
教行寺(きょうぎょうじ)
教行寺は、安静山と号して真宗大谷派(東本願寺)に属し。文明八年(1476)頃
本願寺八世蓮如上人(れんにょしょうにん)の創建と伝えられる。
もとは富田道場と呼ばれ、一向宗(いっこうしゅう)「浄土真宗」の布教拠点として
隆盛を極め、富田寺内町の中心として発展した。
しかし天文元年(1532)の一向宗弾圧によって、道場や信徒の家々は
残らず焼き払われたという。
天文五年に再建され、蓮如上人が親鸞上人著の「教行信証」を当時で書写したことから
のちに教行寺と称するようになったといわれる。
昭和六十三年三月
高槻市教育委員会より