新 風のふくままに 

写真付きで日記や趣味を書く。プロフィールを変えました。

山の危険と水分補給

2023-07-13 | ハイキング・登山

ネット記事で読んだのだが、山岳ガイドの菊地敏之さんが、その著書『最新クライミング技術』(東京新聞出版局)の中で書かれているという言葉、肝に銘じたいと思った。それは、

『結局のところ「危険」が最も危険なのは、その危険を察知できないことにある。問題なのは、なにが危険なのかわからない、危険をシミュレーションできない、危険なことを危険なことだと考えられない、ということなのだ』

コロナ禍明けで山に人々が殺到していて、体力が追いつかなくて、行動不能で救助要請する人たちが増えているとか。

今回反省したのは、山と高原地図では地形がしっかり掴めていなかったこと。やっぱり25000分の1の国土地理院の地図を見た方が地形はつかめるだろうと思った。

また、ブログやユーチューブの記事では、本当に大変な部分は本人も必死で、あまり映像が無かったり、説明が無かったりすることが多いので、それらを読んで勘違いしてしまうのだ、ということがよく分かった。中には克明に記録を取っているユーチューバーもいるけれど、ある面つまらないので、人気はないのかもしれない。

やはりきれいな写真などが出ている方が魅力的だが、そういうものには、本当に大変な場面は少ない、あるいは力量の違いで、その方達は大変と思っていないこともあるだろう。大体走行時間が早い人たちは、若くてどんどん進める人たちだろうから、高齢者はそんなに簡単ではないと思った方が良いですね。

ここからは水分の話

登山中の水分補給の記事、Ymahackの記事かな?があった。

鹿屋体育大学の山本正嘉教授が提唱している計算式によると(日本山岳協会もこれを採用しているらしい)、

まずは、登山の行動中にどれだけの量の水が体から失われるかを示す「脱水量」を把握する必要があります。

脱水量(ml)=体重(kg)×行動時間(時間)×5(この5という係数は状況によって変えた方が良いそうだ。夏のかんかんデリではに6~7、など)

例えば、5時間の行動をした場合の脱水量は体重別に以下の通りになります。

給水量(ml) = 脱水量 × 0.7〜0.8

先ほどの5時間行動した例の場合、体重別に以下のようになります。

例えば、5時間の行動をした場合の脱水量は体重別に以下の通りになります。

脱水量の70〜80%を補給

山本正嘉教授によると、給水量は発汗などによって失われる脱水量の70〜80%で、次のような式となります。

給水量(ml) = 脱水量 × 0.7〜0.8

先ほどの5時間行動した例の場合、体重別に以下のようになります。

先ほどの5時間行動した例の場合、体重別に以下のようになります。

(春や秋の涼しい時なら)ペットボトル3本分を持っていけばいい計算になります。体重は、自分の体重にザックの重さを加えて計算した方が良いとか。

行動中:喉が乾きそうになったら1〜2口補給
30〜1時間毎の小休憩:行動食と共に100〜200ml 補給
昼食などの大休憩:食事とともに補給

上記は暑くない時期に、軽装で整備された登山道を歩いた場合を想定している数値になります。真夏の稜線のように日差しが強い場所や、湿度・温度の高い場所を歩く場合などは、係数を6~7(ml)程度に上げて計算しましょう。

当日出発前に300~500mlくらいは飲んでおきたい

お酒を飲む前には水分補給をしっかりして、アルコールはほどほどに!

水分を上手に摂ることは、熱中症や高山病の予防につながるとともに、疲労の軽減にも効果的です

という内容だった。おおよそ、現代の登山についての定説のようだから、心して準備しておきたい。

まあ、水を増やすということはザックが重くなるということでもあるので、痛し痒しなのですが。重さでバテることも多いので、必要以上に入れるのもね。だけど山小屋の水、飲める水で無料の所もあるが、今回のように高価な水を買わないとならないこともある。帰りの分の水も持参するとなると、ザックはますます重くなります。ロングコースの登山は大変です。

 

 

 

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続火打山諦め-高谷池で撤退 2023.7.8-9

2023-07-12 | ハイキング・登山

朝は4時15分に仲間に起こされた。後続だった友人たちは、下山も時間がかかるかもしれないとのことで、早めに出るという。

夜中眠れずに聞いていたのはザーザーぶりの雨の音。下山時にも降っているかなと憂鬱だったが、目が覚めて窓の外を見たら、昨日は良く見えなかった木々がくっきり見えていて、雨やんでいる!と感激。

