Cafe de Kerm ~毒味ブログ~

物言いにも、珈琲にも、もれなく毒が混入している可能性が無いこともないです。

ネットワークが途絶えたら

2004-09-19 23:08:54 | PC
今月も、月刊ASCIIが発売された。
先月の初心者との溝で紹介したArthur C.Kyle氏のコラムは、今月号も考えさせられるものだった。
 彼のコラムを要約するとこうだ。
「企業において、ネットワークサービスのダウンは莫大なビジネスチャンスを失う可能性がある。バックアップをしっかりと用意しよう」

 だが、ホームユーザーにとっても、企業ほどでは無いにしろネットワークのダウンはいらだたしいものである。
 SOHO事業者でもない限り、ホームユースでは回線契約は一本であろう。そうなると、様々な原因で起きるインターネット接続回線のダウンは、起こってしまった以上はどうしようもない。原因をつぶして対応する以外に解決策はないのだ。

 例えば、「約束の時間を記したメールがサーバにしかない」とか、「家で仕事をするため、添付ファイルでファイルを送った」とか、「飛行機のチケットの早期予約割引が本日まで」とか、「オークションの落札終了時刻まで時間がない」とか、「HPの更新時刻までにもう間がない」・・・以上のような状況で、回線がダウンしてしまったことに気づいたときに、あなたは諦めきれるだろうか?だが、ホームユースの場合は、大概夕方5時を過ぎてから。フレッツは24時間サポートをやっているが、そこが原因とは限らない。諦めきれないなら、ちょっと自分であがいてみよう。

 まずは、プロバイダから提供されたIPアドレスにpingを打ってみよう。それで物理的に回線が接続されていないのか、そうでないのかがだいたい判別できる。成功したら、多くの場合はソフトウェアの問題だ。設定を見直すなりして解決を目指そう。

 もし失敗した場合は、ルータを導入している場合はルータにもpingを打ってみよう。変な認証を食わせてしまい、ルータが死んじゃうことは、意外とよくあることのようだ。筆者もそれでずいぶんと泣かされた。 これが成功した場合、99%はプロバイダ、もしくはフレッツなどの回線業者に問題がある。24時間サポートがあるならば迷わず電話しよう。多くの場合助かることがある。
 ただ、残りの1%以下の部分で、「ルータのルーティング機能がふっ飛んでいる」場合もある。有り体に言えば、「ルータが物理的に死んだ」と言うことだが、実はこれも筆者は体験した。非常にやりきれない思いだった。この場合も考慮して、めんどくさがりでなければ、PCとの直づけも試してみることをおすすめする。その場合は必ずファイアーウォールを導入すること。ルータのフィルタリングに守られていたことを忘れてはいけない。
 ルータからパケットが帰ってこない場合は、ルータの電源を入れ直してみよう。多くの場合はこれで解決する。その際にPCやモデムも再起動させると、スムーズに復旧することが多いように思う。

 もしもそれでもダメな場合、もしくはルータを導入していない場合は、ネットワーク(LAN)カードや回線接続ソフト、モデムの設定を見直してみよう。例えば、ドライバが入れ替わっていたり、設定が書き換えられていたりする場合がある。
 そうでなければ物理的に壊れているかも知れない。祈るように再起動してから、デバイスマネージャを見てみよう。もっともこの場合はお手上げであるが。

 とにかく今の世の中は、びっくりするくらいにインターネットが生活に食い込んできてしまった。便利なものに慣れるのは早いが、不便な生活に戻るのはほぼ不可能だ。
 その中で「回線の不具合」は、これまた「不可解なくらい最悪のタイミングで」起きることが多いように思う。先に述べた事例のうち、「約束の時間」とか「仕事の添付ファイル」とかは致命的さのランクで言えばかなり上になるが、これは「手帳にメモする」とか、「添付ファイルくらいの容量ならFDで持ち運ぶ」くらいのバックアップ手段が存在する。別に回線をもう一つ用意しろなんて、口が裂けても言うつもりはないが、「これができなかったら絶対やばい!」というものに関しては、せめて何らかの対応がとれるようにしておくべきだろう。
 インターネット、特にADSLやCATVなんて、せいぜいここ5年の間に普及してきた「若い技術」だということを、再確認しておくのが吉である。

