Cafe de Kerm ~毒味ブログ~

物言いにも、珈琲にも、もれなく毒が混入している可能性が無いこともないです。

日本と欧米の「我はロボット」

2004-09-18 01:18:47 | Science

1.ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
 (A robot may not harm a human being, or, through inaction, allow a human being to come to harm.)
2.ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
 (A robot must obey the orders given to it by the human beings, except where such orders would conflict with the First Law.)
3.ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。
 (A robot must protect its own existence, as long as such protection does not conflict the First or Second Law.)

2058年刊「ロボット工学ハンドブック」第56版からの引用

アイザック・アシモフ 「我はロボット」より
WiKiペディア


 カレル・チャペックの「R.U.R」という戯曲によって「ロボット」という言葉が初めて世に出ました。1921年のことです。

 日本では鉄腕アトムに代表される、「人型」がロボットのスタンダードとして認知されていますが、欧米ではいわゆる「工作機械」としてのロボットがスタンダードです。
 今回は、このあたりについてちょっと整理してみましょう。

 いきなり確信を付くようで申し訳ないのですが、「フランケンシュタイン・シンドローム」と言う言葉があります。

日本でもおなじみのメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』も、自らが作り出した人造人間に破滅させられる、というストーリーでした。このことから、SF作家のアイザック・アシモフは、欧米人の人型ロボットを嫌悪する心理を「フランケンシュタイン・コンプレックス」と名づけました。
赤本ウェブサイトより


 欧米人は、「自立して動く人型のもの」に対しておおむね良い感情を持っていないようです。
 つまり、キリスト教の思想に基づき、「人や、人に似たものを作れるのは神だけ」「神を冒涜する者は破滅する」という考え方が色濃く残っているわけです。欧米においては、未だに「人型のロボットに対するタブー視」があるそうですが。このことについては
 ワンダフル!!ロボット
 ロボットの時代
あたりに詳しく書いてあります。考え方に関しては、両ページともほぼスタンスは同じです。
 ピンとこないといわれる方も、現在公開されているウィル・スミス主演「I,Robot」や、「ターミネーター」シリーズ、「2001年宇宙の旅」のHALなどを思い出せば理解して頂けるかと思います。
 どうやら天文学、進化論に続いて、ここでもキリスト教は科学技術の進歩を阻害しているようです(w

 一方日本では、「自然崇拝を元にした多神教民族」という前提があります。
 天狗や鬼、妖怪などの超自然的な存在や、狐や鶴、狸などの化生などの伝承を見ても、そういう人外の存在と共生することで、文化を創ってきたという歴史があります。
 また、古来より陰陽師が使役した「式神」に見られるような、「使い」としての存在も見られることから、もともとロボットのような存在を受け入れる素養はあったとしてとらえていたとも考えられます。
 つまり、人外のものに対する考え方が、明らかに欧米とは違うのです。故に、アトムやドラえもんは、今も人間の友達であり続け、彼らに夢を見た技術者によって、人型ロボットは研究されているのです。

 しかし、日本で受け入れられた「人型」ロボットも、その使用用途となると実は具体的な使い方がよく見えてこないのです。
 もちろん人型ロボットが完成するには、まだ時間がかかるという事もあるのですが、「何故人型でなければいけないか?」という根本的な疑問に答えることが難しいのです。
 なぜなら、今ある人間用の道具をわざわざ使えるようにしなくても、ロボット用の特殊な道具を使って仕事をする方がはるかに効率的であるし、かつ現実的だからです。

 では人型ロボットの前途は閉ざされているかというと、そうでもありません。
 【『共生する/進化するロボット』展】早稲田大学ヒューマノイドプロジェクトのロボットが勢揃い
 ちょっと記事が古いですが、この中で「感情表現をするロボット」というものが紹介されています。欧米的な考え方でいいますと、「作業するためのロボットに感情なんて」となるところですが、日本人的な考え方をするならば「感情が、たとえダミーだとしても、あった方がつきあいやすい」となるわけです。
 具体的な例を挙げるとするなら、「介護用ロボット」が無機質なものだった場合と、人間的な感情を持っている(様に見える)場合、どちらに世話になりたいか?という問いを用意するとします。大部分の方は後者をあげるでしょう。高齢者ならなおさらです。

 人間もテリトリーを持って生活する高等動物である以上、「自分の置かれているカテゴリー以外のものを排除しようとする」性質があります。
 これに従った場合、ロボットにしても「人型」で「感情を持っている」人間に近いスタイルの方が、「無骨な機械」で「反応が無機質」だった場合よりも親しみやすく思うのは当然です。
 つまり人間型は、「人間と直接とコミュニケーションをとる仕事」に適しているといえるでしょう。

 また、普段は人間が仕事をしており、その代役を引き受けるといった「設備が変えられず、かつ人型でなければ扱えない仕事」にも、かなり限定的ではありますが、適しています。ただ、それが具体的にどんな業務なのかは限定することは難しいです。

 さた、そんな人間型に対する明確な用途については、あさりよしとお氏のまんがサイエンス 8 「ロボットの来た道」で一つの回答が示されています。興味のある方は一読されるとよろしいかと。この本はロボットについて、それこそ小学生にでもわかりやすいように解説されていますので、一通りロボットについての知識をかじっておきたい方にもおすすめです。

 ではここで、2足歩行ロボットについて、もう一つ値打ちをつけるとしましょう。
 現在の2足歩行ロボットは、アトムにもドラえもんにもまだほど遠いです。ロボット3原則が守れるロボットが現れるのはまだまだ先になりそうですが、それを実現させるための研究の副産物として、新しい技術がいろいろと生まれています。
 つまり日本にとってのロボット産業は、新たな技術の取得の場でもあるのです。

 さて、最後に無理矢理まとめてしまいましょう。
 つまり、

 日本:「ロボットは友達」
 欧米:「ロボットはあくまで道具。人型は潜在的な敵」


となります。マンガでたとえれば、日本は「アトム」、欧米は「レイバー」がスタンダードなロボットだととらえられているわけですね。

 個人的には、私は二足歩行ロボットが大好きです。新しいニュースを日々心待ちにしているのですが、多分ロボット三原則が完全に守れるロボットは現れないかも知れませんね。
 何故って、ドラえもんときたら・・・