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戦後ファシズム史(連載第4回)

2015-11-11 | 〆戦後ファシズム史

第一部 戦前ファシズムの清算と延命

3:スペインの場合
 スペインでは共和派政権との内戦に勝利したフランコが、イタリアやドイツにはやや遅れ、1936年以降、ファシスト体制を樹立していたが、第二次大戦中のフランコ政権は内戦で支援を受けたナチスドイツをはじめとする枢軸国側に共鳴しつつ、表向きは「中立」を保つという両義的な策を採ったおかげで、戦後も生き延びることに成功した。
 そのため、スペインのファシズムはフランコが高齢で死去した75年まで遷延していくことになる。従って、スペイン・ファシズムは戦後にその絶頂期を迎える。もっとも、戦後のフランコ体制はファシズムではなく、フランコが出自した軍部を基盤とする権威主義独裁体制だとする見方も有力である。
 たしかに、フランコ体制における実質的な与党であったファランヘ党は支配政党と言えるほどの力を持たず、同党自体もフランコがファシストと伝統的な反動派を糾合して結成し直した経緯があり、フランコ体制はイデオロギー的に雑多な反共右派の寄り合い所帯の性格が強かった。
 とはいえ、フランコは総統を名乗り、終身間国家指導者として君臨し続けたし、ファランヘ党も政治動員上のマシンとしては機能していたのであり、フランコ体制を戦後のスペイン語圏中南米に多く出現する純粋の軍事独裁政権と同視することはできず、ファシズムの特徴を備えていたとみるべきである。
 その特徴は、スペイン社会における伝統的な権威の源泉であるカトリック教会や政治的な権威を持つ軍部を中核とした「権威ファシズム」であり、その点ではイタリアやドイツの真正ファシズムと比べ、曖昧な性格を免れなかったが、元来ファシズムには明確で体系的なイデオロギーがあるわけではなく、信条的な反共主義と心情的な国粋主義を共通項に成立する国家の絶対化という点では、スペイン・ファシズムこそ、ファシズムらしい真正ファシズムだったとさえ言えるのである。
 だたし、フランコはファシズム体制を恒久的なものとは考えておらず、自身の死後には王制復古すべきとの考えであった。そのため、彼の体制はあくまでも暫定的なものであり、フランコは国王空位の間の「終身摂政」といういささか中途半端な位置づけを自らに与えていた。
 ある意味では、そうした「暫定性」を口実に立憲政治を排除していたとも言える。「暫定性」の論理はまた、国際的には戦前ファシズムの生き残りとして国際的に異端視され、孤立する中で体制を延命させるための理屈でもあったであろう。
 フランコに「功績」があったとすれば、彼は死の間際になっても心変わりせず、「暫定性」の論理を守り通したことである。そのため、75年のフランコの死後は、大きな動乱もなく、王政復古=立憲君主制への移行がなされ、これに伴い、西欧的な議会制の導入も図られた。これは、ファシスト政権の指導者自身の遺志に基づき戦前ファシズムが清算された稀有の事例である。
 ファランヘ党は間もなく国民同盟として再編され、選挙参加するが、中小野党の域を出ることはないまま、89年に至り、他の保守系政党を吸収しつつ、国民党として再編された。従って、部分的には同党が旧ファシズムの継承者ではあるが、現在の同党は中道左派の社会主義労働者党とともにスペインの二大政党政を担う代表的な保守政党であり、もはやファシスト政党とは言えない。
 現時点で明確にファシズムの特徴を持つ政党は、2002年に結党された真正ファランヘ党であるが、同党は一部の自治体にわずかな議席を持つにとどまり、国政レベルでの支持の広がりは見られない。スペインでは、戦前ファシズムの清算はフランコ没後の40年間でほぼ完了したと言えるであろう。
 ただし、それはスペイン内戦中とその戦後処理過程でフランコ政権が断行した共産党員を中心とする反フランコ派大量殺戮の罪を法律上免責し、真相究明も封印するという社会的合意のうえでの「清算」である。その意味では、スペインにおける戦前ファシズムの清算は政治的なものにとどまり、歴史的には未了であるとも言えるのである。

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