実は昨日登った外階段はなんと個室の前に通じる階段だった。それで踊り場に出てみたら、妙高山らしき形の山も右手にくっきり見えていた。慌ててスマホを取りに行っているうちに雲がかかってしまったけれど。

朝ごはんはもともとおにぎりにしてもらったので、とりあえずそれを一つ召し上がって、5時過ぎには出発された。元々下山時はバカに足取りが早い人たちだったから、心配いらないのではないか?と思ったりしたけれどね(私たちは彼らを下山家と呼んでいたくらいなのだ)

昨日夕方妙高山の方からたどり着いたクラツーの団体は、最小限の荷物で火打山に向かったらしく、起きた時点でもういらっしゃらなかった。元気ですね。

ヒュッテの前からの景色(少し山も見えている)

私達は5時30分過ぎくらいに出発。火打山と笹ヶ峰の分岐のあたりだっただろうか、なんとくっきり火打山が見えていた。

ヒュッテ脇を歩き始めてまもなく、右手に残雪の残る山が見えて来た。

早々このあたりナナカマドも多かったわ。白い花が咲いていた。

それからどのくらい歩いたのか?やっぱり下山は早いですね。下の方に乙女湖が見えた。(もしかしたら岩場の後、12曲りの途中だったかもしれない)

大岩の岩場は下山時にはそれが3回続くのかよく分かった。降りれるかなと昨日は心配したが、それほど怖くはなかった。そこを通過して、12曲りを坦々と降りる。友人たちが見たというハクサンコザクラは見つからなかった。

滝の音が聞こえ、ついに滝が見えて、黒沢橋に出た。

先行していた仲間の姿が見えた。

橋の上流側は水量も増えているように見えた。

その後は樹林帯の中の木道をひたすら歩く。

大きなギンリョウソウの群落がいくつか見られた。

下山かの人たちの後姿を見たが、ついに追い抜くことは出来なかった。最後に小さな木の橋を渡って、明星荘が見えて、その前に仲間の姿が見えて、私達は直進してしまったのだが、なんと小川があって道路には出られなかった。そういえばこんな道通らなかったわね。それでふと写真を撮ったりしていた中くらいの木の橋を渡るんだったっけ、と少し戻った。橋の近くに木々が集められてとうせんぼのようにしてあったのに、その木々を踏んで前方に進んだのだった。通行止めのしるしだったのにね。

橋の上流側には大きな水芭蕉の葉の他、モミジカラマツかな、白い花が咲いていた。

橋を渡るとまもなく、登山口のゲートがあり、無事に下山した。行きがけに写真撮らなかったので、写真を撮ったりした。集まっている人たちは、しゃべるが置いてあったので、登山道整備か何かのツアーに集まった人たちで、互いに自己紹介していたが、北海道から来ている人もいるらしかった。

ゲート脇の森は白樺で青空が出てきて美しかった。

ゲートから明星荘の前に出て、レインウェアやスパッツを外したり、身支度を整えているうちに営業中の暖簾がかけられたので、おそばを頂くことにした。リーダーは朝おにぎり2個召し上がったら、気持ちが悪くなってきたとのことで、おそばも食べなかったのだが、3人は注文した。暖かい山菜ソバと、私は冷たい山菜ソバを頂いたが、山菜は地元で採ったものらしく、なかなか美味しかった。写真撮り忘れました。

急いて頂いて、バス停を目指したのだが、よく分からなかったので、まだ出ていなかった仲間にメールして確認していただいた。バス停は駐車場の真ん中、トイレの反対側に立っていたが、私は説明を聞いて道路わきにあるものとばかり思っていたのだった。

まあ、無事に11時半のバスに乗ることができた。

明星荘のあたりには花々が植えられていた。

まだつぼみのアジサイ

駐車場わきの花畑

山頂は極められなかったが、帰りは多少の展望もあり、花も楽しめて良かったです。数回雨にも遭いましたが、大したことなくて良かったです。

追記:山小屋のこと

宿の夕食はハヤシライスとカレーライスをご飯の左右に自由によそって頂く形だった。リーダーは体調悪いが少しだけハヤシライスを召し上がっていた。私は両方しっかりと。後続の仲間も結構しっかり召し上がっていらした。なんといっても追いかけて歩かれて(追いかけるって疲れますよね)、持参のお弁当を食べずに行動食のみで、朝8時前から夕方の17時まで歩かれたそうなのだった。

