仙洞御所参観の後、友人の案内で夷川発電所に向かいました。
夷川発電所は、冷泉通りを疏水に沿って東に行くとあるそうです・・・
(撮影:4月11日)
橋の上から、夷川発電所の排水口が真正面から見えています。
案内してくれた友人が、桜が満開の時に来られていたそうで
とても綺麗だったと話していました。
青い空、新緑の緑、少し散っていますが桜色・・・です。
今も関電で使われている発電所が京都のど真ん中にあって
長期にわたって京都市内に電力を送電していることは聞いて
知っていましたが・・・平安神宮のすぐ傍にありました。
日本では珍しい低落差式の発電所が、京都の風景に溶け込んだ
レトロな建物が発電所だとは、教えて貰わないと気付かないです。
取水口 (写真右側)
夷川発電所に説明板がありました。
夷川水力発電所
正面煉瓦造りの建物の夷川発電所は、大正3年(1914年)に建設されて以来、長期にわたって京都市内に電力を送電しています。
この夷川発電所は、明治23年(1890年)に琵琶湖疎水が竣工し、翌年にその水力を利用した我が国最初の事業用水力発電所である蹴上発電所が建設された後、第二疎水計画と軌を一にして、下流の墨染発電所と同時に建設されました。
初期は、水車が英国ボービング社製の4連フランシス水車、発電機が米国ウェスチングハウス社製の同期発電機でしたが、平成4年~5年(1992年~1993年)に取替工事を行い、現在の認可出力300kWで国産のS形チューブラ水車および同期発電機を使用しています。
平成7年(1995年)3月 関西電力株式会社・京都支店
対岸の中島に立って いる像が見えます。
北垣国道の像 (1836~1916)
その像は、琵琶 湖疏水を計画、周囲を根気強く説得して完成させ
京都の再生を推進させた 第3代京都府知事・北垣国道 氏でした。
観光客を乗せた「十石舟」が、夷川発電所に向かってました。
夷川発電所は、冷泉通りを疏水に沿って東に行くとあるそうです・・・
(撮影:4月11日)
橋の上から、夷川発電所の排水口が真正面から見えています。
案内してくれた友人が、桜が満開の時に来られていたそうで
とても綺麗だったと話していました。
青い空、新緑の緑、少し散っていますが桜色・・・です。
今も関電で使われている発電所が京都のど真ん中にあって
長期にわたって京都市内に電力を送電していることは聞いて
知っていましたが・・・平安神宮のすぐ傍にありました。
日本では珍しい低落差式の発電所が、京都の風景に溶け込んだ
レトロな建物が発電所だとは、教えて貰わないと気付かないです。
取水口 (写真右側)
夷川発電所に説明板がありました。
夷川水力発電所
正面煉瓦造りの建物の夷川発電所は、大正3年(1914年)に建設されて以来、長期にわたって京都市内に電力を送電しています。
この夷川発電所は、明治23年(1890年)に琵琶湖疎水が竣工し、翌年にその水力を利用した我が国最初の事業用水力発電所である蹴上発電所が建設された後、第二疎水計画と軌を一にして、下流の墨染発電所と同時に建設されました。
初期は、水車が英国ボービング社製の4連フランシス水車、発電機が米国ウェスチングハウス社製の同期発電機でしたが、平成4年~5年(1992年~1993年)に取替工事を行い、現在の認可出力300kWで国産のS形チューブラ水車および同期発電機を使用しています。
平成7年(1995年)3月 関西電力株式会社・京都支店
対岸の中島に立って いる像が見えます。
北垣国道の像 (1836~1916)
その像は、琵琶 湖疏水を計画、周囲を根気強く説得して完成させ
京都の再生を推進させた 第3代京都府知事・北垣国道 氏でした。
観光客を乗せた「十石舟」が、夷川発電所に向かってました。