---* Appendix *---
 pingに関連してだが・・・以前住基ネットの関係で担当者からヘルプを受け、誤って住基ネット本体のゲートウェイサーバーにpingを打ったことがある。
 で、数分後に住基ネットの管理者の方から「妖しげなパケットがそちらさんから届いた」と言って電話がかかってきた。そんな事態になるなんてつゆとも思わなかった筆者は、大あわてで事情を説明し何とか事なきを得たという、大変ばつの悪いエピソードがある。あのときは、「ああしっかりしてんなあ」と思ったものだった。

ロボットの「心」

2004-09-19 01:53:39 | Thinkings
 ロボットの話題を引き続き引っ張りましょう。興味のない方はご勘弁を。
 さて、今回は
「ロボットは自我を持てるのか?」
というテーマについて、自分なりに整理してみたいと思います。

さて、この問題について、xina-shinさんの 「アイ・ロボット i.ROBOT」劇場にて という記事にて、興味深い考察がされています。

人間とロボットの違いは何でしょう。色々なSFの題材にもなってきましたが、いわゆる自我の意識があるかどうか、だと思います。
人間がかつてサルから進化しました。その過程で私たちの脳は複雑な電気的なネットワークを作り上げる事によって自我の意識を形成していきます。
そしてロボットも進化していきます。たんぱく質とシリコンの違いはあるでしょうが、脳にICも電気的なネットワークで構成されています。自我の意識が芽生えるのは決して偶然ではありません。
人間は物事の決め事に関して、拡大解釈することが出来ます。自らが優位に立つよう解釈を捻じ曲げるのです。(今のアメリカを見れば分かります。)
同じ事が人間以外のモノに出来ないわけはありません。


 昨日の記事で、「感情を表現する」ロボットについて書きました。
 しかし、あの「感情」はプログラムで作られたハッタリです。そして、そのプログラムとは人間が作り上げるものです。
 つまり、ロボットは人間が自我を持つようにプログラムしない限り、自我を持つことはできません。xina-shinさんの言われる進化は、
 1.人間が進化させる
 2.人間が進化するようにプログラムし、それに従って進化する
という2通りの道が考えられます。多分xina-shinさんは、後者を言っていいると思うのですが・・・
 どちらにしろ、ロボットが自我を持つかどうかは人間次第のようですね。

 では、「自我」とは何でしょうか。
 自我 東京理科大学巻田悦郎氏のHPより
 ・・・えーと。本人は、わかりやすく書いたつもりだと思うんです。
 ですが、あまりにも難解なんで、私が理解した範囲で小さくまとめますと、自我とは「過去の記憶を含め、自己を自己として意識すること」となるんでしょうか。
 そう考えると、学習し、自己を一つのシステムと見なして統制する「自立型ロボット」は自我を獲得している、と考えられるように思います。極論を言ってしまえば「AIBOは自我を持っている」と言えなくも無いと言うことです。なぜならAIBOは、「自己に係る刺激を処理」し、自ら充電をしようとするなど、「自己の状態を理解して統制」し、飼い主や、充電場所など、「活動に必要な情報を記憶し学習する」からです。
 ただ、AIBOの自我と人間の自我は大きく異なります。それは、AIBOが機械語で思考するのに対し、人間は自然言語で思考するという、「思考のアプローチ」が全くの違うからです。それ故に受け入れがたいのですが、人間も自然言語という「整理された情報」に従って判断を下すプログラムに従って動いていると考えられます。つまり、それらの自我については、本質的に違いはないものと私は考えます。

 乱暴な言い方をすれば、「外部からの刺激を理解し、自立行動をするロボットには自我が存在する」という言うことになるだろうとは思います。
 では、人間と同じように感情を持てるのか?という問いに対しては、結局の所、過去からの自己以外の対象に対する情報の蓄積を行い、それを感情のモデルに従って処理すると言うプログラムを組んだならば、ロボットは感情を獲得できる、と私は思います。
 結局はそれが形成されるまでのプロセスの違いのみ。そして、ロボット自身で高度な自我を獲得することは、現時点で不可能です。
 彼らを良き隣人とするか、便利な道具とするのか、はたまた新たな敵とするのかは、最後はそれを作り上げる人間自身に係っているのです。

日本と欧米の「我はロボット」

2004-09-18 01:18:47 | Science

1.ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
 (A robot may not harm a human being, or, through inaction, allow a human being to come to harm.)
2.ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
 (A robot must obey the orders given to it by the human beings, except where such orders would conflict with the First Law.)
3.ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。
 (A robot must protect its own existence, as long as such protection does not conflict the First or Second Law.)

