たんなるエスノグラファーの日記

エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために

『日本の大転換』

2011年10月22日 23時36分56秒 | 自然と社会

「3.11.以降」に対する私の思い付きは、先住民や我々の祖先の考え方を称賛する一種のロマンティシズムかもしれない。http://blog.goo.ne.jp/katsumiokuno/e/77fe92d594b936accaad3dae93771da1

中沢新一著『日本の大転換』(集英社新書)を読むと、そんなふうに思えてくる。

震災を原発というエネルギー形態の災禍の枠のなかに捉えて、それを
用いて暮らす現代人の「経済」まで視野に収めて、乗り越えを考えてみるという行き方はひじょうに魅力的である。

原子力によるエネルギーは、太陽圏という生態圏の「外部」の高エネルギー現象を生態圏の「内部」に持ち込む技術である。それは、生態圏にとって「外部」の超越神を自立的に生態圏に介入させることによって成立した一神教思考とパラレルだという。他方で、生態圏では、抽象的な商品経済や経済の合理性の精神が、その内部を貫いて、現実との間にノイズを生み出している。原子力発電は、これまで、そうしたグローバル型の資本主義によって担われてきた。

原発事故は、資本主義的な小手先の知性でブレイクスルーできるようなものではない。原発から自然エネルギーへの転換は必要であるが、それを、たんにビジネスの話で終わらせるべきではない。必要なのは、強力なビジョンを用意しておくことである。人が原子炉をコントロールし、自前で、富の源泉を確保できたという思い込みは、太陽や自然からの「贈与の次元」を失うことであった。もしそうであるならば、原子力開発に続く「第八次エネルギー革命は、原子力発電からの脱出をめざすとともに、人類の思考のうちにこれまで長いこと隠されてきた贈与の次元をよみがえらせる運動でもあるのだ」。

原発事故は、資本主義経済の今日の深刻な行きづまりに関わっているというのが、どうやら、大枠で議論の底にあるようだ。中沢さんは、「フュシス(自然)」+「クラティア(管理)」としての「フィジオクラシー(重農主義)」を構想したケネーの経済学に、未来を開く鍵があると述べて、現在、著作を準備中だという。


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