Cafe de Kerm ~毒味ブログ~

物言いにも、珈琲にも、もれなく毒が混入している可能性が無いこともないです。

内容検索の弊害?

2008-11-01 21:26:28 | Thinkings

 店頭で本を買うときに、とりあえずパラパラとめくって中を見てみるということは意外と大切なことです。表紙だけを見て買ってしまうのも自由ですけれど、内容が伴っていなかったりすると非常に損した気分になります。最近はコミックとか雑誌などは立ち読みができないようになっている場合が多いですし、文庫とか新書は、そもそも立ち読みにも大きな負担がかかるのであんまりしませんけれどね。

 しかしながら、実用書となるとそうもいきません。
 たとえば地図だと、表示レイアウトが好みと違っていたり、必要な施設の情報が載っていなかったりすると使い物になりません。技術書や解説書のたぐいは、ページのレイアウトや図版の多さなど、購入前に見るべきとことはたくさんあるのです。たまに、選択の余地が無い、なんてこともありますけれどね。

 さて、店頭で買う場合は実物を手に取れるわけですからいいですが、ネット書店の場合はそうはいきません。タイトル、著者、表紙などといいう限られた情報から一か八か選ぶしかなかった訳ですけれど、ネット上でも立ち読みがしたいという要望に応える形でAmazon等は「なか見!検索」といった書籍の中身を「立ち読み」できるサービスを提供していますが・・・それがちょっと問題になっているようです。

ネット上の「書籍検索」に日本文藝家協会が苦言 CNET japan

同協会の理事会で一部の公開であっても、作品の大部分が読めてしまうような書籍の存在が明らかにされた。例えば、短編集や人物エッセイ集、詩歌・短歌・俳句集などは、20%の公開でも一作品全部が読めてしまったり、根幹部分が明らかにされてしまったりすることが危惧されている。

 確かに短編集や詩歌といった、「短いものを詰め込む」形の出版物の場合、そういう状況というのは確かにありますよね。一冊に短編が5編収められていたならば、単純計算で一本は読めてしまうわけですからね。店頭だと長くて読む気にならなくても、自分のPCの前だったら腰を据えて読んでしまうかもしれません。

 しかしながら、それを含めて立ち読みなんじゃないかなあとも思うわけです。その短編を一本読み終えることで、残りの収録作品が気になることもあるでしょう。詩歌ならば別に店頭でだって数本は間違いなく読めてしまうわけです。そこまで目くじらたてるほどのことでもないと思いますけれどね。

 結局のところ、著作者がどう思っているかが重要なのですから、協会が言うように「著作権者の許諾をとる」のが一番じゃないですかね。20%も見せたくなければその前でカットすればいいし、逆にクライマックスに向けて盛り上がる80%くらいのところで切ってもいいわけですから。ネット上での立ち読みサービスを提供しているサイトが少ない今は、個別対応でも特に問題ないのではないでしょうか。

 手間がかかるので微妙なんですが・・・今後増えてくるであろう立ち読みサービス提供サイトへの対応として、今のうちからガイドラインを設定しておくのも良さそうですね。星の数ほどある出版社側ではなく、サービス提供側何社か(Amazon、Google、Yahoo!が中心になるといいと思う)から「公開するときはここからここまで」という共通フォーマットを、納入の際に提示を求めるような提案ができたなら、このような問題は割と簡単に解決するような気がします。

 消費者としては、表紙買いしてハズレをつかまされるのは勘弁して欲しいですので、このサービスの充実を望みますが・・・適切な対応がとられたならば、共存共栄できると思うのですけどね。