2058年刊「ロボット工学ハンドブック」第56版からの引用

アイザック・アシモフ 「我はロボット」より
WiKiペディア


 カレル・チャペックの「R.U.R」という戯曲によって「ロボット」という言葉が初めて世に出ました。1921年のことです。

 日本では鉄腕アトムに代表される、「人型」がロボットのスタンダードとして認知されていますが、欧米ではいわゆる「工作機械」としてのロボットがスタンダードです。
 今回は、このあたりについてちょっと整理してみましょう。

 いきなり確信を付くようで申し訳ないのですが、「フランケンシュタイン・シンドローム」と言う言葉があります。

日本でもおなじみのメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』も、自らが作り出した人造人間に破滅させられる、というストーリーでした。このことから、SF作家のアイザック・アシモフは、欧米人の人型ロボットを嫌悪する心理を「フランケンシュタイン・コンプレックス」と名づけました。
赤本ウェブサイトより


 欧米人は、「自立して動く人型のもの」に対しておおむね良い感情を持っていないようです。
 つまり、キリスト教の思想に基づき、「人や、人に似たものを作れるのは神だけ」「神を冒涜する者は破滅する」という考え方が色濃く残っているわけです。欧米においては、未だに「人型のロボットに対するタブー視」があるそうですが。このことについては
 ワンダフル!!ロボット
 ロボットの時代
あたりに詳しく書いてあります。考え方に関しては、両ページともほぼスタンスは同じです。
 ピンとこないといわれる方も、現在公開されているウィル・スミス主演「I,Robot」や、「ターミネーター」シリーズ、「2001年宇宙の旅」のHALなどを思い出せば理解して頂けるかと思います。
 どうやら天文学、進化論に続いて、ここでもキリスト教は科学技術の進歩を阻害しているようです(w

 一方日本では、「自然崇拝を元にした多神教民族」という前提があります。
 天狗や鬼、妖怪などの超自然的な存在や、狐や鶴、狸などの化生などの伝承を見ても、そういう人外の存在と共生することで、文化を創ってきたという歴史があります。
 また、古来より陰陽師が使役した「式神」に見られるような、「使い」としての存在も見られることから、もともとロボットのような存在を受け入れる素養はあったとしてとらえていたとも考えられます。
 つまり、人外のものに対する考え方が、明らかに欧米とは違うのです。故に、アトムやドラえもんは、今も人間の友達であり続け、彼らに夢を見た技術者によって、人型ロボットは研究されているのです。

 しかし、日本で受け入れられた「人型」ロボットも、その使用用途となると実は具体的な使い方がよく見えてこないのです。
 もちろん人型ロボットが完成するには、まだ時間がかかるという事もあるのですが、「何故人型でなければいけないか?」という根本的な疑問に答えることが難しいのです。
 なぜなら、今ある人間用の道具をわざわざ使えるようにしなくても、ロボット用の特殊な道具を使って仕事をする方がはるかに効率的であるし、かつ現実的だからです。

 では人型ロボットの前途は閉ざされているかというと、そうでもありません。
 【『共生する/進化するロボット』展】早稲田大学ヒューマノイドプロジェクトのロボットが勢揃い
 ちょっと記事が古いですが、この中で「感情表現をするロボット」というものが紹介されています。欧米的な考え方でいいますと、「作業するためのロボットに感情なんて」となるところですが、日本人的な考え方をするならば「感情が、たとえダミーだとしても、あった方がつきあいやすい」となるわけです。
 具体的な例を挙げるとするなら、「介護用ロボット」が無機質なものだった場合と、人間的な感情を持っている(様に見える)場合、どちらに世話になりたいか?という問いを用意するとします。大部分の方は後者をあげるでしょう。高齢者ならなおさらです。

