たんなるエスノグラファーの日記

エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために

『いのちの食べかた』

2010年11月10日 11時11分28秒 | 人間と動物
これは、女が蛇に犯される民話を聞いて、そんな話が宇治拾遺物語にもあるねえと言っていた、何でも知っているI先生に教えてもらった。

ニコラウス・ゲイハルター監督作品 『いのちの食べかた』

http://www.youtube.com/watch?v=EmZk-Lwl2Uk


母が、涎を垂らしている牛を見て、牛乳を飲めなくなったため、その影響で、わたしは個人的に乳製品が苦手であるが、そんなことは措くとして、牛乳がどのように搾られて、わたしたちの食卓に届けられるのか、わたしには想像できない。搾乳人が乳を搾っているのかどうか、いまはどんなふうにやっているのか、考えてみたこともなかった。この映画を見ると、乳牛にチューブをつけて、機械的に搾乳しているということが分かった。解説書を読むと、「この牛舎ではロータリーパーラーを利用して効率的に搾乳している。これだと、牛が乗る床が回転するので、搾乳者が一箇所にいて作業することができる」とある。知らなかった。

知らないがゆえの大きな驚きは、牛の屠畜場面である。連れてこられた牛は、首から先だけをこちらに向けて突き出す。強い力で押さえつけられた状態で、屠畜人が現れる。頭部に衝撃を与えて、牛を失神させ(写真)、まだ心拍がある状態で吊り下げられる。その段階では、血液はまだ固まっていない。一気に腹が裂かれて、大量の血抜きが行われる。胃液などの内容物も、同時に鼻や口から排出されるシーンが、この映画のなかにも出てくる。

口蹄疫の感染騒動で話題になった種牛。この映画では、牛の種付けがどのように行われるのかの一端を見ることができる。種付けは、雄牛と雌牛の交配によってなされるのではない。優秀な種牛から精子を横取りして、雌牛に人工的に授精させられるのである。発情した雌牛に後背の位置から圧し掛かろうとするする雄牛の陰茎に人工膣をあてがって、精子が採取される様子が紹介される。

元気な豚たちは、どんどんとベルコンベヤのなかに送り込まれ、出てきたときには、体毛が焼き削がれて、片足を吊るしあげられた姿になっている。腹部の脂肪分はバキュームで吸い取られ、食べられない部位である足が切り落とされる。サケもまた、漁船からホースで加工工場に送り込まれ、仰向けにベルトコンベヤで運ばれて、機械で腹を裂かれるさまが映し出される。孵化したヒナ(ヒヨコ)が、ベルトコンベアで運ばれるさまは、ある意味で、壮観である。ピヨピヨとは鳴いているが、黄色い物体が流されていると言ってもいいかもしれない。

この映画を見て、わたしたちの日々の糧("Our daily bread"というのが、映画の原題)であるわたしたちの食料が、どのように生みだされるのかということに関して、わたし(わたしたち)は、ほとんど何も知らないということが分かった。とりわけ、牛肉、豚肉、鶏肉、魚肉についていえば、それが低価で安全な食べ物であることに、工場畜産の果たす役割が大きい。わたしたちの食生活は、今日、工場畜産なしにはありえない。そうした現況を踏まえた上で、わたしたちは、工場畜産のベースにある、人間以外の存在を死せるマテーリア(モノ)として見る西洋の自然観を、はたして、一方的に非難することができるのであろうか。

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