落葉松亭日記

ニュース・評論スクラップ、凡夫の日々雑感、山歩記など

トランプ 3

2016年05月30日 | 政治・外交
米国のトランプ熱は本物らしい。
宮崎正弘の国際ニュース・早読み」平成28年(2016)5月30日(月曜日)弐 通算第4912号 
http://melma.com/backnumber_45206/

トランプへの熱気、熱狂は本物だった
  クリントン候補に勝てるとする世論調査が圧倒的に


 ちょうど伊勢志摩サミットとオバマ大統領の広島訪問というビッグニュースの期間、アメリカにいた。
日本にいると分からないアメリカの空気、人々の臭い、現場でしか感じられないことがある。
とくに日本の新聞報道がおかしいと日頃から感じている者にとっては現場を見ないことにはなんともならない。

 移民、男女差、イスラムへの偏見、TPP反対、環境協定離脱、中国製品への課税など、荒々しいスローガンを並べたため、ヒスパニック、チカノの反感は根強く、またアジア系移民、ムスリムの多くはいまもヒラリー支持を鮮明にしている。
しかしリベラル派の若者たちは大学授業料無料をさけぶサンダースへあつまり、民主党の分裂状態は、共和党より劣悪である。ひょっとしてサンダースは民主党大会で指名を得られない場合、独立党から出るのではないかという不安を口にするひとも増えた。

 たしかにオバマの広島訪問はニューヨークタイムズも、ウォールストリートジャーナルも一面トップで報じていたが、テレビニュースをみていると、真っ先に映し出されるのがトランプの動向、ついでヒラリーとサンダースである。
 順番が変わっているのだ。
 おりしも5月25日あたりからアメリカの各世論調査は、トランプがヒラリーとの差を縮めたばかりか、「逆転した」と報じた。熱狂ぶりが異なるのである。ヒラリーはサンダースの猛追にくわえてのFBI聴聞が報じられ、ほぼ「失速」気味である。

 トランプの選挙本部はNY五番街57丁目の摩天楼=トランプタワーだが、テレビの中継車がビルの前に何台も常駐しており、その周りをパトカー。そして常に群衆があつまって騒いでいる。
 一方、ヒラリーの選挙本部はNYクイーンズのピエールワン・プラザビルにあるのだが、行ってみても、周囲に人影もなく、ポスターさえない。
サンダーズ本部はバーモント州である。

 そしてトランプは政治資金の献金を本格的に開始し、集金パーティを連続開催、それもトランプと並んでの記念写真は25000ドル!!
 町では顔がくるくる動くトランプ人形が売り出され、40ドルもするのに飛ぶような売れ行きだ。
ところがこの人形、老舗バーニー社のデザインだがメイドイン・チャイナなのはご愛敬。書店にいけば、トランプ自伝を含め、関連書籍が十種もでているうえ、TIMEが別冊のトランプ特集号(14ドル99セント)を出した。
他方、ヒラリー本は本人の自伝一冊、サンダース本は見あたらなかった。どうやらトランプ現象、一時的ではない。奔流になりそうな勢いと見た。

 TIMEが書いた。
 「1950年の失業率は40%台だった。十年後に4・5%に改善され、多くの家庭では購買力が30%近く伸びたことを実感できた。2008年に起きたリッセッションから、ようやくアメリカ経済は持ち直したが、この間に所得が31%増えたのは僅か1%の富裕層でしかなく、残り99%は、所得が0・4%増に留まった」(同誌、16年5月30日号)。
 トランプを支持する75%のアメリカ人は「所得格差の是正」とその理由に挙げている。

移民、有色人種への偏見、男尊女卑傾向が見え見えのトランプ。
もし当選すれば白人優位政策へ先祖返りの虞がある。
日本には「自分のことは自分で守れ、核も持っていいぞ」と主張する。
米国全体では白人が八割だが、カリフォルニア州のように非ヒスパニック系アメリカ人が過半数を割ったところもある。これがトランプが支持されるゆえんだろうか。
「加瀬英明のコラム」メールマガジン 2016年5月27日
http://www.kase-hideaki.co.jp/magbbs/magbbs.cgi