私自身はシャリバテしてしまう体質だから、小休憩取って、なんとしても食事すると思うが、驚いてしまった。十分休憩取らなかったら、体力回復する時間がなく、疲労たまるばかりだと思う。そういう行動方法も体力消耗してしまった原因ではないかと思ってしまった。お腹壊したという方は水分500㏄くらいしか飲んでいなかったとか。水分補給しないといくら湿度が高かったと言え、私はずいぶん汗をかいたし、下痢ならなおさら水分補給しないとだめだと思ったけれど...若い頃の登山経験が豊富な方だそうなので、あまり水分取らないという昔流のやり方なのかもしれない。年齢は大差ないのだが、私が登山を本格的に始めたのは15年くらい前だから、私は現代式なのだ。

私はリーダーと一時間(下山時は30分毎と言われている)くらい歩いたら、必ず水分とエネルギー補給で数分でも休憩していた。まあ、彼らも行動食は召し上がっていたそうだけれど、その都度しっかり水分取っていたら、もう少し疲労回復できたのではないかな?疲れ切ったら私は岩に座って、5分でも10分でも足を休めさせていただく。本当は何かの上で横になる方が回復できるが、今回は雨が降ったりやんだりしていたので、それは出来なかったが...

ともかくも彼らは元気が出て、ビールも飲んでいらした。お酒飲む方が血液循環良くなって、回復が早いのかも、と思ったりする。でもアルコールは脱水になるとも言われているから、その分水分を補給しないとね。

乾燥室は暖房がついていなくて衣類が乾かないので、食後、食堂のストーブの周りに椅子を並べて、衣類を置いている人たちがいて(ク〇ツーの団体が入っていた)、私も乾いていない衣類を並べた。リーダーのぐっしょり濡れていたミニタオル、全然乾かず、ついにはストーブの上であぶりながら乾かした。その後なんとか、部屋につるしたら、朝には乾いていたみたい。

個室は新館2階の大部屋の先にあった。4人部屋と聞いていたが、4人だとちょっと手狭ですが、と言われた通り、大きめの敷布団だったので、重ねて並べたが、キチキチ。別の敷き方にした方が良かったと朝になって思った。その場合板敷に布団がかかってしまうのでやめたのだった。

悪天候でキャンセルが出たのだろう。もう一つの個室は空いていた。

大部屋がまた、横はカーテンで仕切られているのに、中央の広めの廊下?側にはカーテンがなくて、丸見えなのだ。廊下の中央にはビニールシートが敷かれていて、濡れたものはそこに並べるように!と言われた。他の山小屋も以前はそうだったかしら?コロナ禍になってからか涸沢ヒュッテは廊下側にもカーテンがあったけれど。

その廊下を通って階段を下りないとトイレに行けない。荷物を踏まないよう、ヘッドライトをつけて通行するわけなので、両側に寝ている人を起こしてしまいそう。リーダーにヘッドライトは手で囲んで行くように言われて、そうしたのだが、結構歩きにくかった。

トイレは、最初にスリッパをはいて、コンクリートの通路を行き、ドアを開いて、洗面所とトイレの方に入る前に、そのスリッパをサンダルに履き替えてトイレに入るようになっていた。

疲れすぎで身体が火照ってしまって、気温も高かった様子で、部屋が暑くて寝られず、ついには布団が薄くて下に敷いた毛布を抜いて、掛布団は足元に押し出して、毛布だけでうつぶせで休んだら、やっと眠れた。置いてあった枕は反発力がつよくて私は使えなかった。困ったものだ。

何とか数時間は眠れたと思う。同室の方のスマホの通知音が一定時間ごとになって、ちょっと気になった。私は、今回色々な通知が入ると一気に電池が消耗するので、かなりのアプリの通知音をならないように設定して来た。ラインの宣伝系のものはブロックしておいた。連絡来そうなグループラインの方には、連絡控えてとお伝えした。間違い電話をかけた方もいらしたが。それでヤマレコ、機内モードでも使えていたように思ったが、インターネットつながないと使えなかったので、機内モードは止めたのだったが、写真撮って高谷池ヒュッテについてもまだ50%くらいの電池は残っていた。夜間通知を止める設定も機種によってはあるそうだ。

