kenroのミニコミ

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ロシア美術紀行5 エルミタージュ美術館その2

2005-09-20 | 美術
ニューヨーク近代美術館(MoMA)に行った際には、美術館が改装中で仮設展示ということもあってマチスの「ダンス」には惹かれたものであったが、エルミタージュに来てよくわかった。MoMAの作品があくまで習作であるということを。実は、これが見たいがためにエルミタージュまで行ったのだ。エルミタージュは都合2日費やしたが、生真面目に冬宮から展示の順番に見て回ったために新エルミタージュの2階、フランス近代美術は最後の最後になってしまった。で、出会えたのはマチスの間。ちょうど団体客が過ぎた後で、がらんとした空間に際立つ大作「ダンス」そして「音楽」。いやその前室に見(まみ)えた「家族の肖像」や「赤い部屋」で十分マチスを堪能した隣、眼前に拡がる「ダンス」。「音楽」ともどもわずか3色ほどしか使っていないのにこの表現力は何なのか。キャンパスに描く光を求めてマチスはフランスは南部へと移動し、遂にはスペインの田舎で村の踊り励む女性たち(もちろん裸ではないが)に出会い、その太陽光との見事なまでの調和に感動し「ダンス」を描いたと言う。それにしても、何たる単純明快さ、そして何たる躍動感。
マチスの絵をロシアにもたらしたのは19世紀末、革命直前までフランスを始めヨーロッパに渡航し、その蒐集熱を満足したセルゲイ・I・シチューキン。エルミタージュの遺産は、エカチェリーナ2世をはじめとする王室の蒐集癖がなしたものであるが、シチューキンの慧眼によるところが大きい。特に20世紀美術は。シチューキンのコレクションはマチスにとどまらず、まだヨーロッパ画壇で評価もされていなかったマチスをはじめ、セザンヌやドガなどを買い漁っていたという。
サンクトペテルブルグからはヨーロッパはやはり近いのだろうか。このような膨大な美術品を運ぶなど、陸続きの利点かとも思うが、エルミタージュにも陳列されているエジプト美術、ギリシア美術も海を隔てた大英博物館にたくさん収められている。要は時の権力と財力と、そして収集熱なのであろう。
至極当たり前のことであはあるが、美術作品の中には運べるものと運ばないものがあって、運べないものはそこまで行って見なければならないし、また、運べるものであってもそこにあるからこそ見る価値があるというものもある。運べないものの典型は古代遺産、教会美術であり、運べるもの代表格は19世紀のフランスをはじめとする印象主義であろう(前者はウフィッツィなどフィレンチェの美術、後者はオルセー美術館の作品群を見よ)。エルミタージュは建物はもちろん運べないし(ルーブルもメトロポリタンももちろん運べない)、その優雅な内部建築の一端さえも運べない。さらに言えば、作品の状態によるところが大きいがルネサンス美術は500年もたった現在運搬しないほうがいいだろう。エルミタージュに展示されている17、8世紀以降の多くの作品は運べるかもしれないし、「ダンス」も日本に持って来ることも可能かもしれない。けれど、美術鑑賞という受け身としての美への関わり方は、その美のあるところにこちら側が手間ひまかけてたどり着くというのが本来の姿ではないだろうか。そのたどり着く過程の中で、美術とは、その時代のその国/地域の美(術)意識とは、それを描いた作者の意図や背景とはと考えてはじめて触れる作品には、例えようのない美しさを感じることができる、と思える。
エルミタージュは遠い。観光立地としてのロシアにはまだまだ不便さもつきまとう。けれど、見てみたい、見てほしい。「美の殿堂」とはそこまで行かなければ決して体験できないということを説明できないと自覚するために。
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