「芥川山城跡」は、2019年にハイキングで行った三好山にありました。
高槻市しろあと歴史館

令和3年1月28日 新聞掲載

朝日新聞・読売新聞・産経新聞・徳島新聞 に掲載されていました。

新聞の記事によると、大阪府高槻市の芥川山城(あくたがわさんじょう)跡で、櫓(やぐら)の機能を持っていたとみられる蔵の跡が見つかり、市が発表した。
戦国時代後期に近畿、四国に勢力を広げた三好長慶(ながよし)(1522~64)が城主だった時期で、城を権力誇示の象徴にした時代の先駆けだった可能性がある。
出土品の展示と、発掘調査の様子

えっ!これだけと思いましたが・・・(^^ゞ
発掘調査の場所

芥川山城は標高182メートルの三好山に築かれた戦国期の広大な山城です。
山頂の本丸より一段下の曲輪(くるわ)を調査し、建物跡を確認しました。
ドローンで見ると、頂上はお弁当を食べたところですが
そのすぐ下で2段目の景色を見た西側が、発掘調査のあった場所でした。
あの時は木が茂っていただけの所です。
北から見る発掘調査

南側に見えるビル群はJR高槻駅周辺です。
芥川山城跡

頂上の西側でお弁当を食べていたので
その下がこの辺りになります。

調査の建物は南北に建っていました。

塼(せん)列建物
4,2メートル四方に置かれた礎石と、内部の床を支える束石(つかいし)のほか、「塼(せん)」と呼ばれる高さ27センチ、幅22センチの瓦製の板が建物を囲むように地面に差し込まれていた「塼列(せんれつ)建物」だったことが判明しました。

塼 :基壇を支える基礎
礎石:建物の柱を受ける土台石
束石:木造建築の床束などの下に据える石
礫石:河原石のように表面の風化した石
模式図

南側突出部

発掘場所が分かってスッキリしましたが
芥川山城のことを、もっと知りたかったです。(^^ゞ
高槻市しろあと歴史館

令和3年1月28日 新聞掲載

朝日新聞・読売新聞・産経新聞・徳島新聞 に掲載されていました。

新聞の記事によると、大阪府高槻市の芥川山城(あくたがわさんじょう)跡で、櫓(やぐら)の機能を持っていたとみられる蔵の跡が見つかり、市が発表した。
戦国時代後期に近畿、四国に勢力を広げた三好長慶(ながよし)(1522~64)が城主だった時期で、城を権力誇示の象徴にした時代の先駆けだった可能性がある。
出土品の展示と、発掘調査の様子

えっ!これだけと思いましたが・・・(^^ゞ
発掘調査の場所

芥川山城は標高182メートルの三好山に築かれた戦国期の広大な山城です。
山頂の本丸より一段下の曲輪(くるわ)を調査し、建物跡を確認しました。
ドローンで見ると、頂上はお弁当を食べたところですが
そのすぐ下で2段目の景色を見た西側が、発掘調査のあった場所でした。
あの時は木が茂っていただけの所です。
北から見る発掘調査

南側に見えるビル群はJR高槻駅周辺です。
芥川山城跡

頂上の西側でお弁当を食べていたので
その下がこの辺りになります。

調査の建物は南北に建っていました。

塼(せん)列建物
4,2メートル四方に置かれた礎石と、内部の床を支える束石(つかいし)のほか、「塼(せん)」と呼ばれる高さ27センチ、幅22センチの瓦製の板が建物を囲むように地面に差し込まれていた「塼列(せんれつ)建物」だったことが判明しました。

塼 :基壇を支える基礎
礎石:建物の柱を受ける土台石
束石:木造建築の床束などの下に据える石
礫石:河原石のように表面の風化した石
模式図

南側突出部

発掘場所が分かってスッキリしましたが
芥川山城のことを、もっと知りたかったです。(^^ゞ