ともあれ、体調不良者が出たけれど、何とか全員下山できて良かったです。やっぱり高齢者集団なので、標準の1.1倍よりもさらに1時間余分にかかってしまいました。これからはもう少しゆっくり目で企画しないとなりませんね。

私も寝不足が続いたせいか、帰宅した翌日洗濯物を干していて、家に入ろうとしたときに植木鉢に足を引っかけ、額を小物干しに強打。幸い出血はしなかったが、明らかにたんこぶができた。目に近いけれど、膝に張っていた湿布を切り取って、患部に貼っておいたので、幸いたんこぶのあたりは青黒くならなかったのだが、目の脇も少し打ったらしく、どうも変な感覚だったのだが、湿布しなかったら、上の打撲の内出血が下りたのか、左目の下側も黒ずんできてしまった。目の周りだから、あまり湿布薬貼ってもどうかなと思たのが良くなかった。まあ、化粧と帽子とマスクで、それほど気づかれないで済みそう。仕事も朝からあったので、本当に出血でもしたら、会社に迷惑をかける所だった。

幸い頭が痛くなったりはしなかったので、良かった。昔から「たんこぶ出来きれば大したことない」と、子育てして来たから、大丈夫だろう。

というわけで、慎重に岩場は降りてケガしなかったのに、何でもないところで怪我をしてしまいました。

それにあちこち問い合わせたが、置忘れのサブザックは出てきていない。諦めるしかなさそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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火打山諦め-高谷池で撤退2023.7.8-9

2023-07-10 | ハイキング・登山

7日の夜行バスを予約して、長野から北しなの鉄道で妙高高原駅に出て、バスで笹ヶ峰登山口に行く予定を立てていた。個室が取れたので、友人を誘ったら、その友人の山パートナーも誘ってよいかとおっしゃるので、心臓の手術をなさって1年以上たっても歩行は遅いとお聞きしていたが、高水三山で夕方6時ごろまでかかった時は道迷いもあったらしいから、まあ大丈夫かなと思って、良いですよとお返事した。その時点では、私も高谷池までのコースが老人グループにとって、これほど大変とは思っていなかった。

行程表は標準の1.1倍で設定して、しかも休憩多めに取って、笹ヶ峰7:30発、高谷池12:30に到着に設定していた。

お天気は長野あたりまで雨天でも新潟の境界だから大丈夫かも、と思っていたら前日に北陸方面も大雨予報。登山口から沢沿いで吊り橋を渡るんだったと思って、増水時大丈夫かなと、出発の前日も眠れなかった。

アメダスの予報も新潟あたりまで、かなりの雨予報だったが、雲の隙間で登れることもあるかも、と出発を決行。高谷池ヒュッテが2日前まではキャンセル料かからないが、前日とかは30%、当日は50%、連絡なしでキャンセルなら100%かかるというのもキャンセルを躊躇してしまった原因だった。バスも新幹線も直前までキャンセル料かからないのだが。珍しい山小屋でした。しかし、こういう山小屋は今後増えるらしい。

ということで出かけたのだが、駅で朝用の弁当や非常食、お菓子や薬、一部の衣類が入ったサブザックを置き忘れてバスタ新宿に行ってしまった。ハッと気づいて取りに戻ったが、もう電車は発車してしまって、後の祭り。一応駅の方に報告したが、電車は次は調布とのことで、連絡入れて下さるとのことだったが、私はバスの発車時刻があるので、その場を離れた。明日7時過ぎに連絡してみてくださいと言われたが、山なので電波が入らないと連絡できないと言っておいた。

ともかくもリーダーが朝食用のパンを余分に用意してくれていたので、バスタの売店で少しだけ食料を買い足して、出発。発車前に運転手さんが、長野は雨かもしれないので、傘を持っている人は手元に置いておいてくださいと言って下さり、土砂降りでは大変と、荷物入れから傘とレインウェアの上を出した。

バスは前回と同じく後ろの方にしたのでほとんどフラットにできたのだが、なんといってもタイヤの回転音などがすごく、眠りを誘う薬も置き忘れのサブザックに入れていたので飲めず、なかなか寝付かなかった。