 人間もテリトリーを持って生活する高等動物である以上、「自分の置かれているカテゴリー以外のものを排除しようとする」性質があります。
 これに従った場合、ロボットにしても「人型」で「感情を持っている」人間に近いスタイルの方が、「無骨な機械」で「反応が無機質」だった場合よりも親しみやすく思うのは当然です。
 つまり人間型は、「人間と直接とコミュニケーションをとる仕事」に適しているといえるでしょう。

 また、普段は人間が仕事をしており、その代役を引き受けるといった「設備が変えられず、かつ人型でなければ扱えない仕事」にも、かなり限定的ではありますが、適しています。ただ、それが具体的にどんな業務なのかは限定することは難しいです。

 さた、そんな人間型に対する明確な用途については、あさりよしとお氏のまんがサイエンス 8 「ロボットの来た道」で一つの回答が示されています。興味のある方は一読されるとよろしいかと。この本はロボットについて、それこそ小学生にでもわかりやすいように解説されていますので、一通りロボットについての知識をかじっておきたい方にもおすすめです。

 ではここで、2足歩行ロボットについて、もう一つ値打ちをつけるとしましょう。
 現在の2足歩行ロボットは、アトムにもドラえもんにもまだほど遠いです。ロボット3原則が守れるロボットが現れるのはまだまだ先になりそうですが、それを実現させるための研究の副産物として、新しい技術がいろいろと生まれています。
 つまり日本にとってのロボット産業は、新たな技術の取得の場でもあるのです。

 さて、最後に無理矢理まとめてしまいましょう。
 つまり、

 日本:「ロボットは友達」
 欧米:「ロボットはあくまで道具。人型は潜在的な敵」


となります。マンガでたとえれば、日本は「アトム」、欧米は「レイバー」がスタンダードなロボットだととらえられているわけですね。

 個人的には、私は二足歩行ロボットが大好きです。新しいニュースを日々心待ちにしているのですが、多分ロボット三原則が完全に守れるロボットは現れないかも知れませんね。
 何故って、ドラえもんときたら・・・

「電磁波兵器」は安全です?

2004-09-17 00:28:24 | Weblog
 電磁波の影響について一億総モルモットになっているみなさん、こんばんわ。
 携帯電話の電磁波の影響で将来脳腫瘍ができないか、気になって気になりすぎて、目を閉じたら朝になっているKermountです。

 さて、世の中には電磁波があふれています。
 ラジオの電波とか、携帯電話の電波とか、高圧線の電磁波とか、直射日光とか。つまり、我々は電磁波に囲まれて暮らしているといっても、過言ではありません。
 それだけいろいろと種類のある電磁波ですから、当然その効果も様々です。

 そして最近は、イラクでの民間人の犠牲が相次いでいます。
 これは、従来からある「致死性兵器」を暴徒の鎮圧に使っているからで、致死性というからには当然まともに当たれば死に至ります。逆に言えば、ミサイルや銃で撃たれて無事なやつはそうはいません。

 現状をふまえて、様々な効果のある電磁波を「非致死性の」兵器に利用できないか?考えられたのが、イラクで電磁波武器配備へ 非致死性、市街戦を想定
これです。

 なんでも
 市街地の戦闘で民間人が米軍の発砲の巻き添えで死亡するのを防ぐのが目的で、シェリフ搭載の武器を使えば、相手に「焼けるような痛み」を与え、攻撃を防ぐことができるという。
 えっと、つまりマイクロウェーブなんですか?もしかして。

 マイクロウェーブというのは、ゴジラで自衛隊が使っているパラボラみたいな戦車から出るメーサー光線(本当は目に見えない)のことで、平たくいえば電子レンジで物を暖めているからくりです。
 そんな物で撃たれたら、「卵が破裂するかのように」細胞が破損します。そりゃあ確かに「非致死性」かも知れませんが、体には絶対悪そうですよねえ。まあ、兵器ですから。

 それにしても、電磁波兵器なんてSFの産物が、とうとう現実世界に進出してきました。まだレーザー兵器は実用化されていませんが、光学迷彩も実用化に向けて進んでいるこのご時世。
「十分に進歩した科学技術は魔法と区別が付かない」
という何かの言葉が、すでに現実になりかけているのだなあと、青い猫型ロボットを思い出しつつ、何となく考えてみたり。