トランプ現象にはやくもオタオタ
私は日本を守るために、外務省を解体して、建て直したほうがよいと思う。

この2月に、日本人が委員長をつとめる国連女性差別撤廃委員会が、日本が十数万人のアジアの無辜の娘たちを拉致して、性奴隷となることを強いたという、怪しげな報告書を発表した。
報告書は皇位の男系による継承も、差別として非難していたが、さすがに外務省が強く反発したために、削除された。
日本が女狩りして性奴隷としたという誹謗は、1992年の河野官房長官談話に端を発しているが、外国政府や、国際機関が繰り返すごとに、日本が非道な国だというイメージが、世界に定着してきた。

これは、由々しいことだ。日本が万一、危機に陥ることがあった場合に、国際社会から援けてもらわねばならないが、日本がおぞましい国だとなったら、誰も救おうとしないだろう。
この国連委員会の委員長は、福田康夫内閣の時に外務省が国連に推選して送り込んだ女性活動家で、それまでは政府の男女共同参画社会の推進役をつとめていた。
あるいは、国連人権関連委員会が2008年から14年まで、4回にわたって、沖縄住民が日本における少数民族であり、日本民族から迫害を蒙って、人権、言葉、文化などを奪われてきたという報告書を発表して、是正するように勧告してきた。外務省は一度も反論せず、撤回を要求することもなかった。

中国は沖縄を奪おうと狙って、中国国内に琉球共和国(憲法、国旗も発表)政府が置かれ、沖縄住民が中華民族であると唱えてきた。このような国連委員会の勧告は、中国を力づけるものだ。
沖縄住民は疑いもなく、日本人だ。沖縄方言は、さらに本島南部、北部、宮古、八重山、南奄美、北奄美など、多くの方言に分かれるが、日本語である。

この突飛だとしかいえない、国連委員会の勧告のもとをつくったのは、日本人グループであって、外務省の多年の御用(ペット)学者の武者小路公秀氏が理事長をつとめる、「反差別国際運動」が中心となった。
武者小路氏は金日成主席以来、北朝鮮を礼讃してきたことによっても知られるが、1976年には外務省の推薦によって、東京の国連大学副学長に就任している。
今年4月に、沖縄選出の宮崎政久議員(自民党)が衆院内閣委員会で、この国連委員会の勧告について質問し、木原誠二外務副大臣が政府として撤回するように働きかけることを、はじめて約束した。

相手国の代弁者たち

このような例は、枚挙にいとまがない。外務省は多年にわたって、日本を深く傷つけてきた。
日本とアメリカの外務省と国務省には、奇妙な共通点がある。日本の外務省は、別名「霞ヶ関」と呼ばれる。

国務省はホワイトハウスと、ポトマック川のあいだにある。ワシントンはアメリカが独立した直後の1800年に、湿気がひどい泥地に建設されたが、国務省がつくられたところは、とくに霧が立ち籠めるために、「フォギー・ボトム」(霧の底)と呼ばれてきた。

もう一つの共通点は、両国とも外交官が他の省庁から嫌われていることだ。
霞も霧も、大気中に漂う微細な水滴であって、視界を曇らせる。アメリカでも、国務省のキャリアの外交官は、外国贔屓となって国益を忘れやすいといって、胡散(うさん)臭い眼で見られている。
外交官の宿痾か、職業病だろうが、ある外国を専門とすると、その国に魅せられてしまうことだ。
その国の代弁者になる罠に、落ちる。
もし、私がある南洋の新興国の文化と言語に打ち込んで、外交官となったら、きっと首狩り習俗や、食人習慣まで含めて、その国に強い親近感をいだくことになろう。その国に気触(かぶ)れてしまい、日本の国益を二の次にするようになる。
わが外務省にも気の毒なことに、国籍不明になった犠牲者が多い。

もっとも、日本の外務省のほうが、病いが重い。
日本が犯罪国家だという幻想にとらわれて、謝罪することが、外交官のつとめであると、思い込んでいる。
中国、韓国を増長させて、日中、日韓関係を悪化させてきた。責任は外務省にある。
外務省員の多くの者が、日本に誇りをいだくことが、まったくない。
外交研修所における教育が、悪いからだろう。