夜中どのへんか雨音がすごかった。こんな中登山なんて大丈夫かしら?いざとなったらキャンセルして帰るしかないかなと思っていた。

長野の相当手前から降車バス停ごとに放送があり、眠れなかった。

ほんの少し眠っただけという感覚で長野に着いた。幸い雨は小降りで傘なしでも駅まで行けるくらいだった。

妙高高原までの切符は、ボタンを切り替えて購入できた。往復切符があったかどうか分からないが、単純に切符を購入(北しなの鉄道はスイカが使えなかった)して、飯縄山の時に入った待合室に。パンと魚肉ソーセージとバスタで買った半熟卵を頂き、野菜ジュースを飲んだ。トイレもすませて、長野前泊組と合流。

無事に電車に乗り込んだ。通学生などいるのかなと思ったが、6時発はガラガラ。しばらく走ると緑の中の単線が続いた。少し寝たのかもしれない。予定通り妙高高原に着いた。少しでも早く登山が開始できるように、タクシーを予約しておいたので、タクシーが待機していたのだが、長野でトイレをすませて置いて、と言っていたが、トイレを利用したいという方がいて、タクシーの運転手さんに待っておいていただいて、5分後に出発。でも7時30分ごろに笹ヶ峰駐車場に到着。バスなら8時10分頃になる。

駅で私だけバタバタしてトイレに行けなかったので、登山口のトイレを利用したので、出発は7時40分ごろになった。そのあたりにはウツボグサやアザミなどの花が彩を添えていた。

遅いという二人組を待ちながら、ゆっくり目にリーダーには歩いて頂き、長い木道を進む。雨でぬれているので滑りやすい。最初に小さな木の橋を渡ったことは帰りには忘れていた。木道を進む。

15~20分ほどでグリーンハウス(笹ヶ峰周遊コース)との分岐があり、木道をさらに進んだ。途中木の小さな橋があった。

最初の内は本当に緩やかに登って行った。ブナだろうか大きな木もある。

石ころも道も出てきた。

しかし、何回か小さな橋を渡り、かなり進んだと思っても黒沢橋までなかなかつかなかった。やっと沢の轟音が響き、黒沢橋に出た。9:04ごろ。友人のグループもまもなく到着。

橋の上流側

下流側

橋の手前で休憩の人たちがいらして、その方達が出発して、私達は仲間を待ちながら休憩。まもなく仲間も到着した。反対側には団体が下りてきて、休憩を取っていらした。かなり長い休憩を取っていた。12曲りという急なジグザグの坂が続くとあったので、大変なのかなとちらっと思った。それほどでもないというブログも見たのだったが。

反対側の狭い広場の左側に急な登り口があった。もう12曲りが始まったのかなと思っていたが、12曲りは大分先だった。

急坂のわきにゴゼンタチバナが咲いていた。

スダヤクシュ街道のようにスダヤクシュが咲いていたが、写真は目立ちませんね。

ツバメオモトも沢山あって、6月初め頃なら白い花が見られただろうと思った。種が付き始めていた。秋には青黒くなるのだったと思う。

石ごろの道や階段を登ると、12曲りの小さな標識があった。9:38

特に坂が急になったようには感じず、ひたすら階段や岩を登る。奇数のみ写真を撮った。

なんの花か分からない小さな黄色の花(白い花が多く黄色は珍しかった)

オニシモツケソウ?

このあたりの階段脇にはヨツバムグラやオククルマバソウらしい草に花が付いていた。

霧が晴れて少し明るい空の下に、カニコウモリの花が付いていたが、目立ちません。友人は開けたところの反対側にハクサンコザクラが咲いていたと言っていたのに私はカニコウモリの方に気を取られて、見損なったらしい。帰りも結局気づかなかった。残念。

12曲りの7はぶれてしまって良く写っていなかった。その後の急階段(これもぶれていますが)

ボケてしまったが、キソチドリだろうか?

霧がさらに晴れてきた。晴れると良いな。

12曲りの12に到着。やっとジグザグの急坂が終わって、緩やかになると期待したのだが... 12曲りの途中から、後続の仲間の姿が見えなくなってしまった。大声を出してみたり笛を吹いて見たり。ちょっと心配。後から知ったのだが、ここが一番電波が入りやすいらしい。

 

まだまだ急坂は続いたのだった。

ツクバネソウ(葉が4枚)

大岩の急坂が出てきたのだった。ストックを抱えて、3点支持でよじ登る。

この岩場、後続の仲間は大丈夫だろうか?引き返した方が良いのではないかと思って10:40に友人の山パートナーの方に電話したが繋がらなかった。

登り終わって少し岩が小さくなった。花が落ちていたので見上げたら目の前にピンクの花が。サラサドウダンかと思ったが、花にはっきりすじが見えないから違うのかな?

