落葉松亭日記

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武田邦彦教授:『爺さんの役割』

2010年05月31日 | 世相
平河総研メルマガより
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第9章日本の若者はどこに行くのか? 【爺さんの役割】
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 「月刊日本」の2010年5月号に、渡部恒三さんに中村慶一郎さんがインタビューしている。渡部さんは言うまでもなく政界の重鎮であり、中村さんは長く記者をやられたジャーナリストだ。

 そこに、このような発言がある。

「今こそ、我々老人が、若者が希望を持てる社会を作るために、本当の意味で最後のひと汗をかかなければならない。」  まことにその通りだ。筆者も老人の一人だが、もし日本に一人の子どもも無く、筆者の世代でこの日本が地球上から消滅するなら、筆者はこの文章を書く気力もなく、ただ毎日、酒を飲んで滅亡を待つだろう。

 「命は続いている」とある書籍で書いたことがある。生物はその体を作っている材料が劣化するので、生殖細胞に託して魂を子どもに受け継ぐ。それは「自分の子ども」がいるいないだけではない。「日本人の子ども」がいれば、自分は年老いても頑張ることができる。その意味で、あまりにも当然だが次世代の価値は計り知れず、生物としてはそれだけが命をつなぐモチベーションなのだ。

 だから渡部さんの言われる「若者のために」というのは当然だが、それを政治の重鎮が口にしなければならないことが現代の日本のもっとも大きな病根と筆者は思う。

 爺さんがやるもっとも重要なことは、「若者を励ます」ということだろう。

 少しぐらいやんちゃなことをしても叱らない、常に夢を語る、少しぐらい収益が悪くても「明るい」という、どんな地方に育っても「日本をしょって立て」と言う、あまり才能が無いように見えても「偉人になれ」と励ます・・・みんな必要なことなのだ。

 高知県に安芸市という市がある。太平洋に面し、黒潮が海岸を洗い、海、田畑、山と揃っている素晴らしいところだ。

 この地に明治時代、後の三菱を作った岩崎弥太郎がいた。彼は「やんちゃ」だった。家は将来が暗かったが「そんなことは気にしなかった」。高知市からさらに室戸岬の方に車ですら1時間かかるところだから明治時代などでは安芸市から東京にでるのはそれこそ大変だったが「日本をしょって立とう」と思っていた、そして若い頃に岩崎弥太郎はそれほど「優れていた」わけでもなかった。

 では、彼がなぜ偉業を成し遂げたのだろうか? それは安芸市にみなぎる「やるぞ!」という気配だ。安芸市の山、海、そしてその地に住む人の表情、すべては「やるぞ」という気概に満ちている。

 人間は集団性の動物である。だから、一人の気迫では大きなことは出来ない。岩崎弥太郎は確かに個人として立派だったと言われるが、筆者はそうは思わない。やはり彼を作り出したのは安芸市であり、安芸の人と自然だったと思う。  爺さんがやるもう一つのことは、「誇りを持てる教育をする」ということだ。

 勉学も良いけれど、何をおいても、人間としての誇り、日本国の誇りを持てなければ、いくら勉学してもなにもならない。その点で、教育基本法の第一条(改訂前)は批判はあるけれど素晴らしい。

「教育は,人格の完成をめざし,平和的な国家及び社会の形成者として,真理と正義を愛し,個人の価値をたつとび,勤労と責任を重んじ,自主的精神に満ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない」

 戦後に作られたものなので、「国家」が抜けているのが気になる。そこで安倍首相の時に改正された。

「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」

 少し簡略化されすぎてわかりにくい気がする。それなら教育勅語の方がずっと優れている。

「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ!)ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ!)器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其!)ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ」

 2010年になっても、この教育勅語に誤りを見いだすことは出来ない。むしろ現代日本の病根がこの教育勅語を読むと良く理解できる。

(中部大学教授 工学博士)


教育勅語・現代語訳(ネットより)
教育に関する勅語

【天皇の歴史観】

 私、天皇が振り返って考えてみるに、神武天皇の建国は大変な偉業であり、歴代の天皇は道徳の確立に励まれていた。また国民も公的には忠義であり、私的には孝行であった。そんな皆が、心を合わせて美しい日本の姿をつくってきたのは、我が国の最も素晴らしい所である。教育というものも、この部分に由来しているのだ。

【国民への命令】
 国民達よ。父母を大切にし、兄弟や夫婦と仲良くせよ。友人とは信頼を持って付き合え。自分を謙虚にして、人々とは博愛の心で付き合え。

 学問を習い、技術を身に付けよ。知識を深め、そして道徳を高めるだけでなく、一歩進んで、世の中の役に立ち、世界で活躍するのだ。

 道徳や法律を尊重し、大事が起これば迷う事なく公の為に働け。

 そのようにして、天地の続く限り、永遠に繁栄する日本国をつくってゆくのだ。以上の事を実行する者は、立派な国民となるだけではなく、御先祖様が立派であったことをも証明できるのだ。

【結びの言葉】

 以上の言葉は、歴代天皇が教え伝えてきた命令である。

 私やその子孫である天皇も国民も、区別なくこれを守らなければならない。この教えは、どんな時代に当てはめても間違っておらず、どんな国に見られても恥ずかしくなく、立派な教えである。私も国民も常に心掛けて、同じように立派になるよう、切に希望する。


教育勅語・12の徳目(Wikipedia)
1.孝行 2.友愛 3.夫婦の和 4.朋友の信
5.謙遜 6.博愛 7.修業習学 8.知能啓発
9.徳器成就 10.公益世務 11.遵法 12.義勇