The pointing device

2004-09-16 00:24:08 | Weblog
 私は、何を隠そうポインティングデバイスが好きで好きでたまらない。
 今も、マウスとトラックボールとタブレットを一台のPCにつないでいる。用途的には、トラックボールが通常の使用時、マウスが細かい作業時、タブレットが感覚的な作業時である。私の部屋に来た人は、大概なじみのないトラックボールで驚き、さらに一緒にマウスもつながっていることに驚く。
「何で一つじゃダメなの?」
 使う用途が分かれているからダメ。狭い町中をフェラーリで走りたくはないし、高速道路で軽トラはきついでしょ?両方とも十分に気を遣えば走れないこともないけど、2台あるなら用途に合わせて使いこなせばそれが一番いいでしょう?
 ポインティングデバイスもそれと一緒。自分にあった要素の併せて使いこなせばいい。前はPS2端子だけだったから、デバイスは1個、シリアルポートを使っても2個までした同時に使えなかった。でも今はUSBがある。せっかく2つ以上つながるんだから、こういう使い方もありだろう。

 ただ、トラックボールは大変認知度が低いように思う。で、このような記事を見つけたのでリンクを張っておく。

みなさん忘れていやしないか?――愛するトラックボールのよさを改めて考える

 この記事で書かれていることは、だいたい私にも当てはまるのだが、違う点がいくつかある。彼はロジクール派で、私はマイクロソフト派だという点が1点。そして、彼はトラックボール一筋であるのに対し、私はマウスと併用している点だ。

 確かにトラックボールは楽だ。なんといっても手首や肘を動かさない。運動量が減る。つまり楽なのだ。慣れてしまえば、これほど楽にwebを回れるデバイスも無い。

 ただ、このトラックボール、ボールを支える3点にやや手垢が付きやすいように思う。これは細かい作業を行うフォトレタッチとかイラスト作成の時は、どうしても煩わしい。だから、私は「マウスがいる」と思い立って、「どうせ買うなら」と当時の一番いいMSマウス、インテリマウスエクスプローラー3.0を購入したのだ。私の期待どおり、マウスはいい働きをしてくれた。

 で、現在に至る・・・

 ロジクールがレーザーを使ったマウスをリリースするなど、ポインティングデバイスの市場も少しづつ動いている。せっかく2個3個と使えるのだから、私のような使い方をしてもけして間違いではない。
 あなたに合っているのは、本当はトラックボールかも知れない。
 そうでなければ、もっと別のマウスが合っているのかも知れない。

 何にせよ、店頭でさわってみることだ。
 なにしろポインティングデバイスは、あなたが一番長い間使うことになる周辺機器なのだから。

隣の国のお国柄

2004-09-15 00:39:17 | Thinkings
『ゴースト囲碁王』、不自然な画面処理で視聴者ら不満

 さて、一体『ゴースト囲碁王』なるものは何なのか、分かる方はおられるだろうか。
 実は、これは「ヒカルの碁」の韓国名らしいのだ。

 この記事の内容は、ヒカルの碁のアニメを韓国内で流すとき、日本色をそぐために、
チャラン(原作のサイ)のすべての衣装を白くして放映し、見る度不自然に感じる
と言うことを言っている記事だが、私は別の点に目がいってしまった。

 つまり、チャラン(原作のサイ)の所だ。

 シン・ジェハ(ヒカル)の様に、主人公であるヒカルの名前さえ変えられてしまっているこの現状を見て、私はどうにも不自然に思った。
 確かに、日本でも題名を変えて映画を配給することは多々ある。有名どころでは「ハムナプトラ」の原題が「MUMMY(ミイラ)」や、「スタンドバイミー」の原題が「The Body(死体)」などだ。
 しかし、登場人物の名前を、無理矢理日本名に変えてしまうことはない。アニメなどでもそれは守られている。

 つまり、登場人物の名前を変えてしまっては、「この作品は韓国のものである」などと勘違いしてしまう人間が現れないかと言うことだ。

 現実的に、「ドラえもん(韓国名トンチャモン)」を日本から来たと思っていない者も多いと聞く。

 さらに言えば、この記事内に、
「日本色があるとして審議室から2度も指摘された経緯があり、止む得ずこうした方式で、妥協点を作った」
という文があるが、これは明確な日本バッシングであろう。いかに日本が隣の国で嫌悪されているかがよく分かる。

 つまり、いくら日本のTV局が韓国友好を叫ぼうとも、こういう事を向こうが続ける限り真の友好など訪れることはないだろう。公然と民族差別を行う彼の国に対して、何をもって友好を結ぶのか。

 マスコミも、こういう点をもっと報道すべきだ。嫌っている相手を無理に好きになる必要は、全く持って無いのだから。

人工知能に騙される?

