お冷し
お冷しは、冬に池から切り出した天然水を保存し夏に備えた氷室です。
奥行:7メートル余り、幅:4メートル弱、深さ:約4メートルほどの大きさで
二段に掘り下げて周囲を石垣で補強しています。(4月11日 )
柿本社(かきのもとやしろ)
桜の馬場を北に進むと、西側に簡素な社祠が南向きに建っていてます。
万葉の歌人・柿本人麿呂(かきのもとのひとまろ)が祀られていました。
又新亭(ゆうしんてい)
南池を右手に見ながら北に進むと、茶亭「又新亭」があります。
もとはここに、霊元上皇が宝永六年(1709)に修学院離宮上の御茶屋から
移築され、冬の景で仙洞十景に選ばれた止々斎(ししさい)が建っています。
写真下部分の左に、小さな石が置かれているのが見えます。
この石は、四つ目垣で囲むことで結界を設けているそうです。
外腰掛は、片庇(かたびさし)の柿葺の屋根に袖壁をつけ
左側の袖壁には竹格子のはまった下地窓が、右側は吹き抜きです。
下地窓のある方が上座で、正客用の踏石が置かれているのに対し
吹き抜きの袖壁に接する下座は竹張りの腰掛けとされています。
外腰掛は、結界を入った左上のところにあります。
又新亭の中門は萱門(かやもん)、利休杉といわれる構えで柱間いっぱいに
開閉する扉で、お茶事用の小さな中潜のついた凝ったつくりです。
庭はこの門を境にして内側を内路地、外側を外路地に見立てています。
急な傾斜の茅葺屋根をかけた入母屋造りの茶室は、近衛忠煕と親交の篤かった
裏千家・十一世玄々斎精中が江戸末期に創建したものといわれ、現在の裏千家に
ある茶室・又隱(ゆういん)によく似ているそうです。
ここは、大宮御所から潜り門(写真右側)を抜けて最初に北池を望んだ場所の
すぐ右手にあったのが、この四つ目垣に囲まれた建物「又新亭」だったのです。
これで、仙洞御所の庭園(北池・南池)をほぼ一周したことになります。
それでは、大宮御所への潜り門をくぐって仙洞御所参観を終わります。
お冷しは、冬に池から切り出した天然水を保存し夏に備えた氷室です。
奥行:7メートル余り、幅:4メートル弱、深さ:約4メートルほどの大きさで
二段に掘り下げて周囲を石垣で補強しています。(4月11日 )
柿本社(かきのもとやしろ)
桜の馬場を北に進むと、西側に簡素な社祠が南向きに建っていてます。
万葉の歌人・柿本人麿呂(かきのもとのひとまろ)が祀られていました。
又新亭(ゆうしんてい)
南池を右手に見ながら北に進むと、茶亭「又新亭」があります。
もとはここに、霊元上皇が宝永六年(1709)に修学院離宮上の御茶屋から
移築され、冬の景で仙洞十景に選ばれた止々斎(ししさい)が建っています。
写真下部分の左に、小さな石が置かれているのが見えます。
この石は、四つ目垣で囲むことで結界を設けているそうです。
外腰掛は、片庇(かたびさし)の柿葺の屋根に袖壁をつけ
左側の袖壁には竹格子のはまった下地窓が、右側は吹き抜きです。
下地窓のある方が上座で、正客用の踏石が置かれているのに対し
吹き抜きの袖壁に接する下座は竹張りの腰掛けとされています。
外腰掛は、結界を入った左上のところにあります。
又新亭の中門は萱門(かやもん)、利休杉といわれる構えで柱間いっぱいに
開閉する扉で、お茶事用の小さな中潜のついた凝ったつくりです。
庭はこの門を境にして内側を内路地、外側を外路地に見立てています。
急な傾斜の茅葺屋根をかけた入母屋造りの茶室は、近衛忠煕と親交の篤かった
裏千家・十一世玄々斎精中が江戸末期に創建したものといわれ、現在の裏千家に
ある茶室・又隱(ゆういん)によく似ているそうです。
ここは、大宮御所から潜り門(写真右側)を抜けて最初に北池を望んだ場所の
すぐ右手にあったのが、この四つ目垣に囲まれた建物「又新亭」だったのです。
これで、仙洞御所の庭園(北池・南池)をほぼ一周したことになります。
それでは、大宮御所への潜り門をくぐって仙洞御所参観を終わります。
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