ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

五竜岳で命拾い (1961年) 

2006-04-05 06:45:17 | 過去の今日
『4/5 朝からガスと風。停滞と決まると、寝袋に入って食べる
のみ。午後、ガスをついて五竜岳頂上を狙う。
幸いにも風は止み、雪もしまっていて快調に登り、頂上に立つ。
時々ガスを破るように鹿島槍が顔を出す。
下りはH(私の弟)とF、後の4人と二つのザイルパーティで、殆ど
コンテイニアスで下る。難場のトラパースを終えてほっとした途端、
ベルグラをはがしてスリップ。5~6m落ちたがIの確保で助かった。
…(後略)』

上の記述は当時の山日記のもので淡々と書いていますが、後で
考えると今でもぞっとします。輪にしていたザイルが手から離れ、
スローモーション映画を見るようにゆっくりと延びていって、まるで
時間が止まったように思いました。必死にピッケルを固い雪面に打ち
込み、同時にIが確保してくれたのでショックもなく停止。
しばらくは足が震えてその場から動けませんでした。

ちなみに「コンテイニアス」とは、ザイルを結んだままで同時に行動
すること、「ベルグラ」は岩の上に薄く張った氷のことです。



上の写真、中央が私、背後の山が五竜岳で北アルプス後立山連峰
にある標高2,814mの美しい山です。
入山は二日前(4月3日)大糸線神城駅から遠見尾根を登りました。
この尾根はとても長く、昔の山の歌「新人哀歌」で「涙で登る遠見
尾根」と歌われた通りです。
左の雪に埋もれた建物は遠見小屋。宿泊客も小屋番もいません
でした。



『4日、日の出とともに出発。…小遠見、中遠見と単調な登り。
鹿島の双耳峰が上るにつれて一つに重なって見えて来る。大遠見
で昼食。この頃より次第に雲が多くなる。西遠見へ大きく下り、
いよいよ白岳への登りが始まる。…

五竜小屋は完全に雪に埋まり、二階の窓から潜り込む。夜、ちょ
っと身体を起こすと天井に頭をぶっつけるのには閉口した。
強風が一晩中、小屋を揺さぶる。』

左はリーダーのY先生。私は6人パーティのサブ・リーダーでした。



この一年前の春山でも、吹雪のために危うく命を落とすところ
でした。
下の写真はその八方尾根を見て感慨にふけっている?ところ。
右の山は白馬三山。右端が主峰の白馬岳です。

カラーフィルムがようやく手に入るようになった頃で、数少ない貴重
な写真です。



下山後、大糸線神城駅で。これが命の恩人のI。左端で何か立ち食い
しているのは弟です。あどけない顔をしているのも道理、まだ高校2年
の春休みです。(始業式があって3年生になる)
実はS高校山岳部の春合宿で、Y先生と私は付き添い。他は全員高校
2年生でした。

またしても、当時の高校生の山での実力は大したものだったと思います。