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「テロ‐反テロ」ゲーム

2015-11-14 | 時評

同時多発テロと、新たなテロ対策。それをかいくぐっての新たなテロ━。もはや、これはテロリストと反テロリストの間での戦闘ゲームである。実際、不謹慎にも、オンラインゲームのような光景が目に浮かんできそうだ。

このゲームでは、テロリストと反テロリストは表面上敵同士だが、互いの行為を理由ないし動機として次の行動を用意するという点で、互いの存在を必要とし合う一種の共犯関係―敵対的共犯者関係―にある。

テロが一件起きれば、新たな治安対策や空爆作戦でこれに対抗する。そうした対抗措置への報復として次なるテロを起こす。このサイクルを繰り返すことで、テロ組織はかえって強化され、一方、反テロを名目とした政府権限も強化される。互いに増強されていくWin-Win関係なのだ。

わけても、一件テロが起きるたびに拡大されていく政府権限は、アメリカや昨晩大規模な同時多発テロが起きたフランスのような「人権大国」をも警察権力が肥大化した「警察大国」に変貌させつつある。*筆者は、このような民主主義を標榜する警察国家を「民主警察国家」と名づけるが、このような国家現象については、いずれ連載論文で取り上げる予定である。

このWin-Winゲームが卑劣なのは、テロリストと反テロリストの指導部は直接対決しないことである。どちらもそれぞれの仕方で、最高度の警備体制に置かれ、厳重に守られている。とりわけ反テロリスト側の政府要人はまさにテロ対策としてかつてないほど厳重に警護されているので、かれらがテロに遭う危険性はほとんどない。

かつては時に君主や元首さえ標的にされる要人暗殺もしばしばあったが、現在では警備体制の技術的な強化により、こうした要人標的テロは不可能に近い。そのため、専らテロの犠牲となるのは、無防備な一般市民である。

政府は治安強化を叫ぶが、市民一人一人に警護をつけることは不可能であり、警護体制における階級格差は解消しようがない。否、要人警護体制を緩めれば、格差は一定軽減されるが、そんなことを当局が許すはずもない。

というわけで、今や21世紀における日常風景になってしまった「テロ‐反テロ」ゲームは、現実世界のゲームとしてはこうした「警護格差」という不平等によって支えられていることを直視する必要があるように思う。

ちなみに、このゲームを終了する方法;それはテロへの対抗措置として空爆でテロリストを殺戮するというようなそれ自体もテロに等しい行動をやめることである。それがWin-Lose関係に見えるという者は、権力的な「体面」にとらわれているのだ。

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