユシュチェンコ政権が発足したが、この政権は内部対立などから間もなく分裂し、政争が激化する中、ユシュチェンコは再選を狙った2010年の大統領選で惨敗した。
 その結果、一転して親ロシア派のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ政権に交代した。ヤヌコーヴィチ政権下では、当然ながら対ロシア関係が改善されたのみならず、力関係から言ってもロシアの影響力が強まり、事実上ロシアの属国となる恐れが急激に生じた。
 そうした中、ヤヌコーヴィチ大統領の任期途中の2014年2月に再び民衆蜂起が発生し、ヤヌコーヴィチ政権は短時日で崩壊した。革命後には憲法改正が行われ、新たな大統領選挙の結果、再び親欧派政権が発足するという再逆転が生じた。
 こうした経緯から、2010年のウクライナ民衆革命は2004年の未遂革命から時間を置いた二次革命とも言えるが、2004年当時と比べ、ロシアへの従属状態からの解放を主要な目標としていた点からは、2005年のレバノン革命とも共通要素を持つ自立化革命という新たな革命の形態と言えるものである。
 ウクライナでは、2010年革命を、民衆蜂起の拠点となった首都キエフの独立広場にちなみ、「マイダン(広場)革命」と呼ぶのも、そうした対ロシア自立化を意識した呼称である。実際、この革命後は、現時点までウクライナに親ロシア派政権は出現しておらず、継続的な効力を持ち、ウクライナの歴史の方向性を決する画期となる革命であった。
 一方、ロシアにとっては、革命によりウクライナの離反と欧州志向を招き、自国勢力圏の縮小を結果したため、地政学的な観点からも革命には当然否定的であり、以後、ウクライナへの軍事的な干渉を強めていく。
 ウクライナ国内でも、クリミア半島や東部など親ロシア派の地盤では革命への反発が強く、これがロシアの思惑とも結びつく形で、クリミアのロシア編入、さらに東部地域での分離独立派の蜂起と事実上の独立政権の樹立という反応を招いた。こうした革命後の力学が現在進行中のロシア‐ウクライナ戦争につながっていくことになる。


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