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近代革命の社会力学(連載第480回)

2022-08-23 | 〆近代革命の社会力学

六十七 ウクライナ自立化革命

(2)親欧政権の分裂と親露政権への交代
 2014年民衆革命の要因はひとえにその十年前の未遂革命の結果誕生した親欧政権の内部対立と分裂にあり、それなくしては革命も、また革命後の内戦とロシアの侵攻もなかったと断言できるほど、近時のウクライナの激動の引き金を引いた力動である。
 ユシュチェンコ政権は親欧保守政党「我らのウクライナ」を与党としていたが、実際のところは、ソ連邦崩壊後、資源分野のオリガルヒとして台頭してきた女性実業家ユリヤ・ティモシェンコが率いるより急進的かつ民族主義的な個人政党であるユリヤ・ティモシェンコ・ブロック(以下、ブロック)の連立で成り立っていた。
 2004年の未遂革命ではユシュチェンコ‐ティモシェンコの連携により当時のクチマ政権に再選挙を実施させ政権獲得に成功し、ティモシェンコはウクライナ史上初の女性首相にも任命された。
 しかし、ユシュチェンコ‐ティモシェンコ体制が亀裂を来たすのに時間はかからず、2005年にはティモシェンコは早くも首相を解任されたが、大衆迎合的な政治姿勢から彼女の国民的人気は衰えず、2006年、2007年の連続議会選挙でブロックは議席を伸ばし、再び首相に返り咲いた。
 しかし、ティモシェンコの第二期首相時代には天然ガス輸入価格の抑制などをめぐりロシア寄りの姿勢をとるようにさえなり、ユシュチェンコ大統領との対立は深まったが、解任されることなく、2010年の大統領選挙では自らユシュチェンコの対抗馬として立候補した。
 この選挙では、支持が低迷していた現職ユシュチェンコが第一回投票で惨敗する中、ティモシェンコは第二位につけたが、一位の親露派ヴィクトル・ヤヌコーヴィチとの決選投票に敗れ、その後、議会の不信任決議により首相を退任した。
 これにより、一転して親露派のヤヌコーヴィチ政権が成立することになったが、ヤヌコーヴィチの属する地域党は議会選挙では2006年、2007年と連続して比較第一党となっており、選挙結果に現れた「民意」においては最も支持されていた政党であった。
 このことは、2004年の未遂革命後の結果と矛盾するように見えるが、ユシュチェンコ現職の惨敗に見られるように、親欧政権の混迷に有権者が辟易し、再び親露政権の安定性に期待するようになっていたことを示すものとも言える。


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