警察小説を読み始めたのは2009年からだ。今野敏著『隠蔽捜査』がきっかけだった。それ以来、今野敏の『東京湾臨海暑安積班』シリーズ、ST警視庁科学特捜班など一連のものを読み継いできた。未読もまだある。そして、大沢在昌著『新宿鮫』シリーズを新書版で読んだ(最新刊は未読だが)。これらは、このブログを始める以前のこと。
そして、私にとりシリーズものを読む三人目の作家が堂場瞬一だ。『新宿鮫』同様、この作家のシリーズも、出版順で読み継いで行きたいと思っている。
「雪虫」というタイトルがちょっと変わっているとまず思った。日本語大辞典を引くと、第二義に「雪国で、雪上に現れるトビムシ・ユキガガンボ・カワラゲなどの俗称」と記されている。作者はこの小説のタイトルを最終章の見出しに使っている。文庫本の解説者・関口苑生氏は「雪虫とは冬の間近になると路地や家の軒先などを静かに飛ぶ白い小虫だが、この雪虫が舞うと本格的な雪が近いと言われる。予兆なのである。来るべき大いなる変化を告げる大いなる印なのだ」と述べている。
『雪虫』の舞台は新潟県。オートバイSRでのツーリングを趣味とし、普段はゴルフに乗る刑事・鳴沢了が主人公だ。5年落ち、150万円ぐらいで買った車を仕事に使っている。本来の新潟の市街地である新潟島で生まれ、鳴沢家の方針で、高校からは東京に出て一人暮らし。高校・大学とラグビーに明け暮れる。大学時代に1年間アメリカに留学した経験を持つ。そして刑事になる。新潟県警本部捜査一課の平刑事だ。
自分は「刑事に生まれて来たのだ。」刑事が天職と考えている男。というのは祖父が「仏の鳴沢」、父は「捜一の鬼」と呼ばれた親子三代の警察官一家なのだ。刑事という職業を考え、酒を飲まないし、煙草も吸わないと決めている男。29歳。
先輩の刑事が本人に言う。「まあ、そうだな。おめさんに限って、そんなことはないか。いつでも、ぶち切れそうなぐらい張り詰めてるんだから。どんな事件でも、それは変わらないんだろう」「真っ直ぐすぎるのは、あなたの長所でもあり、短所でもあるな。そろそろ、ポーカーフェイスも覚えた方がいいよ」「お前さんみたいな頑固者、俺は見たこともないよ。まあ、もしかしたら、それが良い刑事の条件かもしれないが」と。
鳴沢了は今年最後のツーリングからの帰路。携帯電話で呼び出される。湯沢の町中の一軒家で一人暮らしをしていた78歳の老婆・本間あさが庖丁で刺し殺された。発見者は隣に住む主婦。事件は魚沼署管轄で発生した。「捜一の鬼」と呼ばれた了の父が署長をしている。了と父はあることがきっかけで仲が悪い。「今は少しだけ疲れ、少しだけ不安そうで、少しだけ迷いも見えた」所轄を預かる立場の父と不本意にも儀礼として型どおりの挨拶を交わした後、事件に関わっていく。
この引用した一文、読み始めの時は全く意識もなく読み飛ばしたが、読み終えた後、この一文に重層的な意味合いが込められていたことに気づいた。
了は、遺体を見て吐くような新米刑事・大西海(かい)とペアを組まされ事件捜査に関わっていく。了の抱く刑事像からは落第の新米刑事が相棒だ。海(うみ)君と揶揄しながら、時には海君を鍛えながら、事件にのめり込んでいく。
本間あさ宅の裏手にはホテルとその駐車場がある。捜査は、ホテル従業員への聞き込みから始まる。本間あさの身辺聞き込みから、本人が時折祈祷師のようなことをしていたことがわかる。年金頼りの生活者だが、「銀行預金は500万円ほどあった。物色された様子もない」ことから、強盗ではなく、怨恨の線が出てくる。地縁意識の強い田舎では、地道な聞き込み捜査はなかなか進展しない。しかし、羽鳥たかという81歳の老婆からの聞き込みで「今はあんげお祓いみたいなことしてるけど、昔は教祖様だったからね。」という発言を拾う。そこから『天啓会』という五十年前に存在した団体が浮かび上がってくる。了と海のペアはこの天啓会の実態を調査し始める。情報が得られない中で、先輩刑事緑川の助けで、地方版に掲載された記事を入手し、比較宗教学者で天啓会を研究してきた中谷という人物に会い、知識・情報を得たことから、捜査の糸口が見つかって行く。
