自己満日記

最近疎遠になっている方への情報発信のため、
また、低下した自分の記憶力補助のために気づいたことを記録します。

岐阜県海津市 治水神社

2016-02-10 07:37:00 | ちょい旅
映画を観た後、岐阜県海津市にある治水神社(ちすいじんじゃ)を訪れました。

少し変わった名前の神社は、長良川と揖斐川に挟まれた場所にあります。
道を一本挟んだ反対側には、展望タワーが目を惹く木曽三川公園がありますが、こちらの神社は、訪れる人も多くなく、静けさに包まれていました。




歴史の授業等で、「千本松原」や、「宝暦治水」という言葉を聞いたことがありますでしょうか。
治水神社はこれらと密接な関係があります。


長良川と揖斐川が合流するこの地は、古くから洪水にみまわれることも多く、1753(宝暦3年)に江戸幕府が治水工事を行うことを決めました。
その際、当時大きな力を持っていた「薩摩藩の力を削ぐ」という、もうひとつの目的のために、薩摩藩が工事の担当者に命じられます。

1年間に渡る難工事の結果、堤防は完成しますが、途中、病や事故、幕府への抗議の自決のために、亡くなられた方は80名以上にも及びます。

また、約40万両という大金を調達する必要があった薩摩藩は、借金を行い国元も困窮にあえぐことになります。

これらの責任を感じた、工事の責任者である薩摩藩家老平田靱負(ひらたゆきえ)は、工事完了の報告後、自ら命を絶ちました。

治水神社は、平田靱負を御祭神とし、治水に尽力された方々の功績を讃えると共に、工事で亡くなられた方の慰霊を行っています。

その由来から、家内安全、交通安全、水難避けにご利益があるとされ、釣りをする我が家も水難避けの御守りを買ってきました。




以前、この話を聞いてから、一度お参りしたいと考えており、今回やっと訪れることができました。

大変な苦労によって築かれた堤防は、今も立派にその姿を残しています。




遠く離れた縁もない土地のために、また藩の命運がかかった失敗の許されない工事を担当された方々には、どれだけの苦労があっことでしょう。
風に揺れる松林の中を歩くと、そんな複雑な思いと、当時の事業の大きさに驚きを覚えました。

東海地域に住む人でも、あまり知られていない話ですが、これを機に少しでも多くの方に知って頂ければと思います。

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