26日の諏訪様のお祭りで、直会をしているときに質問されました。
聞くところによると、25日に民放で仏様の種類について番組をやっていたとか。
一つの会社にたとえて、会長が如来とか、専務が菩薩とかという感じでランクづけをしたそうです。
一番上が如来、次が菩薩、次が明王、次が天、という内容だったそうで、確かにその通りに分かれています。
そこでふと疑問が湧いたそうです。
では、浦佐の毘沙門天は「天」だが、3月3日の押し合い祭りには不動明王の前のうがい鉢で身を清めてから毘沙門様をお参りするのは順番がおかしくねーか?明王の方が上なのに。
確かにその通りですよね。普通に考えればそうです。
しかし、真言宗ではすべての仏様は、菩薩であれ、明王であれ、天であろうとすべては大日如来の化身だと考えるので、不動明王の前で手を合わせるのも、毘沙門天をお参りするのも、すべては大日如来をお参りするのと同義だとされています。
仏法を説くために、いろんな姿に形を変えているということです。
そう考えると、最後には順番などは関係なくなってきます。
そう話をしたら納得してくれました。
「番組もそこまで説明してくれたら分かるのに~。」とのこと。ただ、他にも宗派があるのでいろいろな説き方があり、全体を考えるとそこまでできなかったのでしょうね。
聞くところによると、25日に民放で仏様の種類について番組をやっていたとか。
一つの会社にたとえて、会長が如来とか、専務が菩薩とかという感じでランクづけをしたそうです。
一番上が如来、次が菩薩、次が明王、次が天、という内容だったそうで、確かにその通りに分かれています。
そこでふと疑問が湧いたそうです。
では、浦佐の毘沙門天は「天」だが、3月3日の押し合い祭りには不動明王の前のうがい鉢で身を清めてから毘沙門様をお参りするのは順番がおかしくねーか?明王の方が上なのに。
確かにその通りですよね。普通に考えればそうです。
しかし、真言宗ではすべての仏様は、菩薩であれ、明王であれ、天であろうとすべては大日如来の化身だと考えるので、不動明王の前で手を合わせるのも、毘沙門天をお参りするのも、すべては大日如来をお参りするのと同義だとされています。
仏法を説くために、いろんな姿に形を変えているということです。
そう考えると、最後には順番などは関係なくなってきます。
そう話をしたら納得してくれました。
「番組もそこまで説明してくれたら分かるのに~。」とのこと。ただ、他にも宗派があるのでいろいろな説き方があり、全体を考えるとそこまでできなかったのでしょうね。