電源減るのを心配してリーダーはメールとか電話しない方が良いと言ったが、11時ごろ友人の方にメールを入れてみたが、電源切っていて連絡が付かない。追い抜いてきた人に様子をお聞きしたら、大丈夫そうだとのことだったので大丈夫なのかなと思った。その人たち、後で知ったが山小屋のアルバイトの方達だった。一人の方からは、「先に行ってください」との伝言を聞いた。まあ、経験も豊富な方々だから、大丈夫なのだろうと思っていた。

このあたりから下の方では種が付きだしていたマイヅルソウの白い花やオオミズホウズキの黄色の花が増えてきた。

しかし道は険しい。

山頂まで9分の4という標識があった。高谷池までそうかからないのかなと思ったのが間違いだった。やや緩やかになったが歩きにくい道が続いた。

この先はイワカガミが多くなり、キヌガサソウやサンカヨウも見られてきた。

イワカガミ(ブレた)。群落沢山あったが写真撮らなかった。

キヌガサソウ

散り始めたサンカヨウ。雨で透き通っています。ガラスのようなと表現されるみたい。

ミツバオウレンも咲いていた。

相変わらず岩の道が続く。

富士見平の分岐があったのだが、写真が見当たらない。リーダーに撮ってもらったのかもしれない。先を急いで写真とらなかったのかな?ヒュッテで食事にしようと言っていたのに、もう12時はとっくに過ぎていた。

クロバナエンレイソウ

しかし富士見平からも高谷池ヒュッテは遠かった。

草原の中を行くように想像していたが、緩やかに黒沢岳を撒いて行く道なのだが、木の根につかまるようなところもあり、疲れた身には、まだか、まだかと思いながら歩いて行った。相変わらず二人とも荷物が重い。熊撃退スプレーも持参していたし。

このあたりは、小ぶりのスミレが登山道脇に群生していた。白い花とピンクの花があった。

エゾタチツボスミレかしら?

またオオミズホウズキがものすごく群生していて、こんなにたくさんの大ミズホウズキは見たことが無かった。

モミジバカラマツ

このあたりは、もう新潟県だ。

ユキザサの花

こんな悪路もあった。

アルプス展望台という標識があって、左手に階段があったが、この天候では何も見えなさそうなので、登ってみることもしなかった。

スミレや大ミズホウズキなどの花に癒されながら歩いていたら、ふと見たら木々の向こうに建物が見えて来た。着いたー!しかし建物をぐるっと回らないと入口に出なかった。

その前にベンチの置かれた広場から高谷池が見えた。

ともあれ、13:30に私たちは宿にたどり着いた。後続の仲間は間違えるようなところはないし、まあ、1~2時間後くらいには着くだろうと思った。宿の前のコバイケソウとシラネセンキュウ?

それで宿でカップラーメンの食事をとった。リーダーはレインウェアの下が汗で冷えてしまったらしく、上は着替えていらっしゃったが、下は部屋に入らなかったので着替えていなかった。後続の人たちが付いたら一緒に案内すると言われたのだった。後で分かったのだが、食堂の向こう側に更衣室があったのにね。

それで、友人たちのことも心配しながら、食事して少し待っていたが着かないので、花畑のある天狗の庭まで15分位だし緩いコースと言われて、行ってみようと歩き出したのだが、リーダーは冷え切って寒そうだったので、岩が出てきて登らないとならない場所から戻ってきてしまった。それでハクサンコザクラを見ることができなかった。

道々キヌガサソウの群落がみられた。

サンカヨウもまだこの辺はきれいだった。

戻って、先に部屋を案内していただき、リーダーは着替えた後ホカロン付けて少し休まれた。薄いインナーシーツはかけたのだが、布団の中にあった毛布を掛けて差し上げなかったことを後で後悔した。疲れると頭が働きません。

私は山小屋の前の池のふち近くに出た。ハクサンコザクラが見えるところがあると言われたのだったが、ロープの内側からでは見えなかった。

ミヤマキンバイらしい花が見られた。

イワイチョウ

テント場の水場

ここの水は煮沸しないと飲めないそうだ。山小屋でも手洗いなどの水は飲めないと言われて、一本400円の水(冷やしてあるのは450円)を買わないとならなかった。後で分かったのは、自炊室と書かれたところにお湯とインスタントコーヒーなどが置かれていて、一杯200円とあったが、宿泊者がお湯を300cc程度頂く分には無料だった。お茶やスポーツドリンクなどの飲料は500円。

