四国の百名城巡り、二日目は、湯築城(ゆずきじょう)。道後温泉の宿からすぐだ。今は道後公園となっている平山城。城の歴史は古く、南北朝の時代に河野氏が築き、長曾我部氏、毛利氏などが攻め込んできて、秀吉の部下、福島正則も入ったが、やがて廃城となった。
内堀から歩いて天壇に登る。平山城だから今日も登りがある。
(内堀)
(石造湯釜、河野氏が温泉の効能を書いている、貴重な文化財)
そして、本壇へ、本壇とは本丸のような場所だが、遺跡は何も残っていない。現在は展望台が作られていて、次に行く松山城がよく見える。
(湯築城本壇から町山城を望む)
この城の特徴は、中世から戦国時代に移る頃、城に家臣団や上級武士が住んだこと。その昔は、戦になったら砦に入って戦ったが、終わると、自宅に戻り、百姓をするのが普通だった。それが戦国時代には、城に居住するようになってきた。これが百名城に選定された要因だろうと、ガイドさんが言う。
(土塁、この城、石垣は使われていない)
(土塁の中が見れるようになっている、埼玉の古墳のようだ)
(土塁の内部、築城の様子)
お堀に岩石と松、この景色を見ながら、武士たちは酒盛りでもやったんだろう。
(お堀に岩石と松)
(当時のゴミ捨て場、食器のかけらが大量に出てきた)
そして、家臣団と上級武士の建物が復元されている。
(当時の復元建物)
(当時の生活の様子も見れる)
湯築城は、その遺跡は、土塁と、堀だけが残っている中世から戦国時代のお城だ。たまにはこんなのもいいかな。