2004-09-13 22:28:14 | Weblog
「チャットのお相手、実は人工知能プログラム?」
Hotwired
米アメリカ・オンライン(AOL)社のインスタント・メッセージ・クライアント、『AOLインスタント・メッセンジャー』(AIM)のユーザーは近い将来、知らないスクリーンネームの相手からインスタント・メッセージをもらったら、会話に身を入れる前によく考えたくなるかもしれない。

 会話の相手はもしかすると、友人に意地の悪いいたずらができる無料サービス『チャッティングAIMボット』(CAB)かもしれないからだ。このサービスは、人工知能(AI)を利用したボット(対話型エージェント)が、当たり障りのない会話を10分間したあと、急に態度を変え、何も知らないユーザーに真実を告げるというもの。


 やられた!と思った。と言うのも、私はもともとこういう物が作りたくてプログラム言語を学習していたからだ。

 人工知能、特に会話型のものには、私は大きな魅力を感じる。何故かというと、「会話」という手段が、もっとも人間らしい活動だと思えるからだ。
 他人とのコミュニケーションの中で、もっとも相手の思っていることをつかみやすく、そして相手に自分の考えていることを伝えやすいのは、言うまでもなく会話である。そして会話は、今のところ人間にしか使いこなせないものだ。

 人間は騙されやすい。むしろ、騙されるのを自ら望むことある。
 例えば、AIBOのようなロボットに愛着を抱けるのは、心の片隅でそれが「生きている」と錯覚しているからだろうと思う。
 AIBOでそれなのだから、会話が曲がりなりにもできてしまう会話型人工知能ならば、人はその想像力を持ってモニターの中に容易に人格を作り出してしまうだろう。その人工知能の出来が良ければなおさらだ。そして、それがもしも(近い将来確実に)、人型ロボットに入ることになったら、それ以降のことは想像に難くない。

 コンピュータは意思など持たない、所詮はプログラムというハッタリだ・・・・
 常套句だが、そのハッタリを人間は楽しむ、求めている。正確には、ハッタリの向こうに作り出した、自分の中にいる相手とのコミュニケーションを望んでいる。
 そして、今は人をからかうジョークのネタにしかならないそのハッタリも、人と機械を近い将来つなぐことになるかも知れないのだ。

「モノ図鑑」という趣味について

2004-09-12 20:33:55 | Weblog
 以前、「私の趣味はコーヒー」と書きました。
 ですが、実は私にはまだ趣味があるのです。本日出席した、ボーイスカウトの指導者講習会で居眠りをしたのも、その趣味が原因なのです。

 その趣味とは、デザインです。
 デザインと言っても、被服とか工業デザインではなく、主に紙面デザインのことを指します。

 かといって、私は本を作っているわけでもないですし、絵が描けるわけでもありません。仕事の上でパンフレットを作ったり、広報の紙面をデザインすることはありますが・・・
 でも、絵が描けないからこそ、写真や文字の配置によって、見る人の印象をがらりと変えてしまう”デザイン”の奥深さにはまってしまったのかも知れません。だから、今まで他人の同人ゲームのレーベルや、ポスターをデザインしてきたりしました。しかし、それも大学を卒業するとともに必要なくなってしまいました。せっかく買ったソフトウェアも泣いています。

 では、自分で発表する機会を作ればよい。

 そうして作ったのが、自分のHP、「Keel Laboratory」内の「モノ図鑑」というコンテンツです。
 
 モノ図鑑は、自分の身近にある、いつも使っていたりする物にスポットを当て、雑誌やタブロイド風の紙面にまとめ、1024×768ピクセルの壁紙サイズJPGファイル1枚にして公開するというコンテンツです。
 HTMLではなくJPGという「画像ファイル」なのがミソで、どんなに無茶なレイアウトをやったとしても、どんな環境だろうが、色やレイアウトが崩れないので、もう自由にできます。画像が見れない環境では手も足も出ないのが難点ですが。

