昨日は以前もたどった、大昔住んだことのある、和泉町から和田堀公園、そして大宮八幡まで歩いた。
暖かいかと思ったら、結構北風が冷たかった。
まずは昔弟たちが境内特にお墓の方で遊んでいたお寺。
横の坂を上ると途中に鐘撞堂が見えた、本堂もかな。その裏がお墓だったと思う。昔花まつりの時に行って、もしかしたら甘茶を頂いたかもしれないが、どんな味だったか覚えていない。今もやっているのでしょうか?
お墓の境の部分。古い桜の木が今もあるようだ。小さいことは大木に感じたけれど。塀も大昔のままかしら?
それから道路の反対側の熊の神社に行った。受験生の親子らしい人たちがお参りしていた。
神田川寄りの鳥居
それから少し歩くと小さな貴船神社がある。
左側の水がほとんどない池がある。氷が張った池で遊んだことを思い出す。落ち葉がたくさん沈んでいた。
なおも進むと東電の変電所のあたりにでて、小学校の方に出た。
小学校の正門側の方から、和田堀公園に入る。
入ってすぐに古墳を思わせる丘があるが、人口の丘だろうか?特に表示はなかった。
そこから済美山自然林の方に行こうかと思って、立派な陸上競技場にでた。
学生らしい人たちがランニングの練習をしていた。子供たちも遊んでいた。貸し切りでない限りは誰でも利用できるようすだった。
競技場を回り込んでしまって、自然林は遠くなって、民家の中を歩くと荒玉水道に出たが、そこは大宮八幡への参道と別れていたので、参道の方に進んだ。
途中、鞍掛の松の幟が立っている一本の松が電柱の脇に立っていた。頼朝か義家かが、馬の鞍をかけて休憩したといういわれのある松らしい。ビルの合間で目立ちませんが。
まもなく大宮八幡宮の鳥居が見えた。
和田堀池の北側の方にある松の木古墳まで足を延ばしたかったけれど、もう時間が遅くなってしまいそうだったので、そのまま帰途についた。松の木古墳は、小学校の遠足で、当時、田んぼにパラチオンを撒いたから近づかないようにロープが張られている横を歩いて行ったことを思い出す。パラチオンは昭和46年には毒性が強いために禁止されたそうだ。私たちの小さい頃は大手を振って使われていたのですね。だから田んぼから昆虫などが消えてしまった時代でした。
ともあれ、懐かしい場所の写真を撮りながら、のんびり歩いてきました。
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