ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

サラエボ事件とW杯

2014-06-28 | 時評

第一次世界大戦の引き金となったサラエボ事件から、今日で100年。この100年で人類は何を学んだであろうか。

故国のオーストリア併合に反対するボスニアのセルビア人国粋主義者にオーストリア‐ハンガリー帝国の皇太子夫妻が射殺された同事件は、民族主義的な暴力の最も象徴的な表出であった。そこから派生した凄惨な世界戦争はナショナリズムの暴力性を教えたはずであった。

しかし、世界恐慌を経験した人類は大戦の教訓を生かせず、第二次世界大戦を防げなかった。しかし、第一次よりいっそう凄惨な第二次大戦の後、ようやく国際連合という平和保証体制を構築し、「冷戦」という危機はあったが、第三次世界大戦はどうにかここまで抑止してきた。

しかし、この間も局地的な民族戦争は防げなかった。まさにサラエボ事件舞台のボスニアは1990年代のユーゴスラビア内戦の最も凄惨な戦場となった。その後も、各地で民族紛争が続き、いわゆる先進国でも国粋的な潮流が頭をもたげている。東アジアは愛国主義の角突き合いの場となっている。国連の結束も、乱れがちである。

逆説的なことに、世界を一つにするインターネットが、ナショナリズム言説の拡散に大きく寄与し、20世紀後半期には一時盛んだったインターナショナリズムの思想や実践を脇に押しやっている。

人類は小さな集団ごとに分裂・抗争する性向を持つだけに、インターナショナリズムへのたゆまぬ努力が必要である。世界を一つにするために。

そこで、サラエボ事件とW杯である。二つの大戦の戦間期に創設されたサッカーW杯は国別対抗方式であるだけに、否が応でもお国びいき、ナショナリズムの熱気を煽り、たかがゲームとはいえ、ある種の世界大戦的雰囲気を作り出す。 

一方で、内戦終結後、初めてボスニア‐ヘルツェゴヴィナが民族混成チームでW杯初出場を果たし、民族和解に一役買ったように、国際スポーツ大会が民族主義の克服につながることもある。

そういう両面性を考慮し、W杯のような国際スポーツ大会をスポーツの「世界大戦」にせず、インターナショナリズムと結びつける何らかの改革策も考えるべき時であろう。 

コメント

旧ソ連憲法評注(連載第5回)

2014-06-28 | 〆旧ソ連憲法評注

第十三条

1 勤労所得がソ連市民の個人的所有の基礎である。個人財産となることができるものは、家庭用品、個人的な必要品および便益品、家庭副業用品、住宅ならびに勤労による貯金である。市民の個人財産およびその相続権は、国家の保護をうける。

2 市民は、法律の定める手続きにより、副業経営(家畜および家禽の飼育をふくむ)、園芸および野菜栽培をいとなむため、ならびに個人住宅の建設のために供与される土地を利用できる。市民は供与された土地を合理的に利用する義務をおう。国家およびコルホーズは、市民が副業経営をいとなむことを援助する。

3 市民は個人的に所有または利用する財産を不労所得をえることに使い、これを利用して社会に存在をあたえてはならない。

 本条は、個人財産制度に関する規定である。第一項にあるように、勤労所得と住宅その他の日常生活に必要な生活財は、社会主義経済の下でも個人に帰属し、相続も認められていた。そのため、次条に見られる応能・成果給制度とあいまって、資本主義と同様の所得・資産格差を生じさせていた。第二項で副業の権利をわざわざ憲法上認めて、生活の足しにすることを推奨せざるを得なかったゆえんである。
 第三項は、例えば所有する住宅を個人的に賃貸するなどして不労所得で生活することを許さない規定であり、第一項とセットで、稼得労働を基礎とする社会主義的な個人財産のあり方を示している。

第十四条

1 社会の富の増大ならびに人民および一人ひとりのソヴィエト人の福祉の向上の源泉は、ソヴィエト人の、搾取から自由な労働である。

2 「各人はその能力におうじて、各人へはその働きにおうじて」という社会主義の原則にしたがい、国家は、労働および消費の尺度を規制する。国家は課税される所得の税率を定める。

3 社会的有用労働とその結果が、社会における人間の地位を決める。国家は、物質的刺激と道徳的刺激とを結合し、仕事にたいする革新と創造的取組みを奨励し、労働が一人ひとりのソヴィエト人の生活の第一的な欲求に転化することを促進する。

 本条は、個人的所有の基礎が勤労所得にあるとする前条に引き続いて、労働が社会的発展と福祉の向上の源泉であることを宣言する。その労働と消費は第二項にあるように、能力・成果によって評価されることから、結果として資本家が羨望する搾取的な応能・成果給制度を導き出した。それによって働く意欲が低下しかねないことを、第三項第二文にあるように、国家による政策的な労働意欲の促進―労働規律強化―で補おうという趣旨である。
 第二項で「社会主義の原則」とされている「各人はその能力におうじて(働き)、各人へはその働きにおうじて(分配する)」は、「各人はその能力におうじて(働き)、各人へはその必要におうじて(分配する)」という共産主義的な労働・消費原則の後半部分を都合よくすりかえたもので、要するに労働時間の外延的延長で搾取する資本主義に対して、成果主義と規律強化による労働時間の内包的延長で搾取するのがソ連式社会主義労働であり、両者の相違は搾取の方法論の差にすぎない。第二項第二文が規定する所得税制度も、所得格差を前提とした資本主義的な税制である。
 なお、第三項第一文で、社会的有用労働とその結果を人間の社会的評価の尺度としているのは、稼得労働とは別に政治活動に従事する共産党員の優越的地位を滲ませる暗示規定である。

コメント