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資格マニアの徒然草ブログ~人生は八合目からが面白い

このブログは、すでにアメーバブログに移行していますが、9月まで並行して更新していきます。今年は百名山完登が目標です。

百名城巡り~中世と戦国の境目、湯築城

2021年12月06日 | 城郭検定資格とその活用

 四国の百名城巡り、二日目は、湯築城(ゆずきじょう)。道後温泉の宿からすぐだ。今は道後公園となっている平山城。城の歴史は古く、南北朝の時代に河野氏が築き、長曾我部氏、毛利氏などが攻め込んできて、秀吉の部下、福島正則も入ったが、やがて廃城となった。

 

 内堀から歩いて天壇に登る。平山城だから今日も登りがある。

(内堀)

(石造湯釜、河野氏が温泉の効能を書いている、貴重な文化財)

 そして、本壇へ、本壇とは本丸のような場所だが、遺跡は何も残っていない。現在は展望台が作られていて、次に行く松山城がよく見える。

(湯築城本壇から町山城を望む)

 この城の特徴は、中世から戦国時代に移る頃、城に家臣団や上級武士が住んだこと。その昔は、戦になったら砦に入って戦ったが、終わると、自宅に戻り、百姓をするのが普通だった。それが戦国時代には、城に居住するようになってきた。これが百名城に選定された要因だろうと、ガイドさんが言う。

(土塁、この城、石垣は使われていない)

(土塁の中が見れるようになっている、埼玉の古墳のようだ)

(土塁の内部、築城の様子)

 お堀に岩石と松、この景色を見ながら、武士たちは酒盛りでもやったんだろう。

(お堀に岩石と松)

(当時のゴミ捨て場、食器のかけらが大量に出てきた)

 そして、家臣団と上級武士の建物が復元されている。

(当時の復元建物)

(当時の生活の様子も見れる)

 湯築城は、その遺跡は、土塁と、堀だけが残っている中世から戦国時代のお城だ。たまにはこんなのもいいかな。

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