たんなるエスノグラファーの日記

エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために

悲しきグレートハンター

2006年06月02日 10時43分11秒 | 人間と動物
プナン人のロングハウスの通廊では、10歳前後の学齢期の少年少女がたえずブラブラしている。プナン人が通う小学校の先生が言った。「プナン人の子どもは、やがて学校に来なくなる。小学校さえ卒業することはほとんどない」と。プナン人は、将来のことを考えて、子どもたちに教育を与えて、知識を身につけさせるということをしない。「プナンは、今日のことしか考えない。明日のことを思い描いて生きているのではない」これは、プナン人が抱える問題を指摘する周辺の民族の知識層の一致した見方である。食材や消費財についても、なくなったらなんとかする、なんとかなるだろうという考えが支配的である。実際、なんとかなるかどうかは、その場の状況次第であるが。彼らの現金収入の主なものは、木材企業から毎月支払われる賠償金である。彼らの土地の樹々を商用に伐採することに対して払われる金を、彼らはつねにあてにしている。プナン人にとって、金は、他者から与えられるものであり、なければ借りるものである。あれば使い、なければ次回貰える見込みを担保にして、借りようとする。プナン人は、私のところにも、よく金を融通してほしい、貸してほしいとやってくる。そのようなプナンの生活態度に対して、当初、私は、戸惑いや居心地の悪さを感じた。1ヵ月半ほど一緒に暮らしてみて、私は、プナン人は、小学校の先生が言ったように、その日を生きることに、大きな価値を置いているように感じる。彼らにとって、それ以外のことは、たいして重要なことではないのかもしれないとも思う。彼らの現行の生活にとって、とくに必要がないがゆえに、学校教育は重視されないのではないか。豊かな周辺環境(森林産物、賠償金支払)を甘受するあまり、明日のことに思い至らないのではないか。それが、1960年代に州政府の政策に応じて、ジャングルでの遊動(ノマド)生活を捨て、川沿いの村に定住したプナン流の現在の生き方なのである。私が感じたように、近代的な価値基準から見れば、プナンの生活は、不安定で、ぎこちなく思えるのかもしれない。当のプナン人たちは、それをよしとしているのだろうか。複雑なのは、後発で近代へと参入したプナン人たちも、自分たちは、未来志向的でなく、現代社会に適応できてない、なんとかしたいともがいていることである。その点に、現代社会を生きるプナン人たちの深い苦悩があるように思える。

他方で、そのようなプナンの人びとが、いきいきと輝いて見えるのは、彼らが、ジャングルにハンティングに出かけるときである。近隣の諸民族(クニャー人、スピン人)は、4WDの自家用車にプナン人たちを乗せて、人があまり入らない、村々から遠く離れたジャングルにまで連れて行くことがある。狩猟した獲物を持ち帰って、村人に売り、ガソリンや銃弾などの諸経費を差し引いて、同行者の間で儲けを山分けするためである。そのとき、プナン人は、グレートハンターとして、一目置かれる存在となる。プナン人のハンティングの技量や能力、ジャングルでの生活知識には、周辺民族のそれらははるか遠く及ぶことがない。私が一度同行した、2泊3日の狩猟行のメンバーは、スピン人1人(車提供者)、クニャー人1人、プナン人の夫婦と2人の子ども、プナン人男性2人であった。2人のプナン人が、4回の狩猟で、シカ1頭とイノシシ2頭をしとめてきた。プナン社会では、銃を持ち、吹き矢を抱えて狩猟の身支度を整えたハンターたちに対して、声をかけることは控えなければならないとされる。プナン人のハンターたちは、何気なく、物静かに、ジャングルの中に入っていく。彼らは、動物の足跡があるかどうかを目で確認する。たくさんあればそのあたりを追い、なければ樹上のサル類を狙う。目と耳を使って、ジャングルの中を進んでいく。人間が、一方的に目と耳を使うだけではない。動物も、つねに目と耳を凝らしている。ハンターたちは、動物の目に触れないように、耳に届かないように、身をひそめ、物音を立てないように注意する。立ちはだかる木々を乗り越え、身を低くしながら、進まなければならない。動物は、人間の匂いに対して敏感だという。獲物に人間の匂いを嗅がせないように、風を感じて、風上に向かって道を取ることが大事だともいう。獲物がしとめられた場合、それは、すぐさま解体される。肉や内臓や血を、煮たり、燻したり、炒めたりして、サゴやご飯と一緒に食べる(一部を持ち帰る)。それは、プナンにとって至福のひとときである(プナンだけでなく、人類にとって、獲れたての動物を、その場で解体して食べるのは最高の贅沢にちがいない)。その狩猟行では、鹿肉は、村に戻る前に、同行者でほぼ食べつくしてしまった。猪肉1頭分は、村に持ち帰ったときには、腐りかけていて、売れないと判断され、同行者の間で山分けにされた。残りの1頭の猪肉を売ったが、ガソリン代などの諸経費と相殺されて、今回の狩猟行では、結局、儲けは出なかった。(動くのが不思議なくらいオンボロな)車のオーナーであるスピン人は、現在、車を自家修理中である。修理が済んだら再びプナン人のハンターたちを誘って、狩猟に出かけたいと言っている。

現代社会の中で苦悩する存在としてのプナン。たぐい稀なるハンティング・スピリットと技能をもつ森の民としてのプナン。彼らには、相異なる二つのプロフィールがあるように思える。

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