古代から中世前半の飛鳥・奈良・平安時代と、後半の鎌倉・室町・安土桃山時代に
「その時、高槻は?」の講座です。
嶋上郡衙跡、今城塚古墳、郡寺、阿久刀神社の位置が分かりますので
画像の上でクリックして、別枠の大きい画像でご覧下さい。
大化の改新以降、地方に郡県制度がしかれたといわれています。
奈良時代に嶋上郡の郡役所「郡衙(ぐんが)」が置かれていたところであったことから
この辺りは「郡家」と呼ばれていると考えられています。
嶋上郡衛跡
『嶋上郡衙のようす』画像で「郡庁院」と書かれているところが、この「嶋上郡衛跡」です。
レンガの敷いた所に「正殿」「東門」等の表示がされてました。
南側に表門があったとされる場所があり「郡衙」の南を通っている街道から真っ直ぐに
表門まで大路がつけられていたといわれています。 (上記の郡衙跡付近の復元図参照)
※ 画像は2009年12月2日に撮影したものです。
~~~~~~~ 今日の誕生花 日比谷花壇より ~~~~~~~
花名 : スプレーギク 花言葉 : 寛大
中国から渡来した8世紀終わりごろには、貴族などにしか栽培が許されていませんでした。
「久久(くく)」といわれていたという記録が残っており、久しく美しいの意味からとされいます。