 それに自分のHPの、モノ図鑑というバーチャルな図鑑なので、デザインコンセプトもスポットを当てられる物ごとに変えられますし、クライアントから頼まれているわけでもないので、失敗しても怒られません。心に傷は残りますが。

 とにかく自分の趣味で好き勝手やっているモノ図鑑。興味がおありでしたらのぞいてもらえると幸いです。

 モノ図鑑はこちらから

デジカメとサルスベリ

2004-09-11 21:11:04 | Dialy
 どうも、最近引きこもりがちだ。
 ちゃんと仕事には行っているし、仕事中ももちろん外出する。
 家にいるときも、買い物にはよく出かけるし、外にいることも多い。

 でも、なにか自分が引きこもっているような気がする。
 その何となく思っていた疑問が今日、氷解した。

「私は休みの日の日中に、外に出ていなかった」
 外は外でも、屋外という意味である。
 本日、ネタの撮影のためにデジカメを持って庭に出たのだが、目的の写真を取り終わり、ふと庭を見回すと、花が咲いている。サルスベリだ。
 花の咲き具合から、明らかに数日はたっているようだが、恥ずかしい話全く気づかなかった。それどころか、ガレージの脇のケイトソウや庭の石の上のカエルにも、今日の今日まで気づかなかった。

 つまり、引きこもっていたのだ。
 全く、周りを見る余裕を失っていたのだ。季節の移り変わりを感じ取れなかったのだ。そういえば、「すっかり日の色が秋になった」という言葉にはっとしたのを覚えている。
 季節は、気温だけではない。景色も色も変わっていくというのに。

 サルスベリの花を見ていて、なんだか心が穏やかになっていった。

「iPod」が欲しい!

2004-09-10 22:52:34 | PC
 今、「iPod」がちょっとした社会現象を引き起こしている・・・ような気がする。
 ちょっと雑誌を見てみれば、iPodを賞品にしたプレゼントがあふれているし、最近では「サントリーの烏龍茶」や「キスミント」でもキャンペーンの賞品になっている。

 iPodといえば、言わずと知れたAppleのHDD音楽プレイヤーだが、正直、私はこれが欲しい。miniでも普通のでもどっちでもいいけれど、とにかく欲しい。
 「買えばいいじゃん?」とか思われるかも知れないが、たいして外で音楽を聴くことがない私にとって、iPod miniの3万弱という値段でも高すぎる。

 「たいして外で音楽を聴かないなら、別にいらないじゃん?」とも思われるだろうが、その「たいして」が問題なのだ。車メインで移動するようになって、確かに移動しながら音楽を聴く機会は激減した。しかし、0になった訳ではない。今でも電車で移動することはあるし、そうでなくても外に音楽を持ち出したいことは結構あるのだ。
 こと社会人になってからは、鞄とか持ち歩かなくなった。よって、CDプレイヤーはちとでかすぎる。メディア単価が安いのはいいんだが。音もいいし。
 かといってシリコンオーディオプレイヤーはMP3かWMAで、128MBならせいぜい25曲まで。パンフに「もうCD、MDを持ち歩かなくていい」って、アルバム2枚ぐらいしか入らない分際で何を言ってやがると。メモカも容量単価がバカ高いので何枚も買う気がしないし・・・。ああ、小さいのはいいことだ。

 と言うわけで、HDDなのだ。
 なんといってもiPodは「WAVが再生できる」のだ。これならCD音質そのままで音楽を楽しめるではないか。20GBも容量があれば、1曲40メガでも500曲。十分だ。可逆圧縮コーデックを使うという手もあるしね。
 それに、iPodはかっこいい。いや、かっこいいと言うか、COOLだ。あれを持っていたいという衝動に駆られる。欲しい・・・

 多分買わない、けれども欲しい私は・・・結局「キャンペーン」や「懸賞」という「おまけ」につられてしまうのだ・・・ああ、やっぱ弱いなあ・・・