しかし説明も何もなかったので、もうちょっと案内を表示しておいてほしかった。

その後私は友人たちを迎えに行こうか?でももしかしたら引き返したのかも?と思ったり、迎えに行くにしても、リーダーは寝ているし、この辺は熊が出るというし、1人では怖いし、ということで小屋のそばで待機したりしていた。

到着した人に、様子を聞いたりしたが、3人組は見たけれど、2人連れは見かけなかったという方もいらして、ますます不安になってしまった。

そうしているうちに、「至急お伝えしたいことがあるから折り返して電話して」というSMSが偶然入った。16:27 だけど電話しても出ない。すぐに切断されてしまう。電波が入らないのだ。

寝ているリーダーにこんなメールが入ったけれど、どうしたらいいかしら?と相談しようと起こしたら、起き上がろうとして、「ビニール袋」と言われて慌てて渡したとたんに吐いてしまった。幸い、全部ビニール袋に受け止められたけれど...

ということで困って、宿の方にメールを見て頂いて、何とか電波の通じる場所を、と宿の外側の小山や何かを登ったり降りたりして、外階段の上に登って行ったら、若干電波の入るところがあったが、相手からの返事はなかった。

いよいよ行動不能になったのかなと思って、救助要請しないとダメでは、と、お話して、1人の方が見に行ってみましょうとおっしゃってくださって、準備している間に、彼らが到着したのだった。17時を少し回っていた。救助要請は原則本人たちからでないと救助隊は動けないそうだ。

到着した時、友人が、山パートナーの方のザックを抱えていて、いよいよ歩けそうになくなって、荷物を彼女が前後に背負ってきたのだそうだ。火事場の底力なのだろう。無事に到着して良かったけれど、もっと何とか連絡着くよう全力で対応してほしかったと思った。

何しろ宿には衛星電話もなく、ごく一部で一瞬電波が入って、SMSやラインが入ってくるだけ。電話はできなかったのだ。友人の携帯が充電切れとは言え、何とかメールを送る方法はなかったのだろうか?と腹立たしくもあった。

山に行く前にはきちんと充電しておかないと命取りになりますね。彼女の山パートナーのメールに、もう少し具体的な高度とか病状とか書いてあればね...ヤマレコで30分おきに高度を通知してきていたから、高度が判れば大体の場所が分かったのだが。

続きはまた。

 

 

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成城6丁目界隈を徘徊2023.7.2

2023-07-02 | 日常

今日は先日ミニクラス会をした小学校時代の友人が進学した学校の同窓生との合同のアート作品の合同展をなさるというので、成城6丁目の会場に、その学校の卒業生でもある叔母を誘って、暑い中出かけて行った。展覧会が明日までだったが、明日は仕事があって行かれないので。

叔母は自宅近くを走っている循環バスで、成城ホールの所に来てくださった。私の方が遅くなってしまって、暑い中待っていて大丈夫かなと思ったら、幸いいビルの中に入って待っていたので一安心。

さすがに80代半ばなので歩く速度は遅くなっていたが、足取りはしっかりしていた。成城学園の脇の緑陰を歩き、亡くなったもう一人の叔母が卒業した成城学園の正門前を通り、桜並木を辿って、その2本先を左折したのだが、なかなか予定の場所に着かなかった。

その間に立派な邸宅のお庭や駐車場などを拝見しながら歩いた。素敵な芝生のあるお宅や、木々が森のようになったお屋敷などもあったが、細分化されて建売やマンションらしい所も見られた。

実際にはもっと手前を駅の方に曲がらなくてはならなかったらしく、あまり木陰のない場所をワンブロックか2ブロックくらい大回りしてしまった。

案内図にあったギャラリーに着いたのはほぼ12時、10分位のつもりが大仕事になってしまった。すぐに持参なさっていたお茶を飲んで頂いたが、熱中症大丈夫だったでしょうか?

