kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

号外! 広島の原爆で撮られた「焼き場に立つ少年」が・・・

2022年07月23日 | Weblog
私のブログ(2019年06月17日)に投稿した記事があります。

それは「ピュリツァー賞」の報道写真で衝撃を受けた写真です。
●焼き場に立つ少年
 (直立不動の姿勢で、おんぶした弟の火葬の順番を待つ。)
●ハゲワシと少女
 (重篤な栄養失調の少女は少年で、救護により回復する。)
●ナパーム弾の少女
 (やけどの少女と、救った元記者と38年ぶり再会する。)
●安全への逃避
 (2人の母親と子供たちが、水のなかを歩いて逃げている姿。)
●世界貿易センターへのテロ攻撃・・・落ちてゆく男 などがあります。

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ナパーム弾の少女の名前は「キムフック」さん
キムフックはこの空襲で重度の火傷を負い、一命は取りとめたものの、この後17回にも及ぶ手術を受けました。彼女を救った当時イギリス・ITNテレビ記者のクリストファー・ウェイン氏が南ベトナム政府の高官に直談判して、キムフックさんを設備の整っていない病院から、当時の旧サイゴン市内のバスキー病院に転院させることに尽力した。ウェインとキムフックは38年後の2010年に、イギリスで再会を果たしました。

1992年にキムフックさんは結婚して2児の母となり、ベトナム人の夫とともにカナダ国籍を取得。1997年11月10日、ユネスコ親善大使に任じられました。2004年10月22日には、世界各地の戦争・紛争に遭遇している子供たちを救済する活動が認められ、カナダ・トロントのヨーク大学から名誉法学博士号を授与されたそうです。
※ウィキペディアより抜粋させて頂きました。

幸せになっていたキムフックさんを知り良かった!と思いましたが
「焼き場に立つ少年」の写真を撮ったジョー・オダネル氏が
何度か日本に来て探したそうですが、分からなかったそうです。


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でも、2022年7月10日(日) の記事に・・・!


原爆投下から2か月後に撮影された「焼き場に立つ少年」から
「あれは77年前のわたし」と、初めて男性が証言!


「おんぶされていた子ども、わたし生きとりました。」と

被爆当時、竹本さんは3歳。フィルムに写っている男の子が自分である。自分を背負っていたのは当時11歳だった竹本さんの兄の定男さんでした。

写真を撮ったジョー・オダネル氏が、何度か日本に来て探して分からなかったのですが、少年がお元気だったことが分かり良かったです!

その記事はこちらでご覧ください。 写真はお借りしました。
コメント (2)
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