千手院のBlog

タイトルそのまま・・・お寺の紹介・生活日記!冬期は墓地の積雪状況もアップしています。

賢兆和尚本葬儀式が一夜あけて

2006年10月16日 | 葬儀
昨日の葬儀から一夜明けました。朝方雨がちらつきましたが、今日も良い天気でした。

葬儀の際には千手院としてかなり細かい事をスタッフ、お手伝いの方々に注文致しました。「ここの字が違う」とか挨拶、謝辞のことについてなど、さぞなんでこんなにうるさいんだ、細かすぎると思われたことでしょう。

いろいろお手数をかけさせて申し訳ありませんでした。

葬儀後、あまり日を空けてもいけないと思い、今日書いています。

今回の葬儀、千手院の副住職の役目は「散華(さんげ)、対揚(たいよう)」という「讃(さん)」を本尊様と賢兆和尚の御霊に捧げさせていただくものでした。

一方、住職は「会奉行(えぶぎょう)」というお役目でした。「会奉行」とはお導師さまの次くらいに重要な役にあたります。

葬儀式の内容、進行を采配する責任者となります。お寺の住職の葬儀ともなると、実に多くのご寺院方が集まります。そこをとりまとめなければいけないのですから細心の注意が必要になります。

そこで、事前に打ち合わせを繰り返し、同意を得て決められていた事がずいぶん違っていたため、いろいろと言わせていただいた訳でございます。

そういう訳ですので、不快な思いをさせてしまっていましたら、その辺の事情をくみ取っていただきたく、お願い申し上げます。

副住職がお唱えさせていただいた「散華・対揚」の和訳です。

散華(さんげ)
「願わくは我れ道場にあって、香華を散じ、仏を供養いたします。
本尊大日如来と、その身体と言語と心によって行われる行為が宇宙全体に遍満し、如来の三密によって説かれる金剛一乗甚深教(真言密教のこと)とに帰命いたします。
香華を散じ、仏を供養いたします。
願わくはこの功徳をもって、あまねく一切に及ぼし、我等と衆生と皆ともに仏道を成ぜんことを。
香華を散じ、仏を供養いたします。」

対揚(たいよう)
「全宇宙を道場とする三密教主大日如来に帰依いたします。
四方四仏が真言密教の真実なることを証明いたします。
天衆地類、法楽をますます増加いたしますように。
このお寺の鎮守明神の威光は自由自在で何ものにも妨げられません。
賢兆尊師、正に覚りの境地におられます。
一切の霊が成仏いたしますように。
天皇はおすこやかに、国家はますます栄えますように。
寺院に障りなく、仏法はますます繁栄いたしますように。
法性は無漏であり、秘密霊妙な経典は、はなはだ深い意味を含んでおります。
願うところはすべて成仏いたしますように、金剛手菩薩よ。」

参考文献『新義真言声明集成』

少し長くなりましたね。

賢兆和尚さん、昭和初期にとり決められた「古山門」「旧文殊院」「毘沙門様本尊」のこと、しっかり話し合って前向きに結論を出し、そして浦佐の葬儀をよりよいものにしたく、本音で話し合いをできると思っていた矢先、本当に悲しいです。




賢兆和尚本葬儀式

2006年10月15日 | 葬儀
今日は隣の普光寺、永井賢兆和尚の本葬儀式が執りおこなわれました。

すばらしい秋晴れの中、厳粛な葬儀でありました。

東京で生まれ育ち、理工畑から宗教の世界に入られたのは弔辞の中にもありましたが、想像以上の苦労があったと思います。けれど、63才はあまりにも早すぎます。

私は「永井さん」と気軽に声をかけさせてもらっていました。時折、江戸弁がまじる粋な感じとスポーツ、政治、お住まいになっていた浦安近辺のこと、同級会で海外に行かれたときの様子など、楽しく話をさせていただいた思い出があります。

とても発想が豊かで、柔らかい方だったと感じます。できるならば、衣を脱いだお付き合いがしたかったです。

「普光寺」という大きなお寺の仕事、まわりからのプレッシャーは同じお寺を継ぐものとして相当な重圧だったと推察します。

この度の葬儀の反省、そして誤解のないように周囲の方々にお伝えしたいと感じている点は後日報告したいと思います。

今日はただただ、「永井さん」「賢兆和尚」のご冥福を、静かに、心からお祈り申し上げます。

「永井さん」海が好きだったんですね・・・。今まで気さくにお話をしてくださって本当にありがとうございました。  合掌


葬儀を考える

2006年10月01日 | 葬儀
29日だったと思うんですが、夜のNHKで『納得!私のお葬式』という番組を見ました。

お葬式の疑問をいろいろとやってました。戒名のこと、費用のこと、作法のこと、散骨や樹木葬など、とても興味深い情報がたくさんありました。

インタビューの中で「私らしい葬儀」という言葉が多く出てました。

「現在の仏式のお葬式、大丈夫かなぁ?」学生の時からの思いが年々危機感に変わってきた中で、さらに追い打ちをかけられる内容でした。

檀家制度は江戸時代に徳川幕府から強いられた制度。それにあぐらをかいてしまった寺院と僧侶。もちろん全部がそうではないにしても、全体的にはその感が強い。

「檀家数」の多いお寺は、やはり過去に立派な僧侶がいたんだと思う。けれど世襲制になってきている今は「檀家数が多い」=「立派な僧侶がいる」とは限らない。亡くなった師匠がよく「下座行」ということを言っていました。立派な僧侶ほどほうきを持って庭を掃き、ぞうきんをかけ、汚くなる仕事をやるもんだ・・・と。

番組でも「葬儀はした方が良い・したい」という方が多かった。しかし、仏式でお坊さんにお願いしたい、という感想はほとんどなかったのが残念でした。それだけ魅力を失っているんだと思います。

「私がもし死んだら、このお坊さんに仏式のお葬式をあげて欲しい」そんな風に言っていただけるような坊さんになりたいなぁ。