1992年8月に、宮沢内閣が天皇ご訪中について、有識者から首相官邸において個別に意見を聴取したが、私はその1人として招かれた。
私は「陛下が外国に行幸(ぎょうこう)されるのは、日本を代表してその国を祝福されるためにお出かけになられるものだが、中国のように国内で人権を蹂躙(じゅうりん)している国はふさわしくない」と、反対意見を述べた。
その前月に、外務省の樽井澄夫中国課長が、私の事務所にやってきた。「私は官費で、中国に留学しました。その時から、日中友好に生涯を捧げることを誓ってきました。官邸にお出掛けになる時には、天皇御訪中に反対なさらないで下さい」と、懇願した。

私が中国の人権抑圧問題を尋ねると、「中国に人権なんて、ありません」と、悪びれずに言ってのけ、水爆実験をめぐる問題についても、「軍部が中央の言うことを、聞かずにやったことです」と、答えた。
私が「あなたが日中友好に生涯を捧げるというのは個人的なことで、日本の国益とまったく関わりがないことです。私は御訪中に反対します」というと、悄然として帰っていった。
外国の代弁者になってしまう、不幸な例だった。

理路整然たるバカ

私は41歳のときに、福田赳夫内閣が発足して、第1回福田・カーター会談を控えて、最後の詰めを行うことを頼まれた。首相特別顧問の肩書きを貰って、ワシントンに入った。
私はカーター大統領の後見役だった、民主党の元副大統領のハンフリー上院議員や、カーター政権の国家安全会議(NSC)特別補佐官となった、ブレジンスキ教授と親しかった。
内閣発足後に、園田直官房長官から日米首脳会談に当たって、共同声明の“目玉”になるものがないか、相談を受けた。

私は園田官房長官に“秘策”を授けた。日本はこの時に、すでに経済大国となっていたが、日本のマスコミが、毎年「一人当たり所得ではベネズエラ以下」と報じていた。
私は日米共同声明でカーター大統領に「日本は国連安保理事会常任理事国となる資格があり、支持するといわせることができる」と、いった。
総理も「それだ」ということになった。

そのうえで、山崎敏夫アメリカ局長と会った。
すると「そのようなことが、できるはずがありません」と、冷やかにあしらわれた。
私は首脳会談へ向けて、両国が打ち合わせた記録――トーキング・ペーパーを見せてほしいと求めたが、峻拒された。
「役割分担でゆきましよう」と促したが、木で鼻を括(くく)ったような態度で終始した。
トーキング・ペーパーのほうは、発つ前に鳩山威一郎外相に見せてもらって、凌(しの)いだ。
私は総理一行がワシントン入りした前日に着いて、ホワイトハウス、国務省、国防省などをまわった。出発前に電話で話をまとめていたから、念押しのようなものだった。
翌日、ホワイトハウスの前にある迎賓館(ブレアハウス)で、総理一行と合流して、首尾よくいったことを報告した。

福田カーター会談の共同声明では、私の献策が目玉になった。

私は2つの内閣で、園田外相の顧問として、アメリカにたびたびお伴した。園田外相は“ハト派”で、私は“タカ派”だったが、妙に気が合った。園田氏は外務官僚を「理路整然たるバカ」と、呼んだ。

占領以来の大罪

最後に首相特別顧問の肩書きを貰ったのは、中曽根内閣だった。私の外務省とのおつきあいは、長い。
外務省には、日本が占領下にあった時代から、大罪がある。
ニューヨークのマンハッタンに本部がある正しくは「連合国」と呼ばれる「ジ・ユナイテッド・ネーションズ」を、意図的に「国際連合」と誤訳してきたことだ。「国際連合」と誤訳することによって、日本国憲法と並んで、戦後の日本国民の世界観を大きく歪めてきた。
「国際連合」と誤まって呼ぶ「ジ・ユナイテッド・ネーションズ」は、日本が連合国を相手にして、まだ戦っていた昭和20(1945)年6月に、サンフランシスコにおいて創立された。
外務省が「国際連合憲章」と誤訳している「チャーター・オブ・ジ・ユナイテッド・ネーションズ」が、この時、日本と戦っていた51ヶ国の原加盟国によって調印された。
世界のなかで日本ほど、国連に対する憧れが、強い国はない。
だが、困ったことに、「国際連合」という国際機構は、世界中どこを捜しても存在していない。