一方、ホテル宿泊客から、当日夜の不審人物を目撃したという通報が入る。通報者は銀行に勤める女性で、石川喜美恵。この女性、偶然にも了が中学生の時恋心を抱いた相手だった。14年振りの再会が、事情聴取の相手になる。彼女の証言で、不明瞭な部分もあるが、似顔絵を作成することができ、捜査に新たな局面が加わり一歩前進するきっかけができる。また、思い出せないがこの人物とどこかで会ったように思うという喜美恵の発言も得る。
天啓会の線からは、聞き込みの結果、天啓会の道場に出入りしていた米屋が殺された事件が昔起こっていたことがわかる。殺した庖丁を握っていた男が逮捕されるが、ちょっと頭の弱い男であり、責任能力がないということで不起訴・措置入院となったという。「そう。まあ、喋るのも書くのも苦手で、普通の仕事も満足にできないような男でね。長岡の空襲で焼け出されて、天涯孤独の身だった。本間先生もそれに同情したんかね、『天啓会』で雑用みたいなことをさせて、面倒をみていたんさね。そいつが、『天啓会』に出入りしていた米屋を殺しちまったんだよ」。宗教団体絡みでの殺人事件という判断もなされないまま事件は終結してしまう。そのため、五十年近く前の捜査記録は残っていない。
しかし、了はこの殺人事件にこだわりを持ちつづけ、さらに天啓会関係者への聞き込みを積み重ねていく。一方、別の目撃者が現れ、似顔絵が詳細になっていき、不審者像がより鮮明になっていく。また喜美恵が遂に人物名を思い出す。昔、ある融資案件で銀行を訪れた人物だったことを。
二つの捜査線が、徐々に一つに収斂していく。それは一方で、鳴沢家の祖父・父が微妙に絡んでくるという事実を了が解明していく結果になる。
第6章「重なる顔」に、こんな了と父とのやりとりが書き込まれている。
「だろうな」父が、自分の言葉を噛みしめるように言った。「お前ならそう言うだろうと思った」
「どういうことですか?」
「お前にとって、正義は一つしかない」
「当たり前じゃないですか。正義が幾つもあったら、その数だけ警察が必要になる」
「そんなに簡単なものじゃない。でもお前は、それを認めようとしないだろうな。認めないで、自分の正義に合わない正義を、自分の尺度に合わせて作り変えようとするんじゃないか」
「何ですか、それは」父の言葉の裏を読もうとしたが、できなかった。
雪の降り始める季節に殺人事件を追い、地縁関係が強く、人の噂になることを極度にきらう人々の間を、地面を小虫が這いずりまわるように地道に聞き込み捜査を積み上げる了と梅のペアの活動が続く。刑事の日常捜査の常態が丹念に描き込まれていく。
捜査進展のプロセスに、日付を入れずに書き込んでいくという捜査物はめずらしいという印象を受けた。
目撃者という形で再会した喜美恵と了は、事件を介し微妙な関係を続けざるを得ない。その二人に14年間のギャップを超えて、愛が育つのかというのも、副次的に気になるところも、書き込まれている。
事件の最終局面で、鳴沢了が頭の中を疑問で渦巻かせる。
「殺人は、法に触れるから問題なのではない。もっと根っこの深い、人間という存在の基本的な部分に関わることなのだ。そして今私は、人を殺すという行為を、全て一緒に考えて良いものかどうか、分からなくなっている」
事件は終結するが、鳴沢了は警察を辞めるという選択をする。
「違う。私を待っているのは壊れ、朽ち果てた現実だけだ。
そして、自ら現実を打ち壊してしまった後で、なおも残骸の中に夢を、救いを見出そうとするのは、愚か者だけである」。それが了の心境なのだ。
一人で、雪の舞う街にさよならを言った。
(これが小説の末尾の一文だ。)
私にとって、堂場の作品は、刑事像の新しい局面を味わわせてくれるものだった。この第一作に続き、刑事・鳴沢了のシリーズが存在しているのだから、堂場はどんな刑事像を作り上げていくのだろうか。読み継ぎたいと思う。
この作品から波紋を拡げ、興味をもった点をネット検索してみた。
新潟島
SR
ゴルフ
原爆投下の計画がどこまであったか。
日本への原子爆弾投下
雪虫
トビムシ
トビムシ目
ユキガガンボ
カワラゲ
新潟県警察組織図
ヒットしたウェブサイト情報
「警察官のお仕事とウラ話」
THE POLICE ENTERTAINMENT 日本警察公論
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