「ミソハギ」ミソハギ科の多年草。
毎年、お盆の頃に咲いたり、お供えに使ったりするので浦佐では「盆花」とも言っています。
写真のミソハギはもう終わりに近くなってます。お盆が終わったかと思ったら、あっという間です。
千手院では、このミソハギを摘んで、輪ゴムで本を束ねて水を入れた器の上に横にして置いて、仏壇、お盆の精霊棚の前に供じます。
このミソハギ、一説には「禊ぎ」に通じるからとかありますが、確かにその通りだと思います。お寺ではこのミソハギに水をつけ、お供物をお清めしたり、位牌などに水をかけます。(本当にはかけませんが・・・)
お盆の起こりに通じるんですね。
お釈迦様の弟子、神通力に優れていたという、目蓮尊者という方の母親が亡くなった時、良い母親だったので、あの世でもさぞかし幸せなのだろうと、得意の神通力で見たところ、なんと「餓鬼界」という、物を食べたくても食べられない、また水も飲めない世界に堕ちてしまっていた。
驚いた目蓮尊者は「何故か?」とお釈迦様に聞いたところ、あまりの子供かわいさのあまり、盲目的になり、他の子供達を同等に扱わなかったからだとの答え。
「では、どうすれば良いか?」と再度聞いたところ、お坊さんが集まってくる期間があるから、その時に供物を上げ、読経の功徳をもってすれば、その徳により餓鬼界から抜けられるだろう・・・との答え。
それを実践し、再度、神通力を使って見てみたら、母親は喜んで天界に迎えられたというのが「お盆」の起こり。あまりのうれしさに踊りが始まってしまった・・・、これが「盆踊り」の由来だとされています。
前置きが長くなりましたが、それ故、お盆にお供えする供物は、キュウリやナスをきざんで細かくしたり、そうめんのように、のどを通りやすいものだったり、そしてミソハギで水をかけて飲んでもらったりのような風習が残っています。
ほおづきは道に迷わないように、ローソク代わりだったり・・・。
地域によってやり方は違っても、その心は共通のものがあると思います。
意味は最初は分からなくても、いつか「あぁ、そうなんだ。そういう心なんだ。」って思える日がくれば、気づく日がくれば、それで良い気がします。