今日でも「国連憲章」は、外務省による正訳によれば、「われら連合国の人民は‥‥」と始まっている。原文は「ウィー・ザ・ピープルズ・オブ・ジ・ユナイテッド・ネーションズ‥‥」だが、「連合国」と正しく訳されている。
ところが、「ザ・チャーター・オブ・ジ・ユナイテッド・ネーションズ」を、「国際連合憲章」と訳している。同じ言葉であるのに、奇妙だ。
「ジ・ユナイテッド・ネーションズ」の正しい名称は、「連合国」なのだ。

ヒラリー頼みの外務省

連合国の公用語である中国語では、「ジ・ユナイテッド・ネーションズ」は「連合国(リエンホーグオ)」だし、南北朝鮮も「連合国(ヨナプグク)」と呼んでいる。同じ敗戦国のドイツでも戦った相手である「ディ・フェアインテ・ナツィオネン」(連合国)であり、イタリア語でも「レ・ナツィオニ・ウニテ(連合国)」だ。
「ジ・ユナイテッド・ネーションズ」という呼称が、連合国を指す言葉として採用されたのは、日本が真珠湾を攻撃した翌月の1月1日のことだった。この日、日本、ドイツ、イタリアなどと戦っていた26ヶ国の代表がワシントンに集まって、「連合国宣言」を発した。
ルーズベルト大統領がこの会議で演説し、日本や、ドイツと戦っている同盟諸国を、「ジ・ユナイテッド・ネーションズ」と呼ぼうと、提案したことによった。

日本は3年8ヶ月にわたって、「ジ・ユナイテッド・ネーションズ」、連合国を敵として、戦ったのだった。日本の都市に国際法を踏躙して絨毯爆撃を加えて、非戦闘員を大量に殺戮し、広島、長崎に原爆を投下したのも、「ジ・ユナイテッド・ネーションズ」の空軍だった。
今日、日本で定着している国連という名称を用いるなら、国連の空軍が非人道きわまる爆撃を加えたのだった。

“国連”が結成された時に憲章によって、加盟資格について「すべての平和愛好国」と規定されたが、日本、ドイツなどの枢軸国に対して宣戦布告していることが、求められた。
そのために、今日でも“国連憲章”に「敵国条項」がある。
外務省も、朝日新聞をはじめとする新聞も、敗戦後の昭和20年10月までは、“国連”を「聯合国」と正訳していた。
「国際聯合」にすり替えたのは、「聯合國」だと、国民が占領軍に敵意をいだきかねないために、戦前の「國際聯盟」をもじって、そう呼び替えたのだった。
都心の青山通りに面して、外務省が多額の国税を投入して誘致した、「国連大学」が聳えている。だが、「連合国大学」であったとしたら、誘致したものだろうか。

「国際連合」と呼んできたために、“国連”を「平和の殿堂」のように崇めている者が多い。
日本国憲法と国連に対する崇拝は、1つのものである。
もし、正しく「連合国」と訳してきたとしたら、日本において国連信仰がひろまることがなかったはずだ。
私は2005年から9年まで、朝日新聞のアメリカ総局長をつとめたK氏と、親しくしているが、ワシントンを訪れると、ホテルにたずねてくれて、朝食をとりながら、情報を交換した。朝日新聞社の奢りだった。
ある時、K氏が「日本から来る人で、あなたぐらい、ワシントンで会いたいという者に、誰でも会える人はいない」と、いった。

私はいまでも、年2回、ワシントンに通っている。

ところが、日本の外務省出身の大使館員は、ワシントンでごく狭い社会のなかで、生活している。国務省ばかりを相手にしているから、他に人脈がまったくない。
霞ヶ関の外務省では、毎朝、省員が登庁すると、全員が跪いて、ヒラリー夫人の勝利を祈っているという。ヒラリー夫人はオバマ政権の国務長官を務めたから、日本国憲法が日本に課している特殊な制約を、よく知ってくれているはずだからだ。
夫人のアジア外交のアドバイザーは、日本担当の国務次官補だったロバート・キャンベルだが、外務省が飼い馴らしてきたから、安心できる。
外務省は“トランプ現象”のようなことが起ると、対応することができずに、狼狽えるほかない。
もっとも、外務省を解体すべきだといっても、できることではない。
そこで、国民が外務省に対して向こう20年か、30年にわたって、保護観察官か、保護司となって、目を光らせて、補導するほかあるまい。