展示会はなかなか興味深く、友人の油絵もなかなか立派だった。油絵や水彩画、植物画の方やエッチングの作品、陶芸品の他、珍しかったのがエッグアートで、色々な鳥の卵を使っての細密な装飾品の数々、根気のいる作業。80代だという作者のエネルギーにびっくりしました。

中庭では、石に活けこんだ草花か寄せ植えが良く分からなかったが、植物が並んでいたが、暑いし混みあっていたので拝見しなかったが、ホタルブクロの花が目立っていた。

疲れている叔母を早く喫茶店にでもお連れしたかったが、近くに喫茶店が見当たらず、結局駅前に出て、母親が時たま寄っていた風〇堂に寄った。最初は涼しくてほっとしたが、ゆっくり出てくるランチを待つ間にだんだん涼しくなってきて、叔母にはちょっと寒かったらしい。日焼け止めに羽織っていた上着をかけてもらって、何とかやり過ごしたけれど、冷たい紅茶を頼んで失敗だった。冷房が効いていたら、高齢者には、暖かいものが良かったですね。

若い人はかき氷を頼んでいる人もいたけれど...

ということで軽食を食べてから、バス乗り場まで付き添って、見送ってから帰宅した。

電動自転車の電池が余りなくて、成城まで行くと帰りが電池切れになりそうだったので、今日は電車で移動した。

暑い中だったので、無理しないで良かったです。叔母が大丈夫だったか、明日電話しないとね。残念ながら緑陰の写真等、一切撮りませんでした。

 

 

 

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成城6丁目界隈を徘徊2023.7.2

2023-07-02 | 日常

今日は先日ミニクラス会をした小学校時代の友人が進学した学校の同窓生との合同のアート作品の合同展をなさるというので、成城6丁目の会場に、その学校の卒業生でもある叔母を誘って、暑い中出かけて行った。展覧会が明日までだったが、明日は仕事があって行かれないので。

叔母は自宅近くを走っている循環バスで、成城ホールの所に来てくださった。私の方が遅くなってしまって、暑い中待っていて大丈夫かなと思ったら、幸いいビルの中に入って待っていたので一安心。

さすがに80代半ばなので歩く速度は遅くなっていたが、足取りはしっかりしていた。成城学園の脇の緑陰を歩き、亡くなったもう一人の叔母が卒業した成城学園の正門前を通り、桜並木を辿って、その2本先を左折したのだが、なかなか予定の場所に着かなかった。

その間に立派な邸宅のお庭や駐車場などを拝見しながら歩いた。素敵な芝生のあるお宅や、木々が森のようになったお屋敷などもあったが、細分化されて建売やマンションらしい所も見られた。

実際にはもっと手前を駅の方に曲がらなくてはならなかったらしく、あまり木陰のない場所をワンブロックか2ブロックくらい大回りしてしまった。

案内図にあったギャラリーに着いたのはほぼ12時、10分位のつもりが大仕事になってしまった。すぐに持参なさっていたお茶を飲んで頂いたが、熱中症大丈夫だったでしょうか?

展示会はなかなか興味深く、友人の油絵もなかなか立派だった。油絵や水彩画、植物画の方やエッチングの作品、陶芸品の他、珍しかったのがエッグアートで、色々な鳥の卵を使っての細密な装飾品の数々、根気のいる作業。80代だという作者のエネルギーにびっくりしました。

中庭では、石に活けこんだ草花か寄せ植えが良く分からなかったが、植物が並んでいたが、暑いし混みあっていたので拝見しなかったが、ホタルブクロの花が目立っていた。

疲れている叔母を早く喫茶店にでもお連れしたかったが、近くに喫茶店が見当たらず、結局駅前に出て、母親が時たま寄っていた風〇堂に寄った。最初は涼しくてほっとしたが、ゆっくり出てくるランチを待つ間にだんだん涼しくなってきて、叔母にはちょっと寒かったらしい。日焼け止めに羽織っていた上着をかけてもらって、何とかやり過ごしたけれど、冷たい紅茶を頼んで失敗だった。冷房が効いていたら、高齢者には、暖かいものが良かったですね。

若い人はかき氷を頼んでいる人もいたけれど...

ということで軽食を食べてから、バス乗り場まで付き添って、見送ってから帰宅した。

電動自転車の電池が余りなくて、成城まで行くと帰りが電池切れになりそうだったので、今日は電車で移動した。

暑い中だったので、無理しないで良かったです。叔母が大丈夫だったか、明日電話しないとね。残念ながら緑陰の写真等、一切撮りませんでした。

 

 

 

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