ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

玩作・ヒマラヤトレッキング(2)

2013-09-03 09:15:04 | 四方山話

 

ナムチェバザールの先、プンキタンガでドゥードコシはY字形に分かれます。いわゆるエベレスト街道(ベースキャンプへの道)は右手のイムジャ・コーラに沿って北東に向かって遡ります。最初の目的地はタンボチェ。標高3876mのここにはゴンパとロッジだけで民家はありません。このゴンパはこの地方で最大のものでが、今の建物は1989年に火事で焼け1993年に再建されたものです。帰りに内部を見学させて貰いました。


ここから少し下ったデボチェのロッジの主人は、ゴンパの医務僧を兼ねています。ここで泊まって次の日はまずパンボチェへ。ここパンボチェは最奥の村でこの先に民家はなく、集落と見えるのは全てカルカ(夏の放牧場)です。


メンダンやマニ石の並ぶイムジャ・コーラ沿いの道、ついで高原状の道を通って標高4,243mのペリチェに着きました。ここはU字状の砂地にあるカルカで風の通り道です。夜中には石造の小屋が吹き飛ぶかと危ぶまれるほどの強風に驚かされました。


翌日は高度順化日。そろそろ高度の影響が現われてきて、顔がむくみ脱力感に悩まされ始めました。しかし、頑張って近くの丘(推定標高4,600m)に登ります。下に見えるのは別の支流沿いのディンボチェ・カルカ。


辛くても登った甲斐があって展望は素晴らしく、すぐ前にタウチェ(6,501m)とチョルツェ(6,440m)、アイランドピーク(6,160m) <イムジャコーラの奥にあるので現地名はイムジャツェ>、などが望めました。これは8000峰のマカルー(8,463m)です。


次の日、ペリチェからさらに奥のロブチェへ向かいます。クーンブ氷河のモレーン(氷河末端の堆石)の登りは標高差300m。高度の影響で相当に厳しく感じました。遭難碑の立つ峠を下り荒涼とした風景のなかを行くと美しい三角錐の山が三つ並んで出迎えてくれました。左端がプモリ(7,165m)、中央はリンテルン(6,749m)、右端はクーンプツェ(6,665m)です。(余談ですが1999年のこの日は変愚院65歳の誕生日でした。)この日はロブチェで泊まり、翌日正午頃「烏の墓場」の意味を持つゴラクシェプに着き、午後は高度順化で明日登る道を標高差100mほど試登したあと狭い石小屋で寝ました。

 

ルクラを出て9日目。やっと目的のカラパタールへ向かう日が来ました。最初はなだらかな雪原を進みます。右端にエベレストの下部が黒く見えています。やがて斜面に取りつきジグザグに登ります。標高差は僅か300m足らずですが、5000mを超える高度では思うように足が進みません。


クーンブ氷河を見下ろしながら高度を上げて、ついに念願のカラパタール頂上(5,545m)に着きました。氷河を隔ててすぐ前に世界最高峰・エヴェレストが聳えています。
エベレスト(8848m)
ネパールの現地語ではSagarmatha(サガルマータ)。中央の黒い岩峰で、ここから見ると手前にある右のヌプツェの方が高く見えます。sagarは「宇宙」「世界」を、mathaは「頭」「頂き」を表します。文字通り「世界の頂上」です



カラパタールからはクーンブ山群の山々、また北のチベットとの国境に連なる山々が見渡せます。その中で私の一番好きな山はプモリ(7,161m)。「乙女の峰」という名にふさわしい、美しい水晶の結晶のような姿です。

*元画像や詳しい山行